一太郎やあい
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日露戦争当時のことである。軍人をのせた御用船が今しも港を出ようとした其の時、 |
明治三十七八年戰役ハ皇國興廢ノ岐ルル所ニシテ殉難
奉公ノ氣慨國内ニ横溢セリ 當時旅順攻圍ニ參加セル丸龜聯隊ノ出征御用船ノ當港解纜ニ際シ 埠頭ニ馳ケツケ
タル一老婆 一太郎ヤアイ鐵砲ヲアゲロ家ノ事ハ心配スルナ 天子樣ニ克ク御奉公スルダヨト叫ンテ其愛子ヲ
激勵シタル事實ハ 全國民ノ意氣ヲ鼓舞シ 出征美談トシ
テ國定教科書ニ載録セラレタリ 此ノ母子コソハ本縣三豐郡豐田村岡田かめ女ト其一子梶太郎ナレト 一度大阪
朝日新聞ニ報セラルルヤ 忠愛ノ情ニ燃ユル我國民性ハ翕然トシテ母子ノ禮讃トナリ 演劇ニ映畫ニ浪曲ニ琵琶歌講談等ニ依ッテ精神教化ノ資ニ供セラル 大正十一年本縣ニ於ケル特別大演習ニ際シテハ畏クモ 高貴ノ御馬前ニ謁ヲ賜ヒ 更ニ昭和六年宮城參殿ヲ許サルル等
幾多ノ光榮ニ浴セルノミナラス 日本婦人ノ典型トシテ
海内ニ喧傳歎美セラルルニ至レリ 斯ノ如ク有事ニ際
シテ欣然最高ノ犠牲ヲ君國ニ捧クル報國ノ精神ハ 平時
ニ在ッテ更ニ讃仰スヘク之ヲ永久ニ顯揚センカ爲メ 全國小學校兒童及篤志家ノ賛助ニ依リ 縁故深キ此地ニ教科書ノ全文ヲ掲クルト共ニ其ノ姿影ヲ鑄造シ奉公記念標トシテ建設シタルモノナリ 小野高介撰 白川大吉書
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一太郎やあいの銅像は、昭和17年に金属回収で供出されたが、翌年にはコンクリート像として再建された 昭和25(1950)年に撮影したもの |
インターネットでは井上俊夫さん(詩人・元帝塚山学園大学講師)の一太郎やあいに関する詳細な考察がでています
台座裏側
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台座横の銘版
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