花びしの引き札(資料館蔵)

いつごろのものかはっきりしませんが,初期のころのものでしょう.
東京精行社印行とあります.
入り口から玄関の当たりの雰囲気は,そのまま残っていましたが,右側の建物の記憶はありません.

クリックすれば拡大されます.

 花びしの絵はがき

 これは裏側であり,風呂敷に描かれた地図に示されるように,桜川の河口に面し,船に直接乗り降りできるようになっていたことが分かります.
花びし裏口のあった桜川河口
現在の様子です

金比羅橋の向こうに見えるのが花びしです.妻のところに花びしの紋がはっきりと示されています.昔の多度津港の船溜まりである桜川の左岸埋め立て工事は明治24年のことであり,この土地に花びしが建てられました.手前の家も旅館あるいは船宿です.この金比羅橋は木橋ですが,大正6年にはコンクリート橋に付け替えられました.
 


花びしの表玄関

一太郎やぁいの母親を囲んで花びしの前で撮られた記念写真です.
はっきりしませんが,玄関の大看板が見えます.







花びし 表玄関の屋根(グラフたどつ)

唐破風の重厚な屋根組である.
大看板には,HANABISHI HOTEL とともに「花菱」と漢字で表されている.


 昭和44年に刊行された全国旅館案内の中で,多度津町の旅館として花びしが紹介されている.
 上の絵はがきの通り,木造3階建てであり,部屋数や設備などが記載されている.
 一泊料金が2000円であったことが興味深い.

 多度津駅に掲げられていた花びしの看板
 裏側から照明されるようになっています
 
 高校通学の途中,いつも見ていたはずですが
 はっきりと記憶していません