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誌上教室(2009年1月)


「大運天中殺の過ごし方(2)」・成人後に回る場合

小室哲哉 04
1958,11,27 14
24
34
44
貫索星 天庫星 54
鳳閣星 禄存星 貫索星 64
天胡星 司禄星 天馳星 74

2008年11月に詐欺罪で逮捕された小室哲哉被告です。簡単な経歴を述べます。
16才1975乙卯 高校在学中、プロのミュージシャンになる。
24才1983癸亥 TMネットワークを結成。
27才1986丙寅 渡辺美里に提供した曲が大ヒット。
※以後もプロデュースを手がけ音楽界に大変革をもたらす
29才1987丁卯 1度目の結婚。
36才1995乙亥 KEIKOらと共にglobeを結成。
※ 95年度は長者番付全国4位となる。(以後2年連続4位)
39才1998戊寅 全財産をかけて香港に音楽会社を設立。
43才2002壬午 KEIKOと再婚。(3度目の結婚)
45才2004甲申 香港の会社の株を全て売却。百億円の損失。
47才2006丙戌 芦屋の投資家に著作権の譲渡を持ちかけ、5億円を取得。
49才2008戊子 詐欺で逮捕。



「大運天中殺→運勢が不自然融合となる所」

大運天中殺は不自然なほど物事がうまくいかないこともあれば、不自然なほど運気が伸びることもあります。ただしこれは大運天中殺で積極的に動いた場合です。
そのため、大運天中殺を利用して運気を大きく伸ばすことも可能です。大運天中殺で成功するためには、

(1)大運天中殺に入ってすぐに大きく動くこと
(2)5年以内に成功を収めること
(3)家庭的に不安定であること
(4)その生き方を20年続けること

以上の条件が必要です。鑑定の時にはこれらを満たす状態であれば、大きく成功すると判断して良いでしょう。
ただし、その成功は大運天中殺の異常なものであるわけですから、大運天中殺が終わる所ではその生き方をやめる必要があります。
また、大運天中殺で伸びすぎてしまうと、宿命から外れすぎて淘汰される恐れが出てくるため、この(1)から(4)のやり方は通常は勧めることができないものです。


そのため、成人後に大運天中殺が回る人は、先ほどの大運天中殺での成功の条件である(1)から(4)の逆をするべきです。すなわち、

1.大運天中殺に入ってすぐ動いてはいけない。
2.最初の5年は特に動いてはいけない。受身で過ごすことである。
3.最後の5年は大運天中殺の疲れが出やすい所であるため、ここも特に動いてはいけない所である。

たとえば、適齢期に大運天中殺が回る人の場合、20年も結婚を待つというわけにはいかないでしょうが、せめて最初の5年と最後の5年は結婚も離婚も避けるべきです。そしてできるだけ受身の結婚生活を送り、転職なども避けることです。真面目に淡々と過ごすことで大運天中殺の禍を軽くすることができます。

小室氏(以下彼とする)の場合は、天中殺の年に結婚したり会社を設立したりしており、年運天中殺の度にも大きく動いています。これは16才の乙卯年にミュージシャンになり、その仕事を以後も続けているため、天中殺で動く癖がついてしまっているのです。また同時に、このことが大運天中殺での異常現象がさらに加速される下地となっています。  大運天中殺に入ってすぐの24才でTMNを結成、27才で他の歌手に曲提供して大ヒット、さらに大運天中殺中に3度の結婚と(1)〜(4)の条件を全て満たしているため、この20年で大きく飛躍することになります。
特に龍高星・玉堂星中殺の大運天中殺でこれをやると、異常な才能を発揮することができます。


小室哲哉
1958,11,27

妻・KEIKO
1972,8,18


KEIKOさん(以後彼女とする)と出会ったのが大運天中殺真っ只中で彼の絶頂期でもあった95年です。オーディションで彼が直接彼女を選んだそうです。当時の彼女にとって彼は雲の上の人だったはずです。彼にとっては自分の絶頂期を良く知り、そして最初から自分を尊敬してくれる女性であったわけです。 彼女といると、さぞ絶頂期の気分でいられたことでしょう。しかし彼女といると大運天中殺の気を引きずってしまいます。ここに彼を詐欺に走らせた一因があります。彼の日干支が彼女の月干支に入っているために、以上のことがより強く出るからです。(詐欺については他にも原因がありますが、これらの見方は別の機会に説明します。) 


納音(なっちん)について
香港に会社を設立した98年の戊寅と、彼の日干支である戊申が納音です。
納音とは宇宙盤の正反対の位置にある干支で、気が正反対に動きます。
そのため、最大の音楽会社を目指して行動を起こせば、事態はそれとは反対の方向に進んでいきます。まして、ここで全財産をかけるような勝負に出てしまうと、すべてを失う結果となります。
戊寅年は年運天中殺でもあり、また大運天中殺の最後の5年間でもあるため、一生の中で最も勝負に出てはいけない年であったわけです。

朱学院副校長 佐藤直樹

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