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ジブラルダル(イギリス)~ラバト(モロッコ)~フェズ~マラケシュ~ ヌアディブ(モーリタニア)~ヌアクショット~ダカール(セネガル) |
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(株)道祖神が主催する「アフリカ大陸縦断エクスペディション200日」に参加した。アフリカなど辺境地の旅を得意とする同社が、イギリス・ゲルバ社が運行する「アフリカ・ザ・ウェイ31ウィークス」をチャーターし、一部コース変更したものだ。 東京組と合流し、ロンドンで一泊した後ジブラルダルに降り立った。ジブラルダル海峡に面したこの地は、イギリス領だ。アフリカ大陸に渡るフェリーが発着するスペイン・アルヘシラスに向かう。しかし、ここで思わぬトラブルに巻き込まれた。植民地返還を要求するスペインは、EU加盟国以外の人間に対して、ジブラルダル(イギリス)の出国スタンプが必要だと要求してきた。イギリス側には当然あるわけもなく、両国大使館を巻き込み8時間の足止めを食った。 |
ジブラルダル(イギリス領) |
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翌朝、アルヘシラスからセウタへ渡り、アフリカ大陸への一歩を踏み出した。フェリー内で、ジョブと呼ばれる各自の仕事分担の説明などを受けた。スペイン領セウタからモロッコへの入国は3時間程で済んだが、日は傾き始めていた。町を抜けた少し寂れたキャンプ場にテントを張った。翌朝、道祖神の添乗員山口さんが地中海の水を汲みに行ってくれた。ペットボトルの水を無事旅の終点喜望峰で帰すことができるのであろうか。トラックは雨の中をラバトに向けて動き出した。ラバトでは自由行動になり、各自市内観光を楽しんだ。ラバトを後にしたトラックは、世界遺産「ヴォルビリス遺跡」を観光し、フェズに入った。 |
地中海の水を汲む山口さん |
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イスラム都市では、旧市街を「メディナ」と呼ぶ。城壁で周囲を囲まれ、内部は建物が密集しており、その建物と建物の間を細い通路が無秩序に縫っている。ひとたび城壁に入ったなら、まさにそこは巨大迷路だ。私たちも、ここでは、現地ガイドを雇いメディナ観光をした。ゲルバの旅にも、このような観光も用意されている。 フェズを離れアトラス山中に入っていく。12月のアトラスは想像以上に寒い。この日ブッシュキャンプした場所は、標高が約1900メートルあり、食器を洗うために出していた桶の水が凍るほどだった。 |
世界遺産 フェズ旧市街 |
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食事は当番制で毎日交代する。ゲルバでの食事は基本的に、朝はパン、昼はサンドウィッチ、そして夜はシチューが多い。しかし、リクエストすれば自分達の腕をふるうことも出来る。トドラ渓谷でのクックは、私たち兄弟になり、日本より持参したカレーを作った。日本を出てまだ10日もたっていないのに、皆すごい食欲で写真右の大鍋一杯のカレーを食べきった。 トドラ渓谷からカスバ街道の古い町テルウィット、ツクバル山を通り、マラケッシュに入った。 |
キャンプでの夕食 |
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ムラービト朝の首都として建設されたマラケシュは、以後マグレブ地方の経済・文化の中心として発展してきた。城壁に囲まれたメディナは、イスラム建築のミナレットがある。かつて公開死刑場であったジャマエルフナ広場は、蛇使いやアクロバットなどの大道芸人、無数の露天で賑わっている。 新年をここで迎えた。マラケシュを出発してすぐ朝食をとり。日本から持参した日本酒で新年を祝った。アカディールから一気に南下していく。風景が緑から茶に変わっていく。 |
マラケシュ ジャマエルフナ広場 |
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モロッコからモーリタニアにへの道は正式には開かれていない。西サハラ独立問題があるからだ。しかし、モロッコ・ダッハラからモーリタニア・ヌアディブにはモロッコ軍の警護のもと週2回コンボイと言う形で通行することが許されている。ダッハラに集結した車52台、オートバイ7台は隊列を組み砂漠のなかを進んでいった。コンボイ中は全てが規制されている。休憩からキャンプにいたるまでだ。休憩でも地雷が埋設されている危険があるために道路からでることが許されない。 |
ダッハラからヌアディブ コンボイ |
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コンボイ2日目夜モーリタニアに入国した私たちはヌアディブのキャンプ場への道を急いでいた。疲れて車内で眠っていると強い衝撃で目を覚ました。トラックは大きく傾いていた。簡単に抜け出せそうにはない。やわらかい砂に徐々に埋もれていく。そこでタイヤに石を敷き抜け出そうとする。各自が石を集め抜け出せたのは3時をまわっていた。そのためこの日はここでテントを張ろことになった。翌日、ヌアディブの入国管理事務所に赴き正式にモーリタニアに入国した。 |
スタック |
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ヌアディブよりサハラ砂漠に入っていった。内陸の町Zoueratから鉄鉱石搬出のために敷設された鉄道が続いている。その鉄鉱石を運ぶ列車は全長2キロを越える長大編成だ。鉄道保守のための施設が時折見られる。この鉄道はモーリタニア経済の生命線でもある。サハラ砂漠は内陸に進むにつれ砂漠から土漠にその様相を変化させていった。 |
サハラ砂漠 |
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ヌアディブを出て4日目イスラムの聖都シンゲッティーに着いた。サハラの砂に埋もれつつあるこの隊商都市は、北アフリカとサハラ以南の交易路として発展した。当時の繁栄を垣間見ることが出来るシンゲッティーは世界遺産に指定された。 この町でパリ・ダカールラリーのオフィシャルと出会った。彼らの車両の装備には驚くばかりだった。 |
イスラムの聖都 シンゲッティー |
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セネガルとの国境近くのロッサでパリダカのSSに遭遇した。スタート間近にもかかわらず写真撮影に応じてくれた増岡選手。篠塚さん、サビー、フォントネ、菅原さん、山村礼子さんらとも会うことが出来た。 モーリタニアのヴィザ期間が過ぎていた私たちは、本来ならヴィザの延長手続きが必要なはずだが、ラリースペシャルとでも言うべきか、出国管理事務所でのチェックもなく、ラリー関係車両とともに出国することが出来、セネガルへと進んだ。 |
増岡選手と |
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モーリタニア国境とのデルタ地帯にあるジュッジ国立鳥類保護区を訪れた。世界遺産にも指定されているこの地は、モモイロペリカンをはじめ約300種類の鳥類が観測されている。 ダカールはAコースの終点でメンバーの入れ替わりがあった。奴隷貿易の積出港のあるゴレ島を観光したり、街を観光したり4日間の休息を楽しんだ。 |
ダカール |
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