高齢化社会の問題

生産性の向上によって、少ない人数で多くの人数分の必需品を生産できる現在、
一見、高齢者問題など起こるはずがないように思えます。高齢化問題とは高齢
者が増え、少子化により、生産者が減り、消費者が増えるので、生産者一人当
たりの消費者を支える人数の負担が増えるというのです。でも、消費者が増え
るということは、消費に伸び悩んでいる、現在の不況にとっては好都合なはず
です。なぜうまくいかないのでしょうか。それは今までの社会システムが生産
者であるものが同時に、消費者であるということを前提にしたシステムである
からです。つまり、生産者として企業で働いて得た金銭をもって、家計におい
て、消費者として、消費活動をしているということです。生産性の向上で生産
者人数が今までより必要なくなったことにより、労働から解放された人つまり
失業者は、喜んでいいはずなのに、悲しんでいるのは、現在が上記のシステム
であるために、消費するためのお金が無いためです。

高齢化問題や失業問題は生産力の低下として捉えられ勝ちですが、実は、消費
力の低下を示すものです。生産人口が半分になっても、それを充分カバーでき
るだけの生産技術があります。政府は今まで富国(生産力の向上)を目指すと
いう性癖からこの不況を消費力の低下と捉えられません。その結果、不況脱出
のためとして、金利を下げて、設備投資しやすくしたり、法人税を下げたり、
公共事業を増やしたりして、企業に生産力を付けさせることをしてしまいます。
その反面、消費税率を上げたり、金利の低下によって、消費力を低下させるこ
とをしているのです。

生産者=消費者という前提を置かない新しいシステムづくりが必要です。今の
システムでは、生産しない消費者は希な存在として扱われています。つまり働
かざるもの食うべからずのシステムです。しかし、新しいシステムでは、生産
しない消費者がいて当たり前ということを前提にしたシステムになります。高
度に情報化された社会では、生産のほとんどを機械がしてくれるので、「生産
者=機械、消費者=人間」という形になるわけです。

現在、政府ではGDP(国内総生産)が下がったから、努力して、上がるよう
にしなくてはいけないといっています。しかし、生産性が高度に高まった社会
では、かえってGDPは下がるのです。たとえば、国民が1年間に1億個のパ
ンを必要としていて、1個あたりの生産コストが100円だとすると、生産高
は100億円ですが、生産性が高まって、1個10円で生産できるとすれば、
生産高は10億円になります。この場合、GDPが下がって何が問題になるか
というと、生産に携わる人が今までの10分の1で良いことになり、賃金の総
額も10分の1になるということです。これで販売価格が従来のままで、利益
をもっと上げようとしても、消費者の購買力が10分の1になっているので、
市場原理(企業間の低価格競争)が働いて、パンの価格も10分の1にせざる
を得なくなります。

極端な話になると、1個0円で生産できるとなると、価格も0円になります。
生産高は見た目はゼロです。でも、生産物は必要な分あります。しかし、企業
は利益が出ないので、従来の商品経済は成り立たなくなります。

企業家にとってはこのような社会の到来は喜ばしくありません。ひと儲けがで
きなくなるからです。ですから、なるべくこうならないようしたいところです
が、企業間競争で、生き残りのために情報化による生産性の向上は必至であり、
それがかえって、情品経済社会、つまり、でんし共産制社会の到来を早めてし
まうのです。

政府としても国民の収入が減り、税収や社会保障費もへるので、高齢者を支え
る財源がないのを、高齢化社会の問題としているのです。これは、生産力が高
まっても人が生産したものは、人件費として税収にできるのですが、機械が生
産したものは、人件費が発生しないので税収にならないからです。あるひとは、
もっと外国人労働者を受け入れるべきだといっていますが、これは、外国人労
働者からは税金を取れるからです。機械からも税金を取ることも考えても良い
と思うのですが。

この新しいシステムは、先ほど説明した「情品経済」という経済のあり方が基
軸にあるシステムです。「情品経済」はいままでのシステムでは、義理と人情
の世界として、経済システムとしては、例外扱いされてきたものですが、今後
は、これが、経済の主体に置き換わっていきます。その兆しは、NPO(非営
利団体)の活発化、ボランティア、福祉への関心が高くなってきたことに見て
取れます。

ぜんぜん儲からない社会がきます。儲からないのにだれが働くのかとお思いで
しょうが、それでも働く人は結構多いと思います。というか、そういう事が、
社会意識となるのでしょう。特に、共産主義社会を目指している人たちは、そ
れに適した人と言えるでしょう。過激な暴力でそれを目指すのではなく、高度
な情報化による生産性の向上と、情品経済(ボランティア)によってもたらさ
れる「でんし共産制社会」を目指す方がより現実的です。

でんし共産制社会
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