真理を理解しようとする情愛

 

 

合理的

 

 

 

 

神の愛と知恵404[7]

 

「第二の連結は理解に対する情愛を通して生まれ、そこから真理の認識が発生する」。 これはその事柄を合理的な洞察により検討しようと欲する者にはすべて明白である。真理に対する情愛と真理の認識とは理解の二つの力であって、それらは或る人物の中には一つのものとして調和しているが、他の者の中にはそのように調和していないことは合理的な洞察から明白である。それらは真理を理解を以て認めようと欲する者の中には一つのものとして調和しているが、単に真理を知ろうと欲する者の中には調和してはいない。人各々理解しようとする情愛にいる限り真理を認識することもまた明らかである、なぜならもし真理を理解しようとする情愛を取り去るならば、真理の認識はなくなり、真理を理解しようとする情愛が在るならば、その真理に対する情愛の度に応じて真理が認識されるからである。健全な理性を持つ者であって真理を理解しようとする情愛を持ち、真理を認識しない者は決していないのである。人は各々合理性と呼ばれるところの、真理を理解する能力を持っていることは前に示した。