知っている

だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は(マタイ10・32)

 

 

天界の秘義2230

 

「わたしはかれを知っているからである」。これはそれが真であることを意味していることは、『知ること』の意義から明白である。本来から言って、誰かを『知っている(cognoscere)』ことはその者がこれこれの性質を持っていることを知っている(scire)ことであり、それはその言葉が何かに、または他の何かに用いられるときも同一である、すなわちそれを『知っている』ことはそうしたものがその性質であることを知っていることであり、それで『知っている(nosse)』ことは述べられているものに言及していて、それは連続した事柄に応じて意味されているものがそのようなものであり、または真であるということを意味しているのである。