乳母
無垢/
天界の秘義3183
「彼女の乳母」。これはそれに属している仁慈からも(分離すること)を意味していることは(かれらはまたこれをも去らせたことを、すなわち、かれらはそれをかれら自身から分離したことを意味していることは)、『乳母』または乳を与える者の意義が無垢であることから明らかである。聖言には吸う者と吸わせる者がくり返し言われており、前の者により幼児の最初の状態が意味されていて、その状態は無垢の状態であるにちがいないことは明白である、なぜなら人間は最初生まれると、人間は無垢の状態へ導入されるからであるが、それはその状態がそれに続いて起る凡ゆる状態に対する面となって、それらのいくたの状態における最も内なるものとなるためであり、この状態は聖言では『乳呑み児』により意味されているのである。次にかれは天的な善に対する情愛の状態へ、すなわち、その両親に対する愛の状態へ導き入れられるが、それはこのような幼児にあっては主に対する愛に代わって存在しており、この状態は『幼児』により意味されている。その後かれは霊的な善に対する情愛の状態へ、または相互愛の状態へ、すなわちその遊び友達に対する仁慈の状態へ導き入れられるが、その状態は『少年』により意味されており、それにつづいてくるいくたの状態は『大人』により意味され、最後には『老人』により意味されている。『老人』により意味されているこの最後の状態は知恵の状態であって、その中には幼児時代の無垢が宿っており、かくて最初の状態と最後の状態とは結合しており、人間は老いると、再び小さな子供となり、しかし賢い子供となって、主の王国に導き入れられるのである。
天界の秘義4563
「レベカの乳母のデボラは死んだ」。これは遺伝悪が斥けられたことを意味していることは以下から明白である、すなわち、『死ぬこと』の意義は終りであり、または何かの事柄がそのようなものでなくなることであり(494、3253、3259、3276番を参照)、それでここでは、とり扱われている主題が遺伝悪であるため、斥けられることであり、レベカの乳母のデボラの表象は遺伝悪である。幼児を養い、これに乳をのませることにおいて乳母は元来天的な霊的なものにより無垢を導入することを意味している、なぜなら乳は天的な霊的なものを意味しており(2184番)、彼女が乳をのませる幼児は無垢を意味しているからである(430、1616、2126、2305、2306番)。しかしここでは『レベカの乳母デボラ』により母から受けつがれて、幼児時代から養われたものが意味されている。それが母から来ている遺伝悪であって、それと主が戦われたことはこの遺伝的なものについて示されたことから認めることができ(1414、1444、1573番)、また主がそれを斥けられて、ついには主はマリアの息子ではあられなかったことからも認めることができよう(2159、2574、2649、3036番を参照)。
天界の秘義4563[2]
この遺伝悪はかれらがかれら自身で判断をする時までは、かれらに栄養を与えており、または乳母のようなものとなっており(4062番)、そのとき[かれらがかれら自身で判断するとき]もしかれらが再生しつつあるなら、主により新しい幼児の状態の中へつれてこられ、ついには天界の知恵の中へつれてこられ、かくて純粋な幼児の状態の中へ、すなわち、無垢の中へつれてこられるのである、なぜなら純粋な幼児の状態または無垢は知恵の中に宿っているからである(2305、3183番)。その相違は以下のようなものである、すなわち幼児の無垢は外に在るが、遺伝悪は内に在るに反し、知恵の無垢は内に在るが、現実のものとなった悪のみでなく、遺伝的な悪は外に在るのである。これらのことから、またすでに述べもした他の事柄から、遺伝悪はその最初期の幼児の時代から新しい幼児の時代までも乳母としてはたらいていることが明白であり、ここから『乳母』により遺伝悪が意味されており、また『乳母』により天的な霊的なものにより無垢を導き入れることも意味されているのである。