聖母のご出現

 

聖母マリアのご出現はたくさんあるようです。

実は、これまでに御紹介したカリスマを受けた人々にも、大抵

聖母はご出現されています。マリア・ワルトルタ、ピッカレータ、ヴァッスーラ、

トマス・ア・ケンピス、あるいはスウェーデンボルグにさえも現れています。

しかし、彼らは主や聖母から新しい啓示を伝えるように命じられ、

本を残していますが、ご出現よりもそれらの啓示の方が注目されています。

ここでは、ご出現そのものが注目された例をいくつか挙げました。特に

小さな少年・少女に出現されている場合が多いような印象を受けます。

前者が堂々たる預言者、ないしは使徒たちであるならば、

後者はキリスト御降誕の夜、主を拝みに行った純朴な羊飼いたちのようです。

彼らはこの世に聖母が来られたことを告げ知らせてくれます。

 

目次

1.ベルナデッタ(フランス・ルルド)

(2001.10.21更新)

2.ファティマ(ポルトガル)

3.ガラバンダル(スペイン)

4.メジュゴリエ(旧ユーゴスラビア)

5.『聖母マリアの出現』/ローン・ジェンセン著/天使館

(2001.10.21追加)

6.その他の本のご紹介

 

1.   ベルナデッタ(1844〜1879)

「ベルナデッタ」/ルネ・ローランタン著/ドン・ボスコ社

「ベルナデッタ 魂の日記」/ドン・ボスコ社(2001.10.21追加)

 

 

「私が約束するのは、あなたをこの世ではなく、あの世において幸せにすることです。」(聖母の言葉/「ベルナデッタ」/P318)

 

有名な「ルルドの泉」の少女です。彼女が14歳の1858年2月11日、友達と妹と3人で薪を拾いに行くと、川の洞窟に聖母が出現されます。家は貧しく、満足に教育も受けていませんでしたが、敬虔で善良な両親に愛されて育った彼女は、非常に潔癖で正直で意志の強い人間でした。「魂の日記」を読むと、主も彼女に出現されておられることが分かります。

 

「自分のことなどは、わたしにとって、もうどうでもよいことです。わたしは、今から、すっかり神のもの、神だけのもの。決して自分のものではありません。」(魂の日記P9)

 

「わたしの神、イエズスよ、すべてを越えてあなたを愛します。」(魂の日記P16)

 

「聖なる浄配イエズスは、目立たない、隠れた生活を愛する心を与えてくださいました。主はしばしば、主にすべてを犠牲としてささげ尽くすまで、わたしの心は決して安らぎを知らないであろうといわれました。また、私自身、自分の生き方をはっきりとさせることができるために、死を迎えるときには、イエズス、しかも十字架に釘づけられたイエズス以外に慰め主はないということを、たびたび思い起こさせてくださいました。主だけが忠実な友。冷たくなった指で主の十字架を握りしめて、お墓までもって行くのです。おお、主以外の何ものかに執着すること、それこそ狂気中の狂気です。」(魂の日記P24)

 

2.ファティマ

「ファチマの牧童」/セ・バルタス著/光明社

「ファチマの聖母の啓示―ルチア修女の手記」/ドン・ボスコ社

 

「わたしたちは、あの光の中にいたけれど、神がそこにいらっしゃたので、わたしたちは燃えなかった。わたしたちは本当に言葉でそれを言い表すことが出来ないけれど、主がそんなに悲しんでおられるのは、何とかわいそうなことだろう。わたしは、主イエズスを慰めることが出来れば、どんな犠牲をも献げたい。」(フランシスコの言葉/「ファチマの聖母の啓示」P97)

 

1917年ポルトガルのファティマで起きた聖母のご出現です。当時10歳のルチア(1907〜)、9歳のフランシスコ(1908〜1919)、7歳のヤシンタ(1910〜1920)に聖母は現れます。聖母は、人類が神に立ち返ることを求め、世界がご自分の汚れなき心に奉献されるなら、ロシアは改心して世界は平和になるでしょうと言われます。

幼い三人の犠牲を厭わない敬虔な魂に心が打たれます。

 

 

3.ガラバンダル

「天の母の警告」/デルコル神父・江藤きみえ著/世のひかり社

「コンチータの出現日記」/世のひかり社

 

「もし、わたしたちが、メッセージの命じていることを守らないなら、つまり、聖なる教会が願っていることをしないなら、出現を信じても、何の役にもたちません。

 ごらんのように、聖母は、ここでも、ルルドやファティマと同じことをいっておられます。新しいことは何もありません。奇跡は、わたしたちがメッセージを守るためと、これらの出現を証明するために起きます。でも、もしメッセージで命じられていることを行うとしたら、出現を信じなくてもいいのです。

