スフィア

支配愛

 

1.匂い

2.スフィア[霊気]の衝突から起こってくる不安

 

 

1.匂い

 

天界の秘義1514

 

スフィアはまた匂いによって感覚に認められ、これを霊たちは人間よりも遥かに精妙にかいでいる、なぜなら言うも驚くべきことではあるが、匂いはスフィアに相応しているからである。

 

 

天界の秘義1520

 

 しかし霊の内部をその霊の外側に拡がり、また発出しているスフィアにより、同じくまた匂りによっても認めることができることについてこれまで言われた事柄については、その内部は必ずしも認められることはできないのであり、さらに霊たちの性質が他の者の前に必ずしもむき出しにされないためにそれらは主により色々な方法で調節されていることを知らなくてはならない。

 

 

 

天界の秘義7454〔2〕

 

なぜならそのスフィアは認識を持った者たちから、時には非常な遠距離からでも認められ、しかもそれはその霊またはその社会が隠れていて、思考または言葉により(自らを)伝達しないにしても認められているからである。こうした霊的なスフィアは、世で人間の身体を囲み、人間から染み出て、臭覚の鋭い獣からかがれるスフィアである物質的なスフィアに譬えることが出来よう。

 

 

天界の秘義7454〔3〕

 

人間がこの世で考え、語り、行ったことは何であれ一つとして隠れはしない。なぜならこうしたものがスフィアを作るのであり、人間がこの世で身体の中にいる間にもその霊から流れ出ており、そこからその者の性質も知られている。それで人間が秘かに考え、また秘かに行う事柄は隠れていると信じてはならない。なぜならルカ伝の(以下の)主の御言葉のようにそれらは真昼の光の中に現れるもののように天界で明らかに示されるからである。

 

 覆われている物で明らかに示されないものは一つとしてない、または隠れている物で知られないものも一つとしてない、それで何であれあなたらが暗がりの中で言ったことはことごとく光の中に聞かれ、寝室で耳もとで話したことも、家の屋根からふれ伝えられるであろう(ルカ12・2,3)。

 

 

 

霊界日記3333

 

人間に知られているただ一つのスフィアは匂い(かおり)である。

 

 

2.スフィア[霊気]の衝突から起こってくる不安

 

天界の秘義5179

 

 わたしはかつて胃下部に不安な感情をみとめたが、そのことからそのような霊が近くにいることがわたしに明白となった。わたしはかれらと語って、あなた方のスフィアは不安を生み出し、わたしのもとにいる霊たちのスフィアとは一致しないから、あなた方は去らなくてはならないと言った。そのときわたしはかれらとスフィアについて語って、以下のように言った、人間のまわりには非常に多くの霊的なスフィアがあるが、人間は、凡て霊的なものと呼ばれているものを否定し、また或る者は、凡て目に見えず、触れないものはことごとくと否定しているため、それが事実であることを知らないし、また知ろうともしない、かくて霊界から発して、人間の生命に一致したスフィアが人間を包囲しており、そのスフィアにより人間は情愛の類似した霊たちと交わっている、またそのことによって多くの事柄が起るが、凡ゆる物を自然に帰している人間はそれを否定するか、またはさらに不可思議な自然に例えば運に帰しているのである、なぜなら或る人々はその経験によって、運と呼ばれるものが秘かに働いていることは充分納得はしてはいるが、その源泉の何であるかは知らないからである。このかくれたものは霊的なスフィアから発していて、摂理の究極的なものであることは、他の所に主の神的慈悲の下に経験により証明されたものから示すことにしよう。

 

 

天界の秘義10312

 

それでも依然スフィア[霊気]の衝突から起こってくる不安が感じられた。なぜなら霊たちの情愛とそこから生まれてくる思考との生命から流出してくる霊的なスフィアが凡ゆる霊たちと霊たちの社会とをとり巻いており、それでもし情愛が相反しているなら衝突が生まれ、それが不安の念を引きおこすからである。

 

 

 

天界の秘義6493

 

