嘆息

天国への憧れ

 

1.トマス・ア・ケンピス

2.ヴァッスーラ

3.ルイザ・ピッカレータ

4.サンダー・シング

 

1.トマス・ア・ケンピス

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/1・23・9

 

 地上にいる間はつねに自分を、他所から来ている旅人で、この世のことには何の関係もない者と考えよ。

 あなたの心を自由にして、神に向って高く揚げよ。それは、あなたがここには「永存する都会」(ヘブライ書12・14)を有していないからである。

 あなたの霊魂が死後幸い主のみもとに行くねうちのあるものとされるように、毎日涙を流して嘆息と祈りとをささげよ。アーメン。

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/3・7・1

 

また霊的生活の進歩というものは、ただ慰めの恩恵をこうむることだけにあるのではなくて、その恩恵を奪われた時、謙遜、克己、忍耐をもって堪え、それによって祈りの熱心を冷まさず、いつもの仕事をやめてしまわず、かえってあらんかぎりの知恵をしぼり力を尽くして、喜んで自分の務めを果たし、心に味気無さや悩みを感じても、自分をまったくゆるかせにしないところにあるのである。

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストにならいて/3・47・2

 

自分の仕事を大事にして、わたしの葡萄畑で忠実に働け。そうすればわたしはあなたの報償(むくい)となるだろう。書き、読み、歌い、嘆き、沈黙し、祈り、雄々しく辛いことを忍べ。永遠の生命はこれらのすべての戦闘(たたかい)、いな、いっそう大いなる戦闘をもする価値があるのである。いつか平和がくるだろう、その日は主がごぞんじであるが、そのときには、いまのような昼夜の区別がなくなって、いつまでも光あり、終わりなく明るく、揺ぎない平和と、安らかな憩いとがあるだろう。

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/3・49・3

 

 わたしはあなたの望みを知っているし、またしばしばあなたの嘆息を聞いた。

 

 あなたはいまからもう神の子たちの光栄の自由にはいりたがっている。いまからもう永遠の住居(すまい)、喜びの充ち満ちている天上のみ国に行きたがっている。

 

けれどもその時期(とき)はまだこない、というのは、今はまだその時とちがい、戦闘(たたかい)のとき、労苦(ほねおり)、試練(こころみ)のときだからである。

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/3・51・1

 

 わたしの子よ、あなたはいつも変わらずもっとも熱烈に、善徳を望み続けることはできないし、また最高度の観想をしつづけるわけにも行かない、かえって原始の堕落のためにときどきは身を貶(おと)して低いことに従い、この朽ちるべき人生の重荷を、しぶしぶながらも、いやいやながらも、担うことが必要なのである。

 あなたがその死すべき肉体を持っている間は、心にいやな気持ちと苦しみとを感ずるだろう。

 それゆえあなたは、肉をまとうている間は、しばしば肉の重荷を嘆かなければならぬ。なんとなれば、あなたはたえず霊の操(わざ)や神の観想にばかりふけっていることができないからである。

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/3・51・2

 

そういうときあなたにとってためになるのは、卑(ひく)い外部(そと)の仕事に逃れ、善業をして心を慰め、わたしが天から来て訪れるのを固い信頼を持って待ち望み、ふたたびわたしの訪問を受けてすべての苦しみから救われるまで、あなたの逐謫流浪(さすらい)と心のさびしさとを、忍耐強くこらえることである。

 

 なんとなれば、わたしはあなたに苦労を忘れさせ、内心(こころ)の安らかさを味わわせるだろうからである。

 わたしは聖書の緑野をあなたの前に展(ひろ)げて見せよう、そうすればあなたの心もひろびろとなって、わたしの戒律(おきて)の道を走りはじめることもできるだろう。そしてそのときあなたは、「この世の苦しみは、私たちの身の上にあらわれるべき将来の光栄におよぶものではない。」(ロマ書8・18)と言うだろう。

 

 

2.ヴァッスーラ

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P25

‘89・10・30

 

花よ、私の愛は: 我が受難 という贈物を あなたに捧げる。 我が受難。 それをくぐり抜けて 私のように御父をお喜ばせしなさい。 あなたを情熱込めて愛しており これが私の 霊魂たちにたいする愛の表し方です ♡ あなたの道案内となって 我が受難の道を案内させなさい。 霊魂たちには不平を言わないで耐え忍ぶように教えている そして一人ひとりその能力に応じて与える ヴァッスーラ、学びなさい: 完徳に達する道は一つです: 我が受難の道であり それは我が十字架です ♡ 愛を込めてそれを耐えなさい、忍耐をもって耐えなさい、私の十字架を抱きしめなさい 我が子よ、すべては間もなく終わろう そしてあなたはそばに来よう。 私を拝みなさい、拝みなさい、あなたを祝福する ♡

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P198

‘90・7・31 (まだネクタリオ修道院にて)

 

わが主よ、みことばで保障されましたように、生き返らせて下さい。私を捕らえている無気力の霊を取り除いて下さい。この霊はあとどのくらい私の上に留まっているでしょう? 私のうちに、絶え間なく熱意の霊を注ぎ入れて下さい。あなたの聖なる霊を私から取り上げないで下さい!