 それにしても、出現を信じるのは、一つの恵みです。このためにこそ、わたしたちは、主のために、もっと働かねばならないと自覚すべきです、主が与えてくださる恵みだからです。

 聖母のお望みは、わたしたちが、まだ主のことを知らない兄弟たちのために、たくさん祈ることであると、わたしは思っています。それだけではありません、主と聖母にいただいた恵みを感謝しない人々のためにも、祈らねばならないのです。」(コンチータの言葉/「コンチータの出現日記」/P158)

 

 

1961年スペインのガラバンダルで4人の少女に聖母が出現されました。ときには、聖母は腕におん子イエズスを抱いた姿で現れました。4人は当時11歳のマリ・クルス、12歳のマリ・ローリ、ヤシンタ、コンチータです。聖母は言われます。「たくさんのぎせいと、告解をしなければなりません。ご聖体を訪問なさい。でも、何よりも先に、わたしたちは、たいへん善良でなければなりません。もし善良でないなら、天罰が来るでしょう。すでに“さかずき”はいっぱいになっています。それで改めなければ、大変大きな天罰が来るでしょう」と。

 

どちらの本にも少女たちの脱魂状態の写真がたくさん載せられており、その表情はまことに真に迫っています。それはルルドで、ベルナデッタの脱魂状態を目撃したデジラ神父の次の証言を思わせます。

 

「ベルナデッタの笑顔は、全く表現できないほど美しかった。どんな上手な絵かき、どんなに巧みな俳優でも、その魅力、その恵みのさまを描写することはできないだろう。それは到底想像もできないものである。特に私の心を打ったのは、その顔に次々と現われてくる喜びと悲しみの表情であった。次々というのは、稲妻のような速さでその顔が変わるからである。しかし不自然なことは一つもなかった。私は子供が洞窟へ行く時の姿を見た。そして一生懸命その態度を注視していた。しかし道の途中でのベルナデッタと、出現の時のベルナデッタとは、あまりにも異なっていた。そのとき、この場所には深い尊敬と深い沈黙、潜心のふんい気があった。ああ、どんなにあそこにいた時はよかったことだろう。私は天国の門の前にいるかのような気がしたのだ。」(「ベルナデッタ」/P106

 

ところで、主はガラバンダルについて、ヴァッスーラにこう言われます。

 

「娘よ、この言葉を書きなさい。ガラバンダル。 ヴァッスーラ、あなたを眠りから揺り起こしたとき 目覚めさせるためだけではなく、用いることができるようにするためでもあった 愛する者よ、あなたにたいする清めはただあなたを洗い清めるだけではなく、あなたが私の存在を感じて 我が現存のうちにとどまるためでもあった。私のメッセージや望みを書くことは あなたをそのために用いるというだけでなく 私の祝福をガラバンダルの我が小さな子どもたちに与えるためでもあった。」(ヴァッスーラ/「神のうちの真のいのち」/1巻P317)

 

 「ヴァッスーラ 恐れないように、ガラバンダルという言葉を書きなさい。ガラバンダルはほかのすべての印の延長上にある。ガラバンダルの出現は本物です、見ていない人はすべて信じなさい、信じなさい。娘よ 私はあなたを通して私自身を現すことができるように用いてきた。 御母は我が選ばれた霊魂たちに現れたのです。 この子たちの口から、真実は語られた。 しかし 聖職者の多くはそれらを不確実と宣言し 何人かは完全にこの子たちを否定した。 私はこのガラバンダルの疑いを取り除くために、あなたを通して私自身を現している。 ガラバンダルの出現は真実であって 我が子どもたちは本当に母を見て、母のメッセージを聞いている。ヴァッスーラ、さらにきつい試練があなたを訪れ 十字架は肩にもっと重くのしかかり 私の義の杯は増すであろう、私は前もって世に警告した。(同P318)

 

 「ヴァッスーラ あなたに与えるこの言葉が知られてほしいと思う、この言葉が 周り中に普及することを望んでいる。『私、主は、ガラバンダルの子どもたちを祝福する』。 ヴァッスーラ この子たちを祝福しなさい、一致させなさい。」(同P325)

 

「主:ヴァッスーラ、ガラバンダルは一連の奇跡の続きです、これらの奇跡の間に私は他の印も与えてきた。

ヴァッスーラ:どの奇跡のことか書いていただけますか?

