羨ましがらない

 

霊的体験の有無

 

 

 

 

詩篇37・1−3

 

悪事を謀る者のことでいら立つな。

不正を行う者をうらやむな。

彼らは草のように瞬く間に枯れる。

青草のようにすぐにしおれる。

主に信頼し、善を行え。

この地に住み着き、信仰を糧とせよ。

 

 

 

 

マリア・ヴァルトルタ/私に啓示された福音/6巻上P56/366.10

 

彼はひどい痛みを耐えています。けれども、彼の強さはすばらしいものです。私が彼の秘密を知らなかったならば、私は驚いたことでしょう。けれども、ある夜、私が病人のところから戻ったとき、私は彼がうっとりと変容しているのを見てしまいました。そして、彼の言っている言葉を聞き、あなたがあなたの僕と一緒におられることを悟って、平伏いたしました。ですから、私はもう驚きません。おそらく、兄弟たちは、私が同じように御姿を見なかったことを残念がっていないと知ったら、驚くかもしれません。私がどうして残念がるでしょう? あなたが下さることは、すべて善です。そして、十分です。私たちはそれぞれ、自分にふさわしいものを、自分に必要なものを受け取ります。ですから、ヨハネがあなたの御姿を見、私が魂でのみ感じることは、ふさわしいことなのです。

 

 

 

マリア・ヴァルトルタ/私に啓示された福音/8卷中P81/526・5

 

 善い人でいてください。人生において、絶えず試されながら善人でいることは大変ですが、未来に百倍の報いを受けるでしょう。そして、現在のところ、毎日を正しく終え、自責の念で枕を濡らすことなく休むことができる人は、平安によって心を慰められるでしょう。それにひきかえ、不法な楽しみを望む人びとは、悪夢に悩まされ、落ち着きなく錯乱せずにはいられないでしょう。金持ちを、羨んではいけません。誰をも憎んではいけません。他人が持っているものを望んではなりません。あなたの置かれた条件に満足しなさい。何事においてもみ旨を実行することが、永遠のエルサレムの門を開ける鍵であることを考えなさい。