死刑

 

 

マーリン・キャロザース

 

 

1.聖書 死刑

2.聖書 石打ちの刑

3.聖書 焼殺

4.聖書 目には目を、齒には齒を

5.聖書 逃れの町

6.天界の秘義

7.人間は律法の恐怖によって抑制されない限り、社会のみならず全人類は滅びる

8.公教要理(カテキズム)

9.新エルサレムの教義

10.サンダー・シング

 

 

 

 

1.   聖書  死刑

 

 

出エジプト記21・12−17

 

人を打って死なせた者は必ず死刑に処せられる。ただし、故意にではなく、偶然、彼の手に神が渡された場合は、わたしはあなたのために一つの場所を定める。彼はそこに逃れることができる。しかし、人が故意に隣人を殺そうとして暴力を振るうならば、あなたは彼をわたしの祭壇のもとからでも連れ出して、処刑することができる。自分の父あるいは母を打つ者は、必ず死刑に処せられる。人を誘拐する者は、彼を売った場合も、自分の手もとに置いていた場合も、必ず死刑に処せられる。自分の父あるいは母を呪う者は、必ず死刑に処せられる。

 

 

 

レビ記20・1−27

 

 

 

申命記13・6

 

その預言者や夢占いをする者は処刑されねばならない。彼らは、あなたたちをエジプトの国から導き出し、奴隷の家から救い出してくださったあなたたちの神、主に背くように勧め、あなたの神、主が歩むようにと命じられる道から迷わせようとするからである。あなたはこうして、あなたの中から悪を取り除かねばならない。

 

 

 

ルカ23・39−43

 

十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」 すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。 我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」 そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。 するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。

 

 

 

 

2.石打ちの刑

 

 

レビ記24・10−23

 

イスラエルの人々の間に、イスラエル人を母とし、エジプト人を父に持つ男がいた。この男が宿営において、一人の生粋のイスラエル人と争った。イスラエル人を母に持つこの男が主の御名を口にして冒涜した。人々は彼をモーセのところに連行した。母の名はシェロミトといい、ダン族のディブリの娘であった。人々は彼を留置して、主御自身の判決が示されるのを待った。

主はモーセに仰せになった。

冒涜した男を宿営の外に連れ出し、冒涜の言葉を聞いた者全員が手を男の頭に置いてから、共同体全体が彼を石で打ち殺す。あなたはイスラエルの人々に告げなさい。神を冒涜する者はだれでも、その罪を負う。主の御名を呪う者は死刑に処せられる。共同体全体が彼を石で打ち殺す。神の御名を呪うならば、寄留する者も土地に生まれた者も同じく、死刑に処せられる。

人を打ち殺した者はだれであっても、必ず死刑に処せられる。家畜を打ち殺す者は、その償いをする。命には命をもって償う。人に傷害を加えた者は、それと同一の傷害を受けねばならない。骨折には骨折を、目には目を、歯には歯をもって人に与えたと同じ傷害を受けねばならない。家畜を打ち殺す者は、それを償うことができるが、人を打ち殺す者は死刑に処せられる。

あなたたちに対する刑罰は寄留する者にも土地に生まれた者にも同様に適用される。わたしはあなたたちの神、主である。

モーセがイスラエルの人々に告げ終えると、彼らは神を冒涜した男を宿営の外に連れ出して石で打ち殺した。イスラエルの人々は主がモーセに命じられたとおりに行った。

 

 

 

申命記13・11

 

あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出したあなたの神、主から離して迷わせようとしたのだから、彼を石で打ち殺さねばならない。

 

 

ヨハネ8・3−7

 

 

そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」 イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」

 

 

 

天界の秘義7456[2]

 

『石で打つこと』の意義については、そのもとで教会の表象的なものが設立されていたイスラエル人とユダヤ人の間には、二つの死刑が在り、その中の一つは石で打つことであり、他の一つは木にかけることであった。石で打つことは命じられていた礼拝の諸真理を破壊しようと願った者に対して行われ、[木に]かけることは生命[生活]の善を破壊しようと願った者に対して行われたのである。礼拝の諸真理を破壊しようと願った者らは石で打たれたのは、『石』は真理を意味し、その対立した意義では誤謬を意味したからであり(643、1298、3720、6426番)、生命の善を破壊しようと願った者らは木にかけられたのは、『木』は善を意味し、その対立した意義では欲念の悪を意味したからであった(643、2784、2812、3720番)。

 

 

 

天界の秘義7456[3]

 

 

 

 

天界の秘義7456[4]