主:書きなさい、ルルド、そしてファティマ、今度はサンセバスチャンにあるガラバンダルと書いてほしい。」(同P328)

 

「ヴァッスーラ、私と母によるガラバンダルの出現は 公に認められるべきものです。 聞きなさい ヴァッスーラ、母が私の選ばれた霊魂たちに現れて その恵みでこの子たちに光を与えに来るたびに、私は母の横に立っていた、しかしどの目も私を見ることはできなかったのです。 私に栄光を与えに来る人びとに祝福を与えるために 幼子として現れた時もあった。 娘よ、これらの出現の場所がもっと尊ばれるように望んでいる。

教皇庁がこれら聖なる場所に祝福を与えて 私をもっと尊んでほしいと思う。 ヴァッスーラ 私はルルドやファティマのことを言っているのではない、ガラバンダルも同じようにと言っているのです。 私はガラバンダルの出現に栄光を与えるために来た。

教皇庁がそこを訪れ その地を祝福することを願う、私を傷つける聖職者たちによってゆがめられ 不正に宣言された事柄をすべて正し、その出現に公然と挑戦した人たちの与えた疑いをはらして、弊害を取り除いてもらいたい、私の教皇座は私のためにそれをしてくれるであろうか?

 

わが神、主よ こういうすべてをこの人たちはどうやって知ることができるでしょうか?

 

私にその仕事を任せておきなさい ヴァッスーラ、彼らが分るように方法を見つけよう。 娘よ、我が現存の印を与えるたびに、どんな小さいものであっても、我が教皇座の祝福を通して 私の印に栄光を与えてくれることを望んでいる。 私の現存を世界に知らせたい、私の豊かさを、慈悲を、そして我が神聖なわざを、私の与える印を教皇座がもっと大規模に宣言し、世界を養ってほしい、私の大地が豊かであるようにと願っている。 そこに残されているわずかな花まで摘み取らせないでほしい。 この荒野を潤わせたい、誰が私の庭園に水をやってくれるだろうか? どうして私の花たちを無視するのか?

 

愛するイエスよ、もし私が間違っていなければ、ファティマの奇跡を認めるのに七年かかりました、わが神よ。受け入れることにたいする拒絶や攻撃や難しさが、見えます。

 

花よ 嘆かないように。 私に手伝わせなさい。 ヴァッスーラ 私はいつも目的を達する。」(同P336)

 

聖マリアがそばにおられるのを感じました。

ヴァッスーラ、そうです 私、あなたの母です、 私はガラバンダルの我が子どもたちに現れました。この子たちが私を見て声を聞くことを許しました。 私はこの子たちに現れ この子たちにはそれが分っています。 この子たちをあなたに祝福してほしいのです。」(同P341)

 

 「私 主は ガラバンダルの我が子たちを祝福する、私はこの子たちを愛している。」(同P342

 

「我が母のガラバンダルでのメッセージを彼らは軽くあしらった、広めるべきであったのにそうしないで、その緊急性を無視し、ああ 手元には何があるか ヴァッスーラ!石だ、彼らの心は麻痺してしまっている。真理を受け入れなさい、心を開いて、ファチマに続くのがガラバンダル!誤りを繰り返さないように。ペトロ!(次は懇願するように)ペトロよ   我が木霊(エコー)となりなさい!仔羊を養いなさい ペトロよ、二度と私を拒まないように 愛する者よ。」(「神のうちの真のいのち」/2巻P61)

 

「ガラバンダルのメッセージは本物であり 広め 尊ぶように、ガラバンダルを聖としなさい、あなた方の誤りが今も繰り返されているのが見えないか 分らないか、ファチマでの誤りを繰り返している、ああ、被造物よ、いつ私を信じるようになるのか? ‘ie emphanisesitan’(出現はあった・ギリシャ語)」(同P63)

 

4・メジュゴリエ

「メジュゴルイエにおける聖母マリアの出現」/ルネ・ローランタン、リュデヴィット・ルプツィッチ共著/聖母の騎士社

「メデュゴーリエの丘から祈りと平和のメッセージが!」/フェデリコ・バルバロ著/世のひかり社

「メジュゴルイェ ―ザ・メッセージ― 」/ウェーン・ウィーブル著/サンパウロ

「メジュゴリエの証言者たち」/シスター・エマヌエル著/ドン・ボスコ社

 

「あなたは、どうしてこれほどまでに美しいのですか」

「私は愛しているから、これほど美しいのです。美しいものでありたいならば、愛しなさい」(イェレナへの言葉/メデュゴーリエの丘から祈りと平和のメッセージが!/P95)