 

ヴァッスーラ、あなたを豊かに恵み、引き上げ 我が聖心のうちに置こうと待ちかまえている ♡ 私の金言に十分注意を払ってさえいたなら あなたの霊は我が霊とたえず一致していたであろう。 あなたはこぼしたり、うめいたりする、それでもこの聖心は あなたへの愛と哀れみで溢れ出す 霊魂よ! 与えたすべてを生かしなさい! 我が現存を忘れないように、努力しなさい! 私でないすべてから距離を保ちなさい、目を私に 私だけに向けていなさい。 あなたはみことばの器です、しかしそこで打ち寄せる時の流れにすぐ足をとられないように! あなたを呼び出し 契りを結び 私のものとしたのです。 たとえこうした流れを通り抜けようが、ともにいる、大嵐の中であろうが、これらはあなたを根こそぎにはしない。 たとえ毒蛇の巣の中を歩もうが、噛まれはしない。 あなたの道を歩きやすくした。 刺と茨に出会うたびに持ち上げよう。 あなたの弱さ そして唖然とするほどの無力に気がついている、それゆえあなたへの寛容も大きい。 そこで: 「あなたの霊はどこですか?」と言ったりしないように 私の霊はいつもあなたとともに在る 我が子よ。 聴きなさい、祈る時 せっかちになってはならない・・・こうは言わないように: 「神は弱さを大目に見て下さる、限りなく慈しみ深いお方だから。」そう言いながら罪を犯し続ける。むしろ耳を開いて 私のあらゆる対話を進んで聴きなさい 含みある格言さえ理解できるように 我が光を与えよう、あなたを救おうとして ともにいるからです・・・

 

絶え間なく讃美できますように 愛する主よ、私の心を整えて下さい。誘惑に囲まれ、あなたの現存を忘れてしまうのです。

 

もう分かったであろう? 正気に戻って来た・・・あなたの霊魂がいかにみじめな状態かに 気づき始めている ♡ あなたのうちに明りが点った。 歓びなさい 霊魂よ! 歓びなさい! 傍らに私が立っていなかったなら、あなたは立っているはずがないのです ♡ これからは注意を払い、決して心を沈ませないように、いつでも助けを求めて 私のもとに来なさい。 これで我がヴァッスーラ 転ぶのが最後となりはしない、私 主は転ぶたびに 毎回一層大きな同情と愛を込めて引き上げよう。 さあ 私を祝福し いとおしみなさい ♡

 

あなたを祝福します、主よ、父親のように育てて下さいましたお方。主の正しい道から私の歩みがまた逸れて行きましたら、急いで助けに来て下さい。

 

私の広大な力に頼っていなさい、愛に頼っていなさい。 今日は一度ならず私のもとに来てほしい、愛がそばにいる、あなたを祝福する ♡

 

後ほど、何かについて言及したのですが、自慢のように聞こえました。

 

娘よ、あなたにたいする私のわざを考慮しなさい、知っているつもりにはならないように。 人間は私が与えなければ 愛が何であるかを知らない、賢者さえも、知っていると言うかも知れないが、それを見い出すことはできない。 天上から命を下し みことばは地上に反射する、みことばを送ると 凍えきった心は溶かされ ぬくもりが生じる。 精神を高め 識別の霊を求めなさい。 このメッセージ全体を宣言できるように 欠点があろうとあなたを支える 皆の耳に届くために ♡

 

 

3.ルイザ・ピッカレータ

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/4巻P66

 

 以上のことを三人の方たちが話しているあいだ、私は愛するイエスを非常によく区別していました。その方の中に人間性の姿を認めていたからです。イエスのおかげでのみ、私は彼ら三人の存在のみ前に留まる勇気を保っていました。そうでなければ、いったい誰があえてそれをしたでしょうか? 被造物を神性の玉座にまで昇らせ、私たちに三位一体との会話を許すことによって、恩恵という賜物を獲得することができるようにするためにイエスがお取りになった人間性こそが、我ら被造物との接触の可能性を開いてくださったのです。なんと幸せなひとときを味わい、なんと多くの事を私は理解したことでしょう! それを書き表すためには、いつか私の魂が身体から解放されて、イエスのもとにいるときに書く必要があります。事実、身体の中に閉じ込められているときには、牢獄の暗闇、神秘的太陽からの遠距離、主を見ることができない苦しみなどが、何も書けないようにしてしまいます。とにかく私はこの惨めな身体に閉じ込められ、つながれて、苦しみのうちに生きることを余儀なくされています。弱く、牢屋に入れられた者として生きているこの惨めな罪人を、主よ、同情してください。あなたの元に飛んでゆき、もう帰ることがないように、どうかこの牢獄の壁を早く打ち壊してください。

 

 

4.サンダー・シング

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書P245/神との対話

 

信ずる者とそうでない者の生活は、初めのうちは大差なくみえるが、最後は蛇と芋虫ほどの差が生じる。蛇は幾度脱皮しようとやはり蛇である。だが、芋虫は醜いサナギを脱皮して新しい生物となり、美しい蝶となって空を舞う。同じように、信じる者は肉体を脱して霊的栄光の域に入り、天をいつまでも駆けるようになるが、罪人は死んでもやはり罪人である。

 芋虫はまた、十字架に括り付けられたかのように、木に張りついたサナギの中でもがき苦しむが、この苦しみが翼に力を与えて新生命に備えさせる。同じように、わが子らも地上にあって霊的戦いに苦しみ解放のときを溜息とともに待ちこがれるが、十字架を負う中でわたしから力を与えられ、終りなき生命に対して完全に準備する。