踵(かかと)
お前と女、お前の子孫と女の子孫の間にわたしは敵意を置く(創世記3・15)/
1.聖書
2.スウェーデンボルグ
3.聖母から司祭へ
4.マリア・ワルトルタ
5.ヴァッスーラ
6.グリニョン・ド・モンフォール
1.聖書
創世記3・15
お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に
わたしは敵意を置く。
彼はお前の頭を砕き
お前は彼のかかとを砕く。
2.スウェーデンボルグ
天界の秘義259
『かかと[くびす]』により最低の自然的なものが、または形体的なものが意味されていることは、最古代の人々が人間の種々なものを考えた方法が知られない限り、知ることは出来ない。彼らは人間の天的な霊的なものを頭と顔に帰し、(仁慈と慈悲のような)そこから生まれてくるものを胸に、自然的なものを足に、最低の自然的な形体的なものをかかと[くびす]に帰したが、単にそれらをそこに帰したのみでなく、それらをそのように呼びもしたのである。理性の最低のもの、即ち、記憶知もまたヤコブがダンについて予言したものにより意味されたのである―
ダンは道の上の蛇、小道の上の毒蛇となり、馬のかかとを噛むと、それに乗った者は後へ倒れる(創世記49・3)。
またダビデの書に―
わたしのかかとの不法はわたしを取り囲んだ(詩篇49・5)。
同様にヤコブが母胎から出て来た時彼について述べられていることによっても意味されている―
彼の手はエソウのかかとを掴んだ、そこから彼はヤコブと名づけられた(創世記25・26)。
『ヤコブ』により意味されているユダヤ教会はかかとを傷つけるため、ヤコブの名は『かかと』から来ているのである。蛇は単に最低の自然的なものを害うことが出来るのみである、しかしそれは蝮の種類でない限り、人間の内的な自然的なものを害うことは出来ないし、まして彼の霊的なものは害うことは出来ないし、その天的なものは些も害うことは出来ないのであり、主はそれらを人間に知られぬままに人間の中に保存され、貯えておかれるのである。主によりこのように貯えられたものは聖言では残ったものと呼ばれている。蛇が洪水以前の人々の中の最低の自然的なものを感覚的な原理と自己への愛により破壊し、ユダヤ人の間では、感覚的なものと伝承と些末事と自己と世を求める愛により破壊してしまった方法は、また蛇が今日もいかようにして、感覚に、記憶知に、哲学に属したものにより、同時にその同じ愛によりその最低の自然的なものを破壊してしまったか、また破壊し続けているかは、主の神的慈悲の下に今後述べよう。
続最後の審判62
この悪の最悪なものは、『女の裔により害われ、その裔のくびすを傷つける蛇の頭』(創世記3・15)により意味されている。『女の裔』である主の『くびす』は、発出して究極的なものとなった神的なもの、即ち文字の意味に於ける聖言である。
3.聖母から司祭へ
マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩上P43
彼女が生まれる今、お前の憎しみを吹いてもよい、サタン。この小さな女の子はお前に打ち勝った! お前が反逆者になる前、人を堕落させる前にお前はもう負けたのであった。サタンよ、お前の力に対して、どんな軍隊でも打ち勝つことなく、お前の息の悪臭を散らせる風もない。それでも、チューリップの杯に入れるほどの小さいあの幼な子のバラ色にほんのり染まった椿の芯のようなかかとは、お前をお前の洞穴へ追い返す。その産声は、どんな軍隊をも恐れないお前を逃亡させ、その息は、この世を悪臭から清める。お前は負けたのである。彼女の名前、彼女のまなざし、彼女の清さはお前を突き刺し、倒し、創られた“すべての”人間の父である喜びを、神から奪った呪われたものお前を、また地獄の洞穴に閉じ込めるのである!