 

1981年6月24日、旧ユーゴスラビアのメジュゴリエで聖母は6人の若者たち、イヴァンカ(15歳)、ヴィッカ(16歳)、ミリアナ(16歳)、イヴァン(16歳)、マリア(16歳)、ヤコブ(10歳)に現れます。またイェレナ(10歳)は聖母から内なる声を聞くようになりました。ご出現は現在も続いています。

 

<聖母からのメッセージ>

 

「皆イエズスをほうふつとさせるものでありなさい。」

「今すぐに始めなさい。まず、テレビを消して、あなたたちに何の役にも立たないことはほうっておきなさい。」(メデュゴーリエの丘から祈りと平和のメッセージが!/P166)

 

「私は、あなたたちと神との仲立ちをするものです。神があなたたちに望むことのすべては、愛をもって生きることです。」(同P167)

 

「聖書をあなたたちの家庭の中に、目につきやすい所に置いて、それを読み、それによって生きなさい。また、あなたたちの子どもにも教えなさい。もし、あなたたちが子どもたちに対する一つの模範とならないなら、子どもたちは容易に無神論におちてしまいます。」(同206)

 

「ミサが生けるイエズスとの出会いになることができるように、心をこめてあずかるように。」(同216)

 

「私が全世界に伝えたい言葉は、回心、この一語です。このことをみなさんに言うのは、すべての人に伝えてほしいからです。回心こそが私の願いです。何が起きてもいように、心を備えなさい。回心を阻む一切を投げ捨てなさい。」(メジュゴルイェ ―ザ・メッセージ―/P69)

 

「ヤコブは1983年9月5日、彼の母親ヤカが亡くなったその日に、彼女がすでに天国にいるということを知って、大きな喜びを与えられた。私はヴィッカに、これについていくつか質問した。

『あなたの考えでは、ヤカの生活の中で、どうして彼女はそのように早く天国に行くことができたの?』

『それはとても簡単なことよ』ヴィッカは答えた。『彼女はすべての小さな日々の仕事を、愛をもって、全心をこめてしたのよ。神は私たち一人ひとりに一つの仕事を委ねられる。あなたは書物を書き、そして私は巡礼者たちに話す。私たちはその仕事を心をこめてしなければならないのよ。そのことがそれを偉大なものとするのよ!

 神は山々を動かし、それをどこか他の場所に移すことを私たちに求めてはおられない。その人にとって問題なのは、小さな日常的な事柄です。多くの人々はあまりにも複雑すぎる。ヤカは何か普通でないことは何一つしていない。でも、神は彼女の心がいかに大きいかをご覧になったんだわ。』」(メジュゴリエの証言者たち/P67)

 

「愛する子どもたち!

今日、特別に平和と愛の祝福でもってあなたたちを祝福してくださるように、幼いイエスを連れて来ます。愛する子どもたち、これは多くの人々が理解もせず、受け入れもしない恵みであるということを忘れてはいけません。

 ですから、自分は私のものであると言ったあなたたち、そして私の助けを求めているあなたたちは、自分自身のすべてを私にください。まず第一に、あなたたちの愛と家庭における模範をください。ですから、愛する子どもたち、神があなたたちに平和を与え、単に戦争からあなたたちを守られるばかりでなく、また平和の間にもあなたたちをあらゆる悪魔的な攻撃から守られるように、家庭において神を第一としなさい。

 神があなたたちと共におられるとき、あなたたちはすべてのものを持っています。しかし、神を求めなければ、悲惨ですべては失われます。そしてあなたたちは自分が誰のそばにいるかを知りません。ですから、愛する子どもたち、神のために決心しなさい。そうすれば、あなたたちはすべてのものを得るでしょう。

 私の呼びかけに応えてくれてありがとう。」(同P128)

 

5.「聖母マリアの出現」/ローン・ジェンセン著/長澤育子訳/天使館

著者はデンマークに生まれ、小さい時にアメリカに移住した女性。聖母出現に関心を持ち、現代の聖母出現を経験した個人41人(殆どが米国人)のレポートを本書に収録しています。著者自身も天使や聖母の出現を経験したと、冒頭の解説で述べています。

 

(著者自身の言葉P16〜19)

