部落差別と社会意識

社会意識とは、広辞苑では次のように定義されています。
「社会の成員が共通に保持する思考、感情、意志の総体。慣行、道徳、イデオロギー、
階級意識などがある。」

「情報とは」の章の中で、人間は肉体ー遺伝子系情報と社会ー言語系情報の2つによ
ってコントロールされている事を述べました。肉体−遺伝子系情報には、「本能」と言
うものがあって、肉体−遺伝子系情報を維持、発展させるために、無意識的に働いてい
ます。一方、社会−言語系情報では「社会意識」が社会−言語系情報を維持、発展させ
るために、無意識的に働いていると言えます。
(ただし、人間は刺激に対して単純に反応してしまうようなことはなく、理性と言う自
由意志があります。でも、この理性を努力して働かせないと、本能や社会意識に流され
てしまします。)

社会意識は社会の発展とともに、変化しますが、反面、社会の維持という形で、発展を
阻害することもあります。「維持」と「発展」は社会−言語系情報では相反することが
あるのです。社会意識には、社会の階級制度を維持しようとする働きもあります。その
一つの形として、「差別意識」が形成されています。

「部落差別」もその一つで、今の若い人たちには、その存在さえ知らない人もいますが、
古い人たちには、社会意識として染み付いています。江戸時代の階級制度がなぜ今まで
存在するのか不思議です。出身地だけで差別されるのはばかばかしいことです。

「部落差別」は今は以前ほど表立って行われなくなりました。しかし、時々、あります。
よく聞くのが結婚のときです。結婚を予定している相手が被差別部落出身者だと、両親
始め親戚筋から辞めるようにといわれます。

このような、差別が発生しなければならなかったわけを、見ていきましょう。
これは、経済活動が農業を中心としていた時代から始まります。農業には土地が必要で
あり、土地を持っている人と、持っていない人の間で、階級が発生しました。「領主」
(武士)という支配階級と「領民」(農民)という被支配階級です。その図示は次のよ
うになります。

              /\
            /領主\
          ――――――
        /            \
      /                \
    /        領民        \
  /                        \
――――――――――――――――

これを見ていると被支配階級の数は圧倒的に多いので、一丸となって戦えば支配階級な
んか一気にやっつけられそうですが、不思議なことにそうは、なりませんでした。それ
は、その時代には次のような、社会意識があったからです。「領主さまの土地で働かせ
てもらっているからこそ、自分達は食っていけるのだ。領主さまがいなくては、食べて
いけない。」

しかし、やはり数的にみれば領主は不安ですから、実際には、より安定した階級構造と
してピラミッド型ではなく、ひし形の構造を作り出します。

              /\
            /領主\
          ――――――
        /            \
      /                \
      \      領民      /
        \            /
          ――――――
            \ * /
              \/

*にあたる人たちが現在、被差別部落民と呼ばれる人たちの先祖です。(エタと呼ばれ
ていました。)安定した支配をするために、このような「しずめ石」となる人たちが、
必要なわけです。被支配階級に中流意識を植え付けることによって、自分達も下流階級
に対して支配者なのだと言う社会意識を形成したのです。*の人たちは少数なので、反
抗を起こしても簡単に叩き潰してしまえます。自分よりも不幸な人をみて、自分はまだ
幸福な方なのだと、思ってしまうのも、これに似た社会意識なのです。

明治に入って、工業社会になっても、「部落差別」が残ったのは、領主が資本家に、領
民が労働者に変わっただけで、階級構造はそのまま残ったからです。この階級構造では、
相変わらず、「しずめ石」を必要としたのです。

工業社会が衰退期にはいり、でんし共産制社会への移行が始まった現在では、この状態
に変化が表れました。でんし共産制社会では階級がないので、同時に「しずめ石」も必
要なくなるからです。若い人達には、「部落差別」の存在自体も知らない人もいますし、
社会にも人権が表立って叫ばれる余裕が出てきました。

昔の社会意識が、今の私たちにとってばかばかしく見えるのと同じように、今の私達の
持っている社会意識も、未来の人たちにとってはばかばかしく見えるのだろうと思いま
す。

失業した人が「会社が無いと自分は生活できない。」とういうのも社会意識のひとつで
す。昔の人が「領主がいないと自分は食べてはいけない。」と思っていたのと同じです。
企業の持っている機能がインターネットにとって変わる近い将来には、その様な社会意
識から解放されるでしょう。

未来の人たちは、20世紀の人たちがお金のために人を殺してきたのを不思議に思うに
違いありません。私たちは、お金を非常に大切に思っています。お金のためなら、人を
裏切ったり、体を売ったりする人もいます。しかし、お金自体はただの紙切れです。お
金がないとやっていけないと思っているのは、社会意識のせいなのです。一種のマイン
ドコントロールといっても良いのではないかと思います。それは現在の工業を中心とし
た資本主義社会が、お金を軸に動くシステムであるからです。でも、社会の軸が情品経
済に移行していくにつれ、このような呪縛から解き放たれてくるでしょう。そして、情
品経済の有り方が、自分が生きていくにはどうしても必要なのだと言う新たな社会意識
が形成されていくことになるのです。

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