お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に わたしは敵意を置く。

彼はお前の頭を砕き お前は彼のかかとを砕く。

創世記3・15

かかと

 

 

 

1.聖書

2.スウェーデンボルグ

3.聖母から司祭へ

4.アグレダのマリア

 

 

1.聖書

 

創世記3・15

 

お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に

わたしは敵意を置く。

彼はお前の頭を砕き

お前は彼のかかとを砕く。

 

 

2.スウェーデンボルグ

 

天界の秘義250

 

15節「またわたしは、おまえとその女の間に、またおまえの裔と女の裔の間に敵意をおこう。かれはおまえの頭をふみにじり、おまえはかれのくびす[かかと]を傷つけるであろう。」これは主が世に降臨されることを予言している最初のものであることはたれでも知っており、実にそのことは言葉そのものから明らかに現れているため、それでそこからまた予言者の書からユダヤ人でさえもメシヤは来られるにちがいないことを知ったのである。しかしこれまでたれ一人『蛇』『女』『蛇の裔』『女の裔』『踏みにじられる蛇の頭』『蛇のきずつけるくびす[かかと]』により特に何が意味されているかを理解していないのである。それでそのことを説明しなくてはならない。『蛇』によりここでは全般的に悪の凡てが、とくに自己への愛が意味され、『女』により教会が意味され、『蛇の裔』により凡ゆる不真実[不信仰]が、『女の裔』により主に対する信仰が、『かれ』により主御自身が、『蛇の頭』により全般的に悪の支配が、特に自己への愛の支配が意味され、『ふみにじる』により、『腹ばって、塵を食べる』までもおさえつけられることが、『くびす[かかと]』により蛇の害う最低の自然的なもの(すなわち形体的なもの)が意味されているのである。

 

 

天界の秘義251

 

『蛇』が全般的に悪の凡てを、とくに自己への愛を意味している理由は悪はことごとく心の感覚的な部分から、またかの記憶知から発していて、それらが最初蛇により意味されたということであり、それゆえそれはここでは凡ゆる種類の悪を、特に自己への愛を、またそれと同一の、隣人と主に対する憎悪を意味している。この悪または憎悪には多様なものがあって、それは多くの種族とさらに多くの種類から成っているため、聖言ではいろいろな蛇として、例えば憎悪である毒の相違に応じて、『スネーク』、『コカトリス』、『アスプ』、『毒蛇』、『火蛇』、『飛ぶ蛇』、『這う蛇』、『蝮』として記されている。(中略)

 

創世記のここに記されている蛇は黙示録では『大きな赤い竜』、『年をとった蛇』、また『全世界を欺く悪魔、悪鬼』と呼ばれており(12・3、9、20・2)、そこにはまた他の所の『悪魔』により他の者に君臨するたれか特殊な悪魔が意味されているのでなく、悪霊の一味全部と悪そのものとが意味されているのである。

 

 

 

神の摂理211

 

神的摂理は何人もその存在を殆ど知らない程に秘かに働く理由は人間が滅びないためである。なぜなら人間の意志である人間の自己性は神的摂理とは決して協力せず、人間の自己性はそれに対して生れ乍らの敵意を持っているからである、なぜならこれが最初の両親を誘惑した蛇であって、それについては、『私はおまえと女との間に、おまえの裔と女の裔との間に敵意を置こう、彼はおまえの頭を砕くであろう』(創世記3・15)と言われているから。蛇は凡ゆる種類の悪を意味し、その頭は自己愛であり、女の裔は主であり、人間の自己性と主の間には、それ故また人間の深慮と主の神的摂理の間には敵意が置かれている、なぜなら人間自身の深慮は絶えずその頭をもたげ神的摂理は絶えずそれを押さえつけられているからである。もし人間はそれを感じるなら、彼は神に向かって怒り、憤激し、滅びるであろう、しかし彼はそれを感じないため、人間に対し、自分自身に対し、運命に対し怒り、憤激することは出来るが、しかしそのために滅びはしないのである。この理由から主はその神的摂理により絶えず人間を自由の中に導かれ、この自由は人間には全く人間自身のものとして見えている。

 

 

 

3.聖母から司祭へ

 

