気付いて

わかって


この 恋心に





恋をした男   5







はぁ……




馴染みの特等席でルフィは一人長い溜息をついた。

最近めっきり力が出なくなった気がするのは、気のせいなんかじゃないだろう。
今までの一日十食生活から規則正しい三食生活に変わったから。
別に無理をしている訳ではない。
だって本当にお腹が減らないのだから。

ウソップ達との追いかけっこもせず毎日毎日この場所から海を眺めているのももう日常となってしまった。
どうも体を動かす気分じゃない。

とにかく元気が出ない。
それがわかっていてもとりたてて焦る気もしない。
それならそれでどうでもいいと思った。

あの日。

サンジに思いも寄らない行動に出られて何も考えられなくなってしまった。
頭が混乱して眩暈のような感覚を味わい、体がバランスを取れずもどかしく、ぎこちないままあの場を去った。
ドアを閉じた時点で体が崩れ落ちてしまうという情けない事態に陥り、体が震えて、殴られてもいないのに頭が痛かった。
見つめる床に水滴が何粒も何粒も落ちてきて雨かと思ったが、それは自分の涙だった。

初めて体験する不思議な感覚についていけず、そう、そこから思考は止まったままなのだと思う。

楽しいことも嬉しいことも壁一枚隔てた向こう側で感じるような、間接的な感触しかしない。
ただサンジの姿が視界の端にほんの少し入った時だけは、心臓が飛び出しそうに跳ねるので、なるたけ下を向くようになった。
日参していたキッチンに近寄らくなった自分に、サンジは何も言わない。話そうともしない。


やはり自分は嫌われていたのだ。

そうに違いない。
だからこそまとわりつきすぎた自分にサンジはキレてしまったのだろう。


酷く悲しかった。
笑うことを忘れた顔はあまり出さない涙ばかり流すようになった。
他のみんなに絶対に見られたくなくて、この特等席で真っ直ぐ海を眺めるフリをする。
一体どうなっちゃったのかなあ?

例によってまたしても涙ぐんできた瞳にそっと手を当て、一気にぐし、とこすった。
出来れば潮風のせいにしておきたいが、この目からでる水は立派に涙で、しかも感情的なものだと最近しぶしぶ認めざるを得ない。
だってサンジのことを考えると途端に出てくるのだから。

困って海を眺めると、穏やかな波が応えてくれる。
その青い風景を見つめていると心が落ち着いてきて何も考えないでいられる。
やっぱり海は、いい。
いつでも優しくその懐に迎え入れてくれる。
その深みに魅せられて、思わず吸い込まれそうになる。

いっそのこと、本当に吸い込まれてしまおうか?
深く深く美しい蒼の中に入り込んでいけたらきっと気持ちがいいだろう…
クスリと笑いがこぼれる。
あ、俺また笑えたかも?と体を揺らめかせた。


しかし身体は海に落ちることも、宙に浮くこともしなかった。

「……?」

背中が温かかった。
腰まわりも温かかったので目を遣ると黒い腕が巻きついていた。
ぱちくりしながらその腕を見つめていると、背後から声がした。

「ったく、危なっかしいなァ。魂ちゃんと入ってるか?」

久々に近くで耳にするその声。
思わずビクリと身体が強張る。

それを目にした黒い腕の正体、サンジは背後でそっと傷ついた顔をする。
「…わりぃ」
巻きつけた腕をす、とどかし、次いで一歩、まるでルフィの警戒範囲を脅かさぬように体ごと後退した。

片やルフィは突然現れた自分にとっての渦中の人物に混乱を隠せない。
実際は混乱しすぎて固まっていたので、ましてや後姿しか晒さなかったので相手にはそれが見て取れなかったが。

動かなくなった体の中でただ、心臓だけがドク、ドクと強く脈打つ。
今の自分に近づかないでいてくれる事はありがたかったが、それ以上遠くへ動かないサンジに焦れてくる。
早くどこかへ行ってほしいと思うのに、気配は一向に消えない。

しかし退いてほしいとも言えない。口が開けないのだ。

サンジもサンジで何か用があるならさっさと済ませばいいのに、ちっとも行動に出ない。
一体何故この場にとどまっているのか。
自分のことなどどうでもいいようにこの十数日過ごしていたくせに?

その奇妙な空気が居心地悪くて、ルフィはうう、と唸った。
人というのは不思議なものだと思った。
だってあんなことがあるまでは厚かましいとさえ言えるほどサンジにまとわりついて、そんなにあるのかと言うほど色々な話を延々していたのに、今では何も思い浮かばない。
いや、色々と頭を駆け巡るものはあるのだが話し掛けるタイミングを計りかねるのだ。

ルフィが唸ったことによって少し変わってきた空気にフ、と息を吐きサンジは口を開いた。
「…来なくなっちまったのはやっぱ、俺のせいか。」

「……!?」

いきなり確信を突くような言葉。
ルフィはただでさえ大きい瞳をさらに大きく見開いて言われたセリフを反復するように胸の中で唱えた。
来なくなったとは、言わずもがな、キッチンにということだろう。
それって、なに、何が言いたいんだ?

どう答えるべきか考えあぐねていると、戸惑う気配がして、サンジが再び口を開く。

「…だよな、それしか、ねえよな。…ゴメン…」
元気がない、語尾など消え入りそうな声。
いつも堂々としている自信過剰なコックとは思えない。
そのギャップに驚いて訝しげに振り返ると視線が絡み合った。
互いにそれにビックリして一瞬互いを見つめ返したがサンジの方から慌てて視線を外してしまった。
視線を外されたルフィはおかげでサンジの表情を観察することができた。
少し顔が赤い気がするのは気のせいだろうか?
この前の不遜な、苛立ち気味の態度とはあからさまに違う。
だって今、ゴメンって言ったよな?
なんだか自分の頬が熱いことにルフィは気がついた。
久しぶりに顔を見たからだろうか。話し掛けてもらえたからだろうか。
そういえば最初この男は海に落ちそうだったかもしれない自分を抱きとめてくれたのだった。

助けてくれたということだろうか。
心配、してくれたということだろうか。

そう思うと胸の奥がほかっと暖かくなってきて、ますます体温が上がるような気がした。
そんな自分をどうしたらいいかわからなくなって、サンジにじっと視線を据えてしまう。

そんなルフィに気付いたのだろうか、サンジは目を合わせないまま顔に手を当て視線を彷徨わせ、しまいに前髪をうざったそうに掻き毟るとそそくさとその場を離れてしまった。



船首にはポカンと口を開けほんのりと頬を染めた船長がいつまでも佇んでいた。





続