 凡ゆる物は、いな、凡ゆる物の中でも最小のものでも、最小のものの中でも最小のものでさえも、その一歩みそのものでさえも、主の摂理により左右されており、それに反したスフィアが支配するときは、不運なことが起こるのである。かれらはまた以下の事実を確認した。すなわち、偶然というようなものはない。偶然、または幸運と見えるものも、凡ゆる物が比較的不定なままに存在している秩序の究極的なものにおける摂理である。

 

 

天界と地獄17

 

 

天界の秘義1504

 

 他生では他の人間は、たとえその人間は語らないにしても、先ず近づいてくるのみでそのいかようなものであるかが知られているとすでに述べておいた。このことから人間の内部は一種の無意識な活動の状態の中にあって、そこから霊の性質が認められていることを知ることができよう。それがそうであることはこの活動のスフィア[霊気]は単にそれ自身を遠方に拡げているのみでなく、主が許されるときは、時々また感覚に色々な方法で認識されるようにされているという事実により証明されている。

 

 

天界の秘義1505

 

そのスフィアはいわば人間自身の外側に拡がっているその人間の映像であり、事実その人間の中にある凡てのものの映像である。

 

 

天界の秘義1508

 

それもかれらはやや遅れて脱ぎ去ってしまうのである、なぜならかれらは善良であって、それを脱ぎ去ろうと努めているからである。

 

 

天界の秘義1510

 

霊は各々―まして霊たちの社会はことにそうであるが―その者の主義と確信[信念]からその者自身のスフィアを持っていて、そのスフィアはその者の主義と確信とのそれである。

 

 

天界の秘義1513

 

なまぬるい者

 

 

天界の秘義4464[]

 

 人間はその幾多の情愛の生命に順応している一種の霊的なスフィア[霊気]に取り囲まれており、天使たちにはこのスフィアは、匂いのスフィアが地上の最も精妙な感覚に認められるにもまさって認められていることを人間は知ってはいないのである。もし人間の生活が単に外なる事柄の中にのみ送られるなら、すなわち、隣人に対する憎悪から、その憎悪から生まれてくる復讐と残酷から、姦淫から、自己高揚とそれに付随した他の者に対する軽蔑から、秘かな強奪から、貪欲から、詐欺から、贅沢から、その他それに類した幾多の悪から発してくる快楽の中に送られたら、そのときはその者を取り囲んでいる霊的なスフィアは、この世で死体、糞、悪臭を放つ食物の屑といったようなものから発してくる匂いのスフィアのような嫌忌すべきものとなるのである。このような生活を送った人間は死後この嫌忌すべきスフィアを携えて行くのであり、彼は全くその中にいるため、このような性質をもったスフィアの場所である地獄の中に必然的にいなくてはならないのである(他生のおけるスフィアとそれがどこから発してくるかについては、1048、1053、1316、1504−1519、1695、2401、2489番を参照されたい)。

 

 

天界の秘義7678

 

いな、神的な善[神の善]から発出している神的な真理には、それを通して宇宙の凡ゆる物が創造されているほどの力が存在しているのである。ヨハネ伝の『聖言(ことば)』はこの真理を意味している―

 

 はじめに聖言(ことば)があった、聖言は神とともにあり、神は聖言であられた、あらゆる物はかれにより作られた(1・1、3)。

 

奇蹟がモーセにより行われたのはこのことから起っている、なぜならモーセは神的な真理[神の真理]を表象しているからである。聖言、または神的な真理はたんにエホバから発した言葉にすぎない、それがそのように為されなくてはならないという命令であると大半の人々から信じられてはいるが、しかしそれは、それから、またそれにより凡ゆる物が作られる本質的なものそれ自身であるのである。エホバから発出するかの存在(esse)が、従って凡ゆる物の発生(existere)が『神的な真理[神の真理]』により意味されるものである。このことは天使たちから説明することができるのであり、すなわち、天使たちからは仁慈と信仰とのスフィア[霊気]が発出しており、それは明らかに認められ、またそれは驚くべき結果を生み出しているのである、このことから主の神的善から発出する神的真理をやや考えることができよう。

