真理を受ける能力

善が僅かしか存在していないところには真理も僅かしか存在していない

 

 

天界の秘義5623

 

「手に銀を倍にして取り」。これは能力の中に受け入れられた真理を意味していることは以下から明白である、すなわち、『銀』の意義は真理であり(1551、2954番を参照)、『倍』の意義は、さらに連続して、であり(1335番を参照)、すなわち、それらに無代価で与えられ、再びそれらに与えられることになっていた真理であり、『手』の意義は能力である(878、3387、4931−4937、5327、5328番)。能力における真理はそれを受ける才能の中に在り、かくて才能に応じているのである。しかし真理を受ける才能(または能力)は主はその才能または能力を善に接合されているため、全く善に順応しているのである、なぜなら主は善の中に流れ入られるとき(真理を受ける)才能のもとにもまた流れ入られるからである。ここから能力の中に受け入れられた真理は、善に順応しているのである。真理を受ける才能は善に応じていることは他生における多くの経験から明白である。そこで善の中にいる者たちは、真理を認識するのみでなく、またそれを受ける能力を持っているが、しかもそれはかれらがその中にいる善の量と質とに応じているのである。しかし悪の中にいる者は他方真理を受ける才能を全く持ってはいないのである。これは快楽とそこから生まれてくる欲求から来ている。善の中にいる者たちは、善がその性質を諸真理から得るため、真理により善を完成することに快楽を感じ、それでかれらは真理を欲求するのである。しかし悪の中にいる者は悪の中に快楽を覚え、また悪を誤謬により確認することに快楽を覚え、それで誤謬を欲求しており、かれらは誤謬を欲求するため、真理に反感を抱くのである。こうした理由からかれらは真理を受ける才能を全く持っていないのである、なぜならかれらは、真理が耳に聞こえるか、またはその思いが起るかすると直ぐさまそれを斥けるか、窒息させるか、歪めるか、してしまうからである。さらに健全な心を持った者は凡て真理を受ける才能をもっているが、しかし悪に向いている者はこの才能を消滅させてしまい、善に向いている者はそれを高揚させるのである。

 

 

 

ヴァッスーラ/天使館/ランプのあぶら/花むこから花嫁への呼びかけ/P49

 

知りませんでしたか、愛の賜物が大きければ大きいほど、神にたいする知識も増して完成されていくことを。