1)「卒業制作」 投稿者:本人 投稿日:13年3月12日(火)15時28分
苦労と苦痛の卒業制作。今日、押し入れから引っ張り出してみた。そこに現れたのは、当時と何の変化もない作品だった。良くもつものだと、感心した。私は「精密描写」「レタリング」でいこうと方向性は決めていた。しかし、一学期は教育実習もあり、葉書大の作品しか出来ていなかった。どうなることやらと、思いつつ9月から本格的に取り組む。イラストレーションだから、文章がいる。テーマとなる書籍探しを始める。「あった!」それは「自然と旅の原点」という本であった。その挿絵とすることに決めた。
方法は「点描」と色彩画による「精密描写」。その中の一点から、A4より少し大きいケント紙に蛾の一種「ヨナクニサン」を点描で描く。予想外に時間がかかる。葉っぱ一枚描くのに3時間ほどかかる。何日を要したかは記憶にないが、昼間でも、世の中が黒い点に見えた。最後に水彩絵の具を使って、「ウスバシロチョウ」を描く。イラスト部分は、何とか完成。
次は、文章。ミューズコットン紙を水張り、そして原稿用紙のような線を引く。以外と苦労する。そして、明朝体で文章を書いていく。これまた、苦労する。
何日かかっただろうか?ようやく、一点が完成。しかし、出展数は六枚。四枚しか仕上がらなかった。こりゃあ、不合格かなとおもいきや、何とか合格。
夜中に「卒業制作展」のポスターを博多の街に展示。苦労したけど、いい思い出となった。初めて知ったが、電信柱に掲示するには「警察」から、許可の印がいる。「制作展」の会場へ、毎日通ったこともいい思い出となった。
学生時代の思い出は、別の項に譲ることにする。
2)「松本清張」との出会い 投稿者:本人 投稿日:13年5月3日(金)20時08分
名前も出身地も忘れてしまったが、芸術学部前の芝生の上で、その彼と友達になった。彼はインテリアに進み会うことは少なくなったが、ある日、彼の下宿を訪ねた。そこで紹介されたのが、「松本清張」の小説「点と線」であった。舞台は、何と「香椎」であった。リバイバルで映画も見た。香椎駅はまだ片田舎の状態で今のようではなく、駅前の風景も小さな店が軒を並べていた。少し内容を紹介すると、はじめに登場するのは「東京駅」、向こう側のホームを見ることのできる時間は、昼間「三分間」しかない。ある男女を見た人がいた。その男女の遺体が間に合うはずのない「香椎海岸」で発見される。このトリックを解く二人の刑事がいた。その小説を借りて、一気に読み終え、すっかり「清張ファン」に陥いった。「清張」の作品は、殆んど読んだ。
高校時代は、「島崎藤村」に嵌っていたが、大学時代からは、「清張」に変わっていった。
インテリアの彼との出会いがなかったら、「清張」との出会いもなかったかも知れない。
3)友人 投稿者:本人 投稿日:13年6月14日(金)17時01分
四年間の学生生活、忘れてはいけない友人がいる。四年間隣人として、過ごした友がいる。今は年賀状のやり取りしかないが、元気で過ごしているようである。「立花寮」の生活から始まるが、二回生からは「下宿生活」になる。下宿探にそうしたのかはわからないが、意気投合して寮生活を送っていたことを思い出す。彼は、枕崎の出身。いたってまじめな学生であった。一回生が終った時も、共に下宿探しに出かけた。途中、たばこ屋で紹介された場所あたりをぶらついていると、すこし傾いた家が目に入った。「あの家、傾いてない?」と会話を交わしながら歩いていくと、何とその家にたどり着いた。運命とは不思議なもので結局、その家に決める事にした。下宿も隣部屋になった。さて引っ越し、寮のリヤカーを借りてたいした荷物でない物を一緒に運んだ。窮屈な部屋だった。三回生なろうとするとき、少し広い部屋が空きが出そうな話を聞いた。しかし、予約が入っていた。一年先輩になる人に話をして、譲ってもらった。前の部屋からは随分広く感じた。隣の彼は早めに部屋を変わる事を決めていた。
二年間その部屋で過ごした。縁があったのかも知れない。一度下宿に、彼の彼女がやって来た。彼女から「フリージア」の花束をもらった。
四回生の卒業制作も彼は着々と進めていた。着想も技術も目新しいものであった。私は焦りを感じていた。
退職後、彼は田舎に帰るのだろうか?一度直接会いたいものである。