 

 

霊界日記3167

 

いくども以下のことが認められた、すなわち、世では最大の貴さ[高位]を与えられた人物は、例えば、王として生まれ、幼児時代から高貴と他の者に対する卓越の資質を得ている王は多くの年の後までも、恐らく百年または千年後までもそのスフィア[霊気]を隠したり、棄て去ることは出来ないのである。しかし依然その高貴のスフィアは、いかような者も乱さないほどに、誠実と善良とのスフィアと連結しているのである。そのような者として生まれ、正しくまた善良でもある者たちにはまた道徳的な霊たちにより一種のそれに相応した従属[服従]が示されている、なぜなら何人をも害しないで、凡ゆる者に恩恵を与えることは善良な霊に属しているからである。それで、或る一人の者は、そうした相応したスフィアを持っていないで、他の性格を持っていることが発見されると、あなたには外なる拘束するものの中で何かが欠けている、と告げられた、それが欠けていたため、彼は容易に彼自身の性質の中へ突入したのである。

1748年[60歳]9月15日

 

 

結婚愛171

 

妻はその愛から発出しているその生命のスフィアを通してその夫に連結している。

 

 

天界の秘義9303

 

主の三一性について

 

このことは天界の天使から考えることが出来る。天使は人間の形をとって現れているが、それでも彼の中には三つのものが在って、それが一つのものとなっている。眼前には現れていない内なるものが在り、実際現れている外なるものが在り、その天使から遠方までも注ぎ出されているところのその情愛と思考とのスフィアが在るのである。この三つのものが一人の天使を作っている。

 

 

天界の秘義1080

 

「そして外にいる二人の兄弟に告げた」(創世記9・22)。

 

これはかれが嘲ったことを意味していることは今言ったことから当然の帰結として生まれてくる。なぜなら仁慈の中にいない者らのもとには、他の者に対する不断の軽蔑があり、または不断の嘲笑が在って、機会のある毎にかれらの過誤を公にするからである。かれらが公然と行動しないのはひとえに外なる拘束物に抑制されているためであり、すなわち、法律を恐れる恐怖、生命を、名誉を、利得を失いはしないかとの恐怖、またそうしたもののために世間の評判を悪くはしないかとの恐れに抑制されているためであって、このことがかれらはうわべでは友情をつくろってみせてはいるものの、内ではそうしたものを抱いている理由となっている。ここからかれらは二つのスフィアを得ているが、それらは他生では明白に認められている。すなわち一つは内的なもので、憎悪に満ちているが、他の一つは外的なもので、善いものを模倣している。これらのスフィアは元来全く調和しないものであるため、互に衝突しないわけにはいかないのであり、それで外的なスフィアがかれらからとり去られて、かれらがいつわることができなくなると、かれらは凡ゆる邪悪に突入するのであり、それが取り去られないときは、憎悪がかれらの語る一つ一つの言葉の中にひそんでいて、それが認められるのである。ここからかれらの刑罰と拷問とが起っている。

 

 

天界の秘義1048

 

「虹が雲の中に見られるであろう」。

 

これは、それでも人間は再生することができるようなものであるとき、を意味していることは『雲の中の虹』の意義から明白であって、それは前に言ったように、再生のしるしであり、または再生を指示するものである。『雲の中の虹』についてはその実相はさらに以下のようである。人間の性質は、または身体の死後の霊魂の性質は直ちに知られている、すなわちそれは主により永遠から知られており、またそれが永遠に如何ようなものになるかも知られている。かれの性質は天使たちによりかれが近づくその瞬間に知られている。或るスフィア[霊気]がかれの性質からまたはかれの中の凡ゆる物から―いわば―発散しており、このスフィアは、驚嘆すべきことには、そこからその人間が如何ような信仰にまた如何ような仁慈にいるかを認められることができるといったものである。主がよしとされるとき、虹として見られるのはこのスフィアである。(このスフィアについては、主の神的慈悲の下に今後述べよう)。ここから雲の中に見られるときの虹によりここに意味されていることが明白である。すなわち、人間が再生できるとき、が意味されているのである。