天界の秘義7456[5]

天界の秘義7456[6]

 

 

 

天界の秘義7456[7]

 

もし娘が結婚して、その中に処女であることのしるしが見つけられなかったなら、その女はその父の家の中に娼婦の振る舞いをしてイスラエルの中に愚かなことを行ったために、石で打たれなくてはならなかった(申命記22・20、21)。そのことは『淫行』により真理を誤謬化することが意味され、かくて真理を破壊することが意味されたためであった(2466、4865番)。もし男が、(他の)男といいなずけをした処女である娘と町の中で臥したなら、同じ理由から、即ち、淫行のために、その二人とも石で打たれねばならなかった、なぜなら霊的な淫行は真理の誤謬化であるからである。

 

 

 

天界の秘義7456[8]

 

 ルカ伝には―

 

 彼らは彼ら自身の間で以下のように結論した、もし自分たちがヨハネのバプテスマは天からであると万が一言うとするなら、かれはそれならなぜあなたらは彼を信じなかったのか、と言うであろう。しかしもし自分たちが人間からであると言うなら、人々はすべて自分たちを石で打つであろう、と(ルカ20・5、6)。

 ここでもまた『石で打つこと』は真理に反したことについては述べられているのである。ユダヤ人はイエスがアブラハムのいない中から、自分はいると言われたため、これを石で打とうとしたが(ヨハネ8・58、59)、これはその国民はそれが偽りであると信じたからであった。イエスはわたしとわたしの父とは一つであると言われたために、イエスを彼らが石で打とうとした

時も同じであった(ヨハネ10・30−33)、なぜならそこに言われているように、彼らはそのことを冒瀆であると信じたからである。この凡てから、『石で打つこと』に含まれていることと、なぜそのことが命じられたかが今や明白であり、また古代からエジプトに石打ちの刑があったことは古代教会の表象的なものから由来していたことも明白である。

 

 

 

 

 

3.焼殺

 

 

レビ記20・14

 

一人の女とその母とを共にめとる者は、恥ずべきことをしたのであり、三者共に焼き殺される。あなたたちの中に恥ずべきことがあってはならない。

 

 

 

 

4.聖書 目には目を、歯には歯を

 

 

出エジプト記21・23−25

 

もし、その他の損傷があるならば、命には命、目には目、歯には歯、手には手、足には足、やけどにはやけど、生傷には生傷、打ち傷には打ち傷をもって償わねばならない。

 

 

 

出エジプト記22・17−19

 

女呪術師を生かしておいてはならない。

すべて獣と寝る者は必ず死刑に処せられる。

主ひとりのほか、神々に犠牲をささげる者は断ち滅ぼされる。

 

 

 

レビ記24・17−21

 

人を打ち殺した者はだれであっても、必ず死刑に処せられる。家畜を打ち殺す者は、その償いをする。命には命をもって償う。人に傷害を加えた者は、それと同一の傷害を受けねばならない。骨折には骨折を、目には目を、歯には歯をもって人に与えたと同じ傷害を受けねばならない。家畜を打ち殺す者は、それを償うことができるが、人を打ち殺す者は死刑に処せられる。

 

 

 

申命記19・21

 

いかなる犯罪であれ、およそ人の犯す罪について、一人の証人によって立証されることはない。二人ないし三人の証人の証言によって、その事は立証されねばならない。不法な証人が立って、相手の不正を証言するときは、係争中の両者は主の前に出、そのとき任に就いている祭司と裁判人の前に出ねばならない。裁判人は詳しく調査し、もしその証人が偽証人であり、同胞に対して偽証したということになれば、彼が同胞に対してたくらんだ事を彼自身に報い、あなたの中から悪を取り除かねばならない。ほかの者たちは聞いて恐れを抱き、このような悪事をあなたの中で二度と繰り返すことはないであろう。あなたは憐れみをかけてはならない。命には命、目には目、歯には歯、手には手、足には足を報いなければならない。

 

 

 

マタイ5・38−39

 

「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。

 

 

 

 

5.聖書 逃れの町

 

 

出エジプト記21・12−17

 

人を打って死なせた者は必ず死刑に処せられる。ただし、故意にではなく、偶然、彼の手に神が渡された場合は、わたしはあなたのために一つの場所を定める。彼はそこに逃れることができる。しかし、人が故意に隣人を殺そうとして暴力を振るうならば、あなたは彼をわたしの祭壇のもとからでも連れ出して、処刑することができる。自分の父あるいは母を打つ者は、必ず死刑に処せられる。人を誘拐する者は、彼を売った場合も、自分の手もとに置いていた場合も、必ず死刑に処せられる。自分の父あるいは母を呪う者は、必ず死刑に処せられる。