聖母から司祭へ1989.6.28
あなたたちは、わたしの踵、すなわち、わたしのいちばん弱く、こわれやすい部分をなし、わたしの末に属しているので、サタンは、あなたたちに対して、はげしく攻撃します。
(中略)
大きな艱難のこれらの時代に、イエズスの証人となりなさい。福音書と黙示録によって予言された時代がやってきたのです。キリストに背く者の勢力によって統一された悪の力は、天と地に大きな不思議を行い、人類の大部分をまどわそうとしています。
あなたたちは、イエズスに対して英雄的な証をするために、しっかりと、とどまりなさい。
キリストの敵として現われる者の強い力に対して、わたしと共に戦いなさい。
最後に、キリストの光栄ある凱旋のうちに、わたしの偉大な勝利を喜びをもって眺めることができるでしょう。
4.マリア・ワルトルタ
マリア・ワルトルタ29・10/天使館1巻P240
わたしは、神が私に知らせようとなさったことのみを一途に知ろうとし、自分自身に、あるいは神に対して、自分に言われたこと以外何一つ尋ねず、暴飲暴食、知識欲、所有欲に打ち勝ちました。何やかやと詮索せずに、わたしは信じました。わたしが快楽の暴飲暴食に打ち勝ったのは、味覚に耽溺することを一切拒否したからです。わたしは自分の肉を足の下に置きました。サタンの道具である肉を、天に上る階段とするために、わたしはサタン諸共踵で踏みつけました。 天! それはわたしの目的です。神が在したのはあそこです。わたしの唯一の渇望です。食い意地ではなく、神に祝福される必然の飢えであり、彼はわたしたちが彼に飢え渇くことを望んでおられます。
色欲にわたしは打ち勝ちました。色欲は大食に至る貪婪です。抑制されない悪癖は、より大きな悪癖に導くからです。エバの貪欲は、すでにそれだけでも咎められるべきですが、さらに彼女を色欲へと導きした。一人で満ち足りるだけでは済まなくなりました。自分の犯罪を、計算された強度にまで押し進めようとし、伴侶の色欲の師となりました。わたしは状況を逆転させ、下降する変わりに常に上昇しました。わたしの連れ合いである誠実な男を、下降させる代わりに常に高みへと引き上げ、彼を天使にしました。
5.ヴァッスーラ
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/6巻P95
‘92・7・2
サタンの言葉は致命的に聞こえ どの国たみに対しても勝ち誇り その勝利は栄えあるものに見えます、けれど、ヴァッスーラ、間もなく私が サタンを征服します、これは私の戦いですから。
6.グリニョン・ド・モンフォール
グリニョン・ド・モンフォール/聖母マリアへのまことの信心/山下訳/54/P69
第B項 世界終末の勇士たち
しかし、マリアが悪魔に対してもっている絶大なちからは、とりわけ世の終りごろ、その偉力を最高に発揮するでしょう。世も終りに近づくと、悪魔はますますいきり立ってマリアの“かかと”に襲いかかるのです。マリアのかかとは、マリアが悪魔との決戦に召集した、名もなく卑しいマリアのしもべ、貧しく謙遜なマリアの子たちです。なるほど、かれらは、世間の目からみれば、小さな者、貧弱な者であるでしょう。すべての人から、足のかかとのように、さげすまれてはいるでしょう。かかとが、からだの他の部分から踏みつけられ、痛めつけられているように、この人たちも、世の人びとから踏みつけられ、痛めつけられてはいるでしょう。
だが、神のみまえでは、まったくちがいます。世の人びとからの評価と処遇とは正反対に、この人たちは、神の恩寵に富んでいるでしょう。マリアが、それらに、豊かに、分配してくださるからです。かれらは、神のみまえにおいては聖徳の巨人、熱烈な愛においては衆を抜いているでしょう。神の助けに強く支えられたかれは、自分の“かかと”の謙遜を武器として、マリアと一つとなって悪魔の頭部を粉砕し、めでたくイエズス・キリストに勝利のがい歌をあげさせるでしょう。