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ロメ~グランポポ(ベニン)~カノ(ナイジェリア)~ジョス~ ワザ(カメルーン)~ドゥアラ |
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Cコースはロメ(トーゴ)から始まった。ベニンとの国境までわずかしかなく、すぐ入国した。ここからは、治安の悪いラゴスを含むナイジェリア南部地域を迂回するためベニン国内を北上し、ローカルの国境を越えナイジェリアに入った。しかし、賄賂がまかりとおり、官兵の腐敗が進んでいるこの国を旅するのは容易ではない。国境近くの検問では、地元の車は札束を投げ飛ばし走りすぎていく有様だ。私たちは英語が全くわからないようにという指示がゲルバの方から出された。英語を理解できると何かしらリクエストされるみたいだ。ナイジェリア北部にあるヤンカリ国立公園では、ウキキという名の温泉でくつろいでいると、野生の象に遭遇した。 |
ヤンカリ国立公園 |
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ナイジェリア北部の国境からカメルーンに入りワザ国立公園で旅をはじめてちょうど100日がたった。サヘルと呼ばれるサハラ砂漠に隣接した地域では、空気は乾燥し、気温も非常に高い。そんななかで、カメルーンでは、比較的冷えているジュースをゲットすることが容易だった。Cコースの添乗員長谷川さん(左の写真)が飲んでいるtopやjinoといったカメルーン独自のジュースは乾いた喉を潤してくれた。 |
Cコース添乗員 長谷川さん |
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「アフリカの縮図」と言われるカメルーン。北部のサヘルから南部の熱帯雨林までの気候帯を持ち、100に近い民族が南北に細長い国土に住んでいる。マンダラ山地ルムスキーには、屋根の丸く尖った特徴的な家屋を見ることが出来る。 |
マンダラ山地 ルムスキー |
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キャンプでの生活が続くと、困るのが洗濯だ。水がふんだんに使える地域では問題はないが、サヘル地帯では十分にはない。この日は、カメルーン中部テロ滝横でのキャンプになった。ワザを出てから十分な水を得ることが出来なかった私たちは、川に飛び込み洗体、洗濯を始めた。この上流では牛が放牧され、この川の水を飲み、体を洗っていたが当時の私たちにはさほど気にはならなかった。 洗濯は我慢すればいいが、深刻なのは飲料水で、使用制限が出る地域もあった。水の調達は、道路沿いにある集落で分けてもらったり、GSなどで購入することもあった。 |
川での洗濯 |
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カメルーンは険しい山岳地帯に囲まれているため、南北を結ぶ道路が発達していない。そのため写真のような赤土の道を通らなければならない。ルムスキーからは6泊連続のブッシュキャンプを強いられた。しかし、西アフリカでは、貧相な設備しかないキャンプ場よりもブッシュキャンプのほうが快適にすごせた。 ゲルバトラックはどこにいても目立つ。学校のそばを通ると全児童が飛び出してくることもあった。町中にとまると、すぐに大勢の人に囲まれてしまう。人々の熱さを感じることが出来る旅でもあった。 |
赤土の道に佇む老人 |
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Cコース終点のドゥアラに着いた。その夜は郊外にあるリンベという海岸でのキャンプだった。蒸し暑い夜だった。思いかえせば旅のはじめのキャンプは、モロッコの寂れた海岸で雨の中のキャンプだった。あれから100日を越える旅が今も続いている。私たちは、飛行機でケニア・ナイロビに飛び、さらに旅を続ける。 |
リンベでの夕陽 |
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