 

 

天界の秘義1316

 

 こうした状態が人間を支配すると、それに似たものがかれの考える個々の思考のすべての中に存在し、その思考の最小の事項の中にさえも存在するのである、なぜならたれであれその人間を支配するものは何であれ、そのようなものになるからである。

 

[2]このことは身体の生命の中では他生における程には明白に現れない、なぜならそこではたれであれその人間を支配しているものはことごとく何かのスフィア[霊気]によってそれ自身を明らかに示しており、このスフィアはその者の周囲の凡ての者によって認められ、それがそうした性格を持っているのは、それがその人間の中にある個々の凡てのものから発散しているためである。凡ゆる事柄の中で自分自身を顧慮する者のスフィアはそのスフィアそのものに有利ならものをことごとくそれ自身に専有し、また、そこに言われているように、それをことごとく吸収してしまうためこうした人物は社会から追放されなくてはならないのである。

 

 

天界の秘義9606

 

天界ではスフィアが連結する。各々の者のもとでこれらのスフィアは真理に対する、また善に対する情愛の生命から発散しておりそこから遠方へひろがっている。ここから愛の天使の性質は遠方からでも知られている。

1048、1053、1316、1504〜1520、1695、2401、2489、4464、5179、6206、6598〜6613、7454、8630、8794、9490〜9492、9498、9534

 

 

天界の秘義7454

 

霊は各々、まして社会は各々その霊または社会の信仰のスフィアに取り囲まれている。そのスフィアは認識をもった者たちからときには非常な遠距離からでも認められる。

1048、1053、1316、1504、1519、2401、2489、4464、5179、6206

 

人間がこの世で考え、語り、行ったことは何であれ一つとして隠れはしない。なぜならこうしたものがスフィアを作るのであり、人間がこの世で身体の中にいる間にもその霊から流れ出ており、そこからその者の性質も知られている。それで人間が秘かに考え、また秘かに行う事柄は隠れていると信じてはならない。なぜならルカ伝の主の御言葉のように(12・2−3)それらは真昼の光の中に現れるもののように天界で明らかに示されるからである。

 

 

ルカ12・2−3

覆われているもので現わされないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはない。だから、あなたがたが暗闇で言ったことはみな、明るみで聞かれ、奥の間で耳にささやいたことは、屋根の上で言い広められる。

 

 

霊界日記3441

信念(説得)のスフィア

 

ここから或る人間の信念はその人間から教えられる者らに、かくてこの教師の信念はその弟子に―その弟子は王ではあったものの―いかに強力に働きかけるかが明らかとなるであろう。

 

 

悪と善とは共存できない

 

真の基督教331

 

