善は真理を切望する

霊的な事柄に嫌忌を感じる

 

 

天界の秘義8313〔4〕

 

なぜなら善は真理を切望して、真理を進んで受けるからである、それは真理は(善と)同質のものであるからである。しかし生命の悪の中にいる者らはそれを変化させはしないで―それは謂わば固いものとなっているが―真理を斥けさえもし、また明確でない状態の中にいるため、真理を見ることさえも出来ないのである、彼らは彼ら自身の原理を確認させるようなもののみを認めて、それに反したものを些かも認めはしないのである。こうした者はまた自分は凡ての者の中でも最も理知的なものであると信じているが、しかし彼らはその信奉している原理から、いかようにして論じるか、ということを除いては何ごとも知ってはいないのである、それで仁慈を最も攻撃し、従って主権を得ようとする者はこうした者である。なぜなら仁慈の中にいる者たちは自らを卑しうし、最低の者であるとして、凡ての者に仕えようと願っているのに反し、仁慈の無い信仰の中にいる者らは尊大であって、自らが最高の者であるとして、凡ての者から仕えられようと欲しており、それで彼らは天界を主権を得る栄光から成立させており、自分自身は他の凡ての者にも優って理知的なものであると信じているため、自分は首天使にもなり、かくて他の多くの者は自分に仕えるであろうと考え、またダニエル書の言葉に従って、『理知ある者は大空の輝くようにも輝き、多くの者を義に向ける者は、永久に、永遠に、星のように輝くであろう』(ダニエル12・3)と考えているのである。しかしこうした者は輝きの代りに暗黒を得るのである。