江戸時代後期に出された「鯨肉調味方」と言う料理本には、クジラのからだを実に70にも分類し、それぞれの料理方が紹介されています。肉や皮、舌、内臓ばかりでなく、顎から歯ぐき、さらには、ペニス、睾丸、などのイカモノまで、食の本場、中国をしのぐ徹底ぶりです。
食べられないところは、骨と歯とヒゲだけです。わが国はクジラを余すところなく利用してきています。
ちなみに歯ぐきは「子ひげ」と呼ばれ、生のまま薄く切り、醤油などにつけて食べると淡白で美味しいと言います。
それからクジラの体に付着しているフジツボやカキなども紹介されているが、クジラジラミだけは「食料にあらず」のようです。
日本人は太古の時代からクジラを食料として脈々と利用してきました。その歴史のすべてを知ることは当然不可能ですが、文献などで垣間見ることはできます。たとえば平安時代に書かれた「倭名類聚抄(わみょうるいじ ゅしょう)」にはいくつかの魚にまじってクジラの名がみられます。
仏教の影響から獣食が忌み嫌われていたわが国では、魚の仲間とされていたクジラは貴重なたんぱく源だったようです。
また、室町時代の料理本「四条流包丁書」には、最高の献立としてクジラ料理が紹介されています。安土桃山時代には、土佐の大名であった長宗我部元親(ちょうそがべもとちか)が、豊臣秀吉にクジラを丸ごと一頭献上したという記録も残っています。江戸時代には、冒頭に紹介した「鯨肉調味方」をはじめ、多くの料理本でクジラが紹介されており、庶民的な食材として広く食べられていたことがうかがわれます。
肉ばかりでなく、鯨油の利用も古く、縄文時代の遺跡からイルカの脂肪を貯蔵したと思われる土器が発見されています。
わが国ならではの鯨油の活用法は農薬でしょう。田んぼに鯨油をまくと、一面に油の膜ができます。その後に、棒などで稲をたたき、害虫を油膜の上に落として退治するのである。
この方法は江戸時代後期に発案されて全国に広まり、米の増収を」もたらしたと言われています。また、鯨油を牛などの家畜のからだに塗り付けてアブなどの害虫から守ったという話もあります。
鯨ヒゲについては、からくり人形のぜんまいや釣竿の穂先など、欧米と同様にさまざまな素材に用いてきた。特に文楽人形の命ともいえる精妙な首の動きは、鯨ヒゲでなければ出せないといわれています。
さて、最後に残されたのは骨です。クジラの骨には多くの脂肪分が含まれ、これらからも鯨油がとられています。そして採取した後の骨さえも、田畑にまかれ肥料として利用されたようです。この通り、日本人はクジラのすべてを利用し尽くしてきたのでありました。(河出書房新社「クジラの謎 イルカの秘密」)より
続く・・・・・・・
日本人と鯨(くじら)