悪と善とは共存することは出来ない。悪が除かれる限り、善は善として認められ、また感ぜられる。なぜなら、霊界には各人からその人の愛のスフィアが発散し、それがそれ自らを周囲に拡げ、同感と反感とを生み、このスフィアによって善い者は悪い者から分離される。善が知られ、認められ、愛される以前に、悪は除かれねばならぬことは自然界の多くの物との比較によって説明することが出来よう。例えば、豹や虎を部屋に置き、これに食事を与えているために、自分自身はこれから襲われる惧れのない者を、その野獣が取り去られない中は何人も訪問することは出来ないのである。王と王妃の食卓に招かれた者であって、その前に侍る前に、自らの顔と手を洗わない者があろうか。誰が十分に身を洗い、婚礼の衣裳を着けない中に、婚礼の式後、花嫁と共に花婿の部屋に入るであろうか。誰が純粋な金と銀を得る以前に、鉱石を火に精錬し、塵芥とかなくそを取り去らないであろうか。如何なる農夫が小麦を納屋に納める以前に、これを雑草と毒麦から分離しないであろうか、また大麦をその穀倉に貯蔵する以前に、その穀粒を籾殻から分つために、これをカラザオで打たないであろうか。生の食物は食卓に運ばれる前に、料理されないであろうか。たれが葉が食い尽くされて、果実が傷められるのを防ぐために、庭の木を揺すぶって、毛虫や昆虫を除去しないであろうか。誰が、特に君主をあるいは君主の娘であろう花嫁を迎えようとする時、己が家の汚い塵を掃き出さないであろうか。にきびや腫れ物で蔽われている娘が、たとえ如何ほどその顔に化粧し、立派な衣服で身を飾り、その会話で相手を魅惑しようと努めようとも、誰がこれと恋愛に入り、結婚しようとの心を持つことが出来ようか。人は自己自身をもろもろの悪から浄めなければならない、しかして、彼は主がこのことを自らのために為して下さると期待してはならない。もしそれを期待するなら、彼はその顔を衣服が煤と汚物に汚れた召使がその主人の許に行って、「旦那さま、私を洗って下さい」と言うようなものである。主人はその召使に向かって、「愚者よ、お前は何を言おうとしているのか、見よ、水、石鹸、手拭がある、お前には手がないのか、それを用いる力がないのか、行って自分を洗いなさい」と言わないであろうか、そのように主なる神は、「お前達は、私から浄めの方法を、すなわち意志と能力とを持っている、これを私の賜物として用いよ、然すればお前達は浄められるであろう」と語り給うであろう。外なる人は浄められなくてはならないが、しかしそれは内なる人によらなくてはならないことは、主によってマタイ伝の23章全般に教えられている。

 

 

11.似たものは似たものに連結する

 

天界の秘義6206[2]

 

 人間がこのようにして悪をかれ自身のものとすると、かれはその悪のスフィアを自らのために得、そのスフィアに、地獄から来ていて、それと同じような悪のスフィアの中にいる霊どもがその者ら自身を接合させるのである。なぜなら似たものは似たものに連結するからである。人間または霊のもとに在る霊的なスフィアはその者の愛の生命から流れ出て発散しているものであり、そこからかれの性質は遠方でも知られるのである。他生の凡ての者はスフィアに順応して共に連結しており、社会もまた相互にそのように連結しているが、またそのスフィアに従ってそれらは分離しているのである、なぜなら対立したスフィアは衝突し、互に他に反撥し合うからである。それで悪の愛のスフィアは凡て地獄に存在し、善の愛のスフィアは凡て天界に存在している。すなわち、そのスフィアの中にいる者たちがそこにいるのである。

 

 

 

 

天界の秘義8067 (支配愛)

 

それがそうであることは、霊または天使を囲んでいる霊的なスフィアから明白である、なぜなら彼が近づいてくると、そのスフィアから彼はいかような信仰を、いかような仁慈を持っているかが知られ、また彼が心に抱いている多くの事柄も知られ、しかもそれがその時彼はそれらのものについて考えていないにも拘らず知られるからである。

 

 

 

神の愛と知恵291

 

スフィア[霊気]は天使そのものではない、それは彼の身体の一切の物から発出しており、その身体の一切の物から原質は流れのように絶えず流れ出ており、その流れ出ているものが彼を囲んでいるのである、また、天使の身体に近接しているこの原質は彼の生命の運動の二つつの源泉である心臓と肺臓とによって絶えず動かされているため、大気の中にも、同一の活動を起こし、それによって他の者に彼がそこにいるように認めさせている、

 

 

 

神の愛と知恵293

 

スフィアは単に天使と霊のみからではなく、霊界に現われる一切の物からも―木からもその果実からも、灌木からも、その花からも、草からも、牧草からも、土とその分子そのものからさえも流れ出ることが認められた。このことから生きた物の場合にも、死んだ物の場合にも、以下のことが普遍的な法則であることが明らかになったのである、即ち、各々の物はその内に在るものに似た物により囲まれ、その物は不断にそこから放出されている。それは自然界でも同一であることは、即ち、人間から、また動物各々から、同じく木、果実、灌木、花からも、鉱物や、石からさえも波のような発散気が流れ出ていることは多くの学者の観察から知られている。これを自然界は霊界から得、霊界は神的なものから得ているのである。