 

 

 

申命記19・4−6

 

意図してでなく、積年の恨みによるのでもないのに、隣人を殺してしまった者が逃れて生き延びうるのは、次のような場合である。 すなわち、隣人と柴刈りに森の中に入り、木を切ろうと斧を手にして振り上げたとき、柄から斧の頭が抜けてその隣人に当たり、死なせたような場合である。彼はこれらの町の一つに逃れて生き延びることができる。復讐する者が激昂して人を殺した者を追跡し、道のりが遠すぎるために、追いついて彼を打ち殺すことはあってはならない。その人は、積年の恨みによって殺したのではないから、殺される理由はない。

 

 

 

申命記19・11−13

 

しかし、もしある者が隣人を憎み、待ち伏せして襲いかかって打ち殺し、これらの町の一つに逃れたならば、その犯人を出した町の長老たちは、人を遣わして彼を捕らえ、復讐する者の手に引き渡して殺させねばならない。彼に憐れみをかけてはならない。罪なき者の血を流した罪をイスラエルから除き去れば、あなたは幸いを得る。

 

 

 

 

6.天界の秘義

 

天界の秘義9006−9022

 

 

 

 

7.人間は律法の恐怖によって抑制されない限り、社会のみならず全人類は滅びる

 

 

天界と地獄581

 

 地獄で拷問が主から許されている理由は、もし許されないと悪は抑制されて、征服されることが出来ないということである。彼らを抑制し、征服し、かくて奈落の輩を拘束させておく唯一の方法は刑罰の恐怖である。それ以外に方法はない。なぜなら刑罰と拷問との恐怖がないなら、悪は爆発して狂気となり、丁度法律や刑罰のない地上の王国のように、すべては破滅してしまうからである。

 

 

 

真の基督教498

 

人間の内部の状態は法律の束縛が緩められた暴動の際に、また被征服者と被包囲者とを殺戮し掠奪する自由が与えられている戦争の内に示される。何人も命ぜられない中は殆どこれを中止しない。これによって我々は人間は律法の恐怖によって抑制されない限り、社会のみならず全人類は滅びることを認めるのである。

 

 

 

真のキリスト教531(アルカナ出版)

 

また、たとえば人間社会にあるたくさんの犯罪についても言えます。犯罪者を刑法で罰しなかったら、また鞭打ちや死刑がなかったら、都市も国家も成り立ちません。

 

 

 

真の基督教531(静思社)

 

 更に、人間達の間にはびこっている邪悪を考察されよ、邪悪な者が法律の刑罰によって抑制されない限り、如何なる都会も王国も立つことが出来ない。

 

 

 

天界の秘義2284[]

 

残りのものの性質と量とに従って―すなわち、人間のもとにある善と真理との性質と量に従って―人間は他生で祝福と幸福とを楽しむのである、なぜならすでに言ったように、これらの残りのものは人間の内的な人の中に貯えられていて、その人間が形体的な世的なものを背後に棄て去ったときに開かれるからである。主のみが人間の中にある残りのものの性質と範囲を知られているが、人間自身は到底それを知ることは出来ない、なぜなら現在では人間は内には悪以外には何ものもないのに、善いものを佯り装うことが出来るといった性質を持っており、また人間は悪いようには見えても、それでも内には善を持っていることも有り得るからである。そうした理由からたれ一人他の者の霊的生命の性質については審くことを決して許されてはいないのである、なぜなら主のみが、前に言ったように、そのことを知られているからである、しかし人間各々は他の者をその道徳的な公民的な生命の性質については審いてもよろしいのである、なぜならこれは社会に関係しているからである。

 

 

 

天界の秘義2258[3]

 

それにも拘らず悪い者が地獄に断罪されるのは神的善が神的真理から分離しているためではなく、その人間が自分自身を神的善から分離するためである。なぜならすでに幾度も述べたように、主はいかような場合にも地獄に送られはしないで、その人間が自分自身を地獄に送るからである。以下の点においてもまた神的な善は神的な真理に連結しているのである、即ち、悪い者が善い者から分離されない限り、悪い者は善い者に危害を加えるのであり、また秩序を破壊しようと絶えず努めるのであり、かくて、善い者が危害を加えられないことが慈悲から発しているのである。これは全く地上の王国と同一である。もし悪が罰せられないならば、その王国全体は悪に感染し、かくて滅亡してしまうであろう、そうした理由から王と審判者[裁判官]とは、悪い者の益を計って不当な寛容を行使することによるよりも、悪を罰し、また悪を犯す者を社会から追放することによってさらに多くの慈悲を示すのである。

