「流道の由来」

合気道開祖の昇天後、流派のようなものが生まれた。本流から離れた道場もあった様でした。時々、電話で「お宅は何流ですか?先生は誰ですか?場所は?」等の事を色々な所から問い合わせがあった。その度に答えていたが、余り多いので気の本質の、剛、柔、流の流を取り、流道を名乗ることにした。剛は剛道で空手、柔は柔道、流を流道と名乗らせて貰った。これが流道の由来であり、新しく合気道より生まれた道である。

これからは「合気道から生まれた流道」と言うつもりである。

流道開祖 寺田気山


合気道開祖植芝盛平翁先生の旧高弟で、道統合気を允可され、秘伝合気整体術の創始者である砂泊気海先生、その直弟子であり、合気道の発展を遺言され、聖霊合気流道の開祖である寺田気山先生、その直弟子である橋爪聖師が、道統合気四代目、聖霊合気流道初代となった。合気道開祖が云われる「神人合一」の道から、流道開祖の「神は愛なり」となって今開かれた道を、初代として一歩踏み出し「愛の気」を一人でも多く伝え導きたい熱き思いでいっぱいである。

聖霊合気流道初代 橋爪聖師


武道のバックボーンとして何らかの宗教があるものであるが、それがキリスト教と言うのは珍しいのではないだろうか。しかし、本当の武道の一つとして、また、武道に現された信仰として聖霊合気流道があると思う。
合気道開祖の次の言葉に、キリスト教的注釈を入れてそれを説明したい。

合気とは愛(アガペェ。自己犠牲の神の愛)なり。天地(天地万物の創造者なる神)の心を以って我が心とし、万有愛護の大精神(全能の父なる神が、独り子イエス・キリストを人類に賜った程の愛の心)を以って自己の使命を完遂することこそ武の道であらねばならぬ。合気とは自己に打ち克ち(自我に死に、キリストに生きる)、敵をして戦う心なからしむ、否、敵そのものを無くする(敵をも愛する)絶対的自己完成の道なり、而して武技は天(神)の理法(御心)を体に移し霊肉一体の至上境(聖霊盈満)に至るの技であり、道程である。

合気道精神は、キリストの十字架の愛、福音(聖書)と聖霊の恵みとみ業を知ってこそ開祖の言われる深みが分かると思う。
岡山道場は、神の愛と恵みを中心とし土台として、教会堂と同じ建物の三階で、牧師が道場長で毎週火曜日午後七時三十分から一時間、稽古に励んでいる。

牧師、岡山道場長 太田気聖

 


 武産合気翁認可 合気道導師 「砂泊気海」

 合気道導師 砂泊気海先生 「道歌」


 

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