霊的な事柄に嫌忌を感じる

善は真理を切望する

 

 

天界の秘義3314[2]

 

 これらの最も全般的な諸真理さえも知られていないため、前に述べた流入は把握するには容易なことではないが、それでもこれらの事柄はそれについては天使たちは光を持っていて、無数の事柄を認めている事柄であり、しかもそれには、それと同時に主の神的なものの人間的なものについて考えることが彼らに許されると、彼らが(日頃)覚えている歓喜が伴ってくるのである。身体の中に宿りつつも善の中におり、天使的なものであるものを中に宿している人間もまた、これらのまたこれらに類似した主題については主から多少の光を与えられているが、しかし善にいない者はこのような事柄を考えると嫌忌を感じ、主の人間的なものに属している神的なものに適用された際のそうしたものを考えれば考えるほど、益々、嫌忌を感じるのである。それでこのような性質の者はこのような主題からその心を遠ざけたが良いのである、なぜなら彼らはそれらのものを些かも把握しないで、斥けさえもし、心で、それは私に何の関係があろう、それは私には名誉も利得ももたらしはしない、と言うからである。