 

 

 

 

8.公教要理(カテキズム)

 

 

カトリック中央協議会/カトリック教会のカテキズム要約P238

 

第五のおきて 殺してはならない

 

466 人間のいのちを尊重しなければならないのはなぜですか。

 

 人間のいのちは神聖だからです。いのちはその始めから神の創造のわざの結果であり、その唯一の目的である創造主と永久に特別な関係を保ち続けます。自らを守るすべをもたない人間のいのちを直接的に破壊することは何人にも許されません。それは人格の尊厳と創造主の聖性に背く重大な行為だからです。「罪なき人、正しい人を殺してはならない」(出エジプト記23・7)。

 

 

 

カトリック中央協議会/カトリック教会のカテキズム要約

467

 

 

 

 

カトリック中央協議会/カトリック教会のカテキズム要約

 

468 刑罰は何のために科されますか。

 

正当な公的権威によって科される刑罰は、罪悪によって乱された秩序を償い、公共の秩序と人々の安全を守り、犯罪者の矯正に資することを目的とします。

 

 

 

469 科される刑罰はどのようなものであるべきですか。

 

 科される刑罰は犯罪の重大性と均衡が取れたものでなければなりません。今日では、国家は犯罪を抑止する種々の手段を用いて、犯罪者を無害化することが可能となっているので、死刑の絶対的な必要性の事例は「実質的にまったくなくなったわけではないが、ごくまれなことになっています」(教皇ヨハネ・パウロ二世回勅『いのちの福音』)。血を流さない手段で十分であるなら、権威はそれらの手段に限定すべきです。これらの手段は共通善の具体的条件によりよく対応し、人格の尊厳によりよく合致しており、犯罪者から更正の可能性を決定的に奪うものではないからです。

 

 

 

470第五のおきては何を禁じていますか。

 

 第五のおきては道徳法に反する重大なこととして、次のことを禁じています。

 直接的かつ意図的な殺人およびその共犯。

目的または手段として意図された直接的な妊娠中絶、さらにはその共犯。これは破門制裁に値します。人間のいのちは受精のときから、全体として絶対に尊重され、保護されなければならないからです。

 直接的な安楽死。これは障害者や病人あるいは瀕死の状態にある人のいのちを、作為によってあるいは取るべき処置を取らないことによって死に至らせることです。

 自殺と意図的なその幇助。これは神と自分自身、そして隣人への正しい愛に対する重大な侮辱だからです。その責任については、つまずきを生むことでより重大なものとなりえますし、特異な精神的混乱や極度の怖れがある場合には軽減されることもありえます。

 

 

 

 

9.新エルサレムの教義

 

 

教会政治と国家政治

 

新エルサレムの教義311

 

人間のもとには秩序づけられねばならない二つのもの、すなわち、天界に属したものと世に属したものがある。天界に属したものは教会的なものと呼ばれ、世に属したものは国家的なものと呼ばれる。

 

 

新エルサレムの教義312

 

治める者が無くては世に秩序は維持されることは出来ない。彼らは秩序に従って行われる凡ての物と秩序に反して行われる凡ての物を監視し、秩序に従って生きる者に報い、秩序に反して生きる者を罰しなくてはならない。もしそのことが行われないならば、人類は滅びるであろう、なぜなら他の者を支配し、他の者の財産を得ようとする意志は遺伝から各人に内在しており、そこから敵意、嫉妬、憎悪、復讐、詐欺、残酷、その他多くの悪が発しているから。それでそれらが法律により、また善を為す者に対しては名誉と利得であるところの、その愛に適応した報酬により、また悪を為す者に対しては、名誉、財産、生命を失うという、その愛に反した刑罰により抑制されない限り、人類は滅びるであろう。

 

 

新エルサレムの教義313

 

それで人間の集団を秩序をもって治め、法律に通じ、賢明で、また神を恐れるところの治める者がいなくてはならない、またその治める者たちの間にも(その中の)たれかが気まぐれから、または無知から秩序に反した悪を許して、そのことによって秩序を破壊しないように、秩序がなくてはならない。それは位に上下のある治める者がいて、その間に従属関係があるとき守られる。

 

 

 

 

10.サンダー・シング

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書P398

 

その人が来世でよりよい生を送れるよう、犯罪に警告を与えることが処罰の目的である。