悪い者

 

 

悪魔

 

 

 

1.信仰の諸真理の中にいないにも拘らず教会の中にいる者

2.邪な者は凡て自分は力のある者であると信じ、善良な者は凡て力に欠けた者であると信じている

3.悪い者はそのいかような者にも真の関心を持ってはおらず、凡ての者を苦しめようとする気質を持っている

 

 

 

 

 

1.信仰の諸真理の中にいないにも拘らず教会の中にいる者

 

 

天界の秘義6765

 

「彼はその悪い者に言った、なぜあなたはあなたの連れ〔仲間〕を打ちますか」。これは一方が他方の者の信仰を破壊しようと欲したために叱責したことを意味していることは以下から明白である、即ち、『悪い者』の意義は信仰の諸真理の中にいないにも拘らず教会の中にいる者であり―なぜなら教会の中には、種々の異説〔異端〕から認めることが出来るように、信仰の真理の中にいる者たちと真理の中にはいない者らとがおり、異説の中にいる者らは、または信仰の真理の中にいない者らはここでは『悪い者』により意味されているからである

 

 

 

 

2.邪な者は凡て自分は力のある者であると信じ、善良な者は凡て力に欠けた者であると信じている

 

 

神の摂理19

 

悪と同時に誤謬にいる者は―その凡ては地獄に居る―実際互いに他に対し力を揮うことが出来る、なぜなら悪い者は悪を為すことが出来、またこれを幾多の方法により為しているからであるが、にも拘らず彼は悪い者にのみその者の悪を通して悪を為すことが出来るのである。しかし彼は善良な者を些かも害することは出来ない、もし彼が時折起こることではあるが、善良な者に害を加えるならば、それはその善良な者の悪に結合するこにより為されるのである。これが人が自分に付添っている悪霊により試みられ、苦しめられる原因であり、この試みと苦しみが争闘を生み、そのことにより、善良な者はその悪から自由にされることが出来るのである。悪い者は何ら力を持たないゆえ、地獄は凡て主の眼前には無に等しいのみでなく、力では絶対的に無である。私はこれが多くの経験により証明されるのを見た。しかし邪な者は凡て自分は力のある者であると信じ、善良な者は凡て力に欠けた者であると信じていることは注目すべき事実である。これは悪い者は凡てのものを己が力に帰し、それでそれを狡猾と悪意に帰して、何ごとも主に帰さないが、善い者は何ごとも己が思慮に帰さないで、凡てのものを全能の主に帰しているためである。更に悪と誤謬は結合しても、その中には霊的な生命はないため、何ら真実なものではない、この理由から奈落の生命は生命と呼ばれず、死と呼ばれている。さて、何ものももしそれに生命がないならば、真実のものでないゆえ、死の属性として真実をあげることは出来ない。

 

 

 

 

3.悪い者はそのいかような者にも真の関心を持ってはおらず、凡ての者を苦しめようとする気質を持っている

 

 

悪い者はそのいかような者にも真の関心を持ってはおらず、凡ての者を苦しめようとする気質を持っていることについて

霊界日記4375