聖母から司祭へ1973.11.1

 

 以前にもまして今こそ、私を見いだす人は生命を見いだし、主から救いを得るでしょう。

 私の敵はそれだけを恐れています。それで悪魔は、信者の心をもっと私から遠ざけ、教会の中で私をもっとぼんやりと不明瞭なものにしようとあらゆる努力をするでしょ。悪魔は私との激しい戦い、どちらかが決定的に打ち負かされる天下分け目の戦いに取り組んでいます。

 現在、多くのことから見ると、私の敵である悪魔が勝利者のように見えますが、私へのこの上なく大いなるたちかえりと私の圧倒的な勝利の時が近づいて来ました。

 私の子である司祭たちが、決定的な闘争において、私と共にいることを私は望んでいます。彼らは私に導かれ、私の命令に素直で、私の望みに従順、私の要求に敏感であってくれるでしょう。

 私自身をかれらにおいて現し、彼らによって敵の心臓部を打ち、わが踵でその頭を踏み砕くでしょう。

 

 

聖母から司祭へ1989.12.8

 

 最初からわたしは、悪魔の敵として、悪魔に対して完全な勝利を得る者として予言されたのです。

「おまえと彼女との間に、また、おまえの子孫(すえ)と彼女の子孫(すえ)との間に、わたしは敵意を置こう。彼女は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、そのかかとを噛むであろう」(創世の書3・15)

最後に、わたしは、赤い龍とその力強い軍隊に対して戦う役目のある太陽に包まれた婦人として表現されています。それは、赤い龍に打ち勝ち、それを縛り、死の国に追い出すためです。こうして、キリストだけが、この世に王として支配することが出来るでしょう。そのために、聖書の中で、わたしは母である輝かしい后として示されています。

「壮大なしるしが天にあらわされた。太陽に包まれた婦人があり、その足の下に月があり、その頭に十二の星の冠をいただいていた」(黙示録12・1)

 そうしますと、わたしの頭には、十二の星の冠があります。

冠は王権を示しています。

その冠は、十二の星から成り立っています。それは、神の民の真ん中に、わたしが母として后として現存している“しるし”です。

 

 

聖母から司祭へ1992.10.7

 

 わたしは、天使たちの后です。なぜなら、サタンにうち勝つ最も大きな、そして重大な使命を果たすために主からわたしがつかわされるのは、わたしの計画そのものに属するからです。

 事実、わたしは、はじめから、蛇の敵となる者、蛇に対して戦いをいどむ者、最後に蛇の頭をふみ砕く者として予言されていた者だからです。

「おまえとかの女(おんな)のあいだに、またおまえの子孫(すえ)とかの女の子孫(すえ)とのあいだに、わたしは敵対をおこう、かれは、おまえの頭をふみくだき、おまえは、かれのかかとをかむであろう。」(創世の書3・15)

 わたしの子孫(すえ)とは、キリストです。

 

 

聖母から司祭へ1994.12.24

 

「わたしは、おまえとかの女(おんな)、おまえのすえとかの女のすえとの間に敵対をおこう。かの女は、おまえの頭をふみくだくだろう。」

 わたしの“すえ”とは、この聖なる夜に生まれて来られる、神であるわたしの子です。この方こそ、悪魔にうち勝つ方です。なぜなら、かれは、人となられたおん父の“みことば”であり、神と人類とのあいだの唯一の仲介者、唯一の救い主、そして同時にあがない主だからです。

 

 

4.アグレダのマリア

 

アグレダのマリア/神の都市/P314

 

主は彼らに、敵として迫害しているこの「女」の偉大さと優越さを理解させます。聖母に対抗しようとする馬鹿さ加減を認知することになります。もっと恐ろしいことは、聖母が御胸の中に秘蹟にこもられたキリストを抱いておられることです。神が聖母を抱き、悪魔たちを辱め、投げ飛ばし、滅ぼす、神の全能の中に聖母を包んでおられることでした。悪魔たちに神の御声が聞えます、「不敵で強力な我が腕が支えるこの盾により、我は我が教会を絶えず守る。この『女』、古代の蛇の頭を踏み砕き、蛇の厚かましい誇りに打ち勝ち、我が御名に誉れを帰するなり。」