「私は、コロラドの聖母ご出現の地で、天使と出会ったことがあります。マザー・カブリニ教会に早朝に着いた私は、寒さのなか、ご出現までの数時間をどう過ごそうかと考えていました。その時、突然、熱気を感じたのです。見上げると、頭上3メートルくらいのところに、薄緑色の光の玉が浮かんでいました。直径90センチほどの大きさで、とてもゆっくりと動いているうちに、しだいに天使の形になりました。まるで、さなぎから蝶が現れるようでした。まず、翼の形ができ、体がそれにつづきました。私は天使ガブリエルを見ているのだと思いました。彼は何も言いませんでしたが、彼が現れたことは、私の人生にマリアが顕現する前兆だったのです。そのことがあってから、私はマリアが私のもとにおられるのをしばしば感じるようになりました。マリアのことを思うとバラの香りがしたり、夢にマリアが現れたりするようになったのです。

 

 霊的なことの研究に打ち込むにつれて、私は霊的生活に役に立つような仕事をしたいと望むようになりました。そして、先の見通しもないまま、ホテル会社を辞めたのです。

 当時私は、朝の散歩をする習慣がありました。ある晴れた気持ちのいい朝、サンタフェの泥んこ道を歩いているとき、ある出来事が起こりました。ニューメキシコの太陽があたりを金色の光で満たしていました。道が二股に分かれている場所にきたとき、私は前方の頭上で光がキラキラときらめいているのを見ました。そこまで歩いて行くと、マリアが目の前に姿を現したのです。髪は柔らかな茶色で、ハート型のお顔はとても愛らしく、全身白ずくめでした。ただ腰にまいた帯と衣の縁だけが金色でした。彼女は無言のまま、手を私にさし伸べましたが、その時、自分が人世の新しい方向を求めたのは正しかったのだと知りました。聖母がわたしを新しい道へと呼ばれたこと、そして、ご自身で私を導いて下さることを確信させて下さったのです。

 

 それから数年のあいだに、私は聖母マリアにたいして同じように愛情や関心をもっている人々に出会いました。出会いはいつも、本屋、レストラン、雑貨店や郵便局の順番待ちの列など、偶然の出会いのように思われました。マリアが働いて、世界を祝福なさっているという物語はいつも私を感動させました。私の友人たちもまた、そうした話を聞きたがりました。このように、聖母マリアとの出会いを分かち合うことの楽しさを味わったことが、この本を出版する動機になったのです。

 読者がこれから読まれる本文には、私が聖母マリアについて知りえたすべてのこと、そして、聖母がくり返し地上に戻られる目的を信じるにいたったすべてのことが書かれています。

 聖母マリアは、人間のあらゆる体験にたいして慰めを与えてくださいます。聖母は私たちを訪ね、癒し、人間関係の中で成長するように私たちを助けてくださいます。また、臨終にあっては私たちを力づけ、永遠の命を約束してくださいます。私たちの信仰を育み、私たちが聖母に触れたあとは、私たちの人世は完全に変化してしまいます。

 

 こうしたことが以下の五つの章の内容ですが、私はこれらの物語に登場する人々に会わせてくださったことにたいして、聖母マリアに深く感謝しています。以下の物語を喜んで分かち合ってくださった方々にもお礼申し上げたいと思います。彼らの一人ひとりが特別な方法で私に紹介されたり、またはマリア体験を話そうとして私を訪れてくださったのでした。私は聖母が、ご自分が人々を助けることが可能であることを示そうとして、この本を実現させてくださったのだと信じています。

 

 聖母は、あらゆる人種、あらゆる宗教の人々のためにここに存在されています。私たちを和解させ、私たちが神に戻ることによってひとつに結ばれるようにと、ここにあられます。私たちが愛の力に心を開けるよう、私たちのハートに触れるためにここにあられるのです。

 何世紀か前には、聖母の祝福を受けるのは、ほんのひと握りの高められた方々だけでした。聖母に会えるのは聖人だけで、一般の人々は、日常生活からかけ離れた彼らの神秘体験に畏れを抱くだけでした。

 

 でも、聖母は常に私たちとともにおられたのです。ご自分が愛を注がれるのに、小さすぎる人も大きすぎる人もいないことを、聖母は私たちに分かってほしいと望まれています。私たちすべてをご自分の子供とみなし、私たちの傷を癒し、恐れを克服させたいと望まれています。聖母は平和と統一のメッセージを携えてやってこられました。私たちが祈りを通して神に心を開くなら、霊的健康を取り戻せると聖母は約束なさっています。聖母マリアは愛と慈しみの化身であり、聖母との出会いはどんな人の心にも感動を与えずにはおきません。

 私たちのあいだに聖母がおられるということは、まさに恩寵の賜なのです。」

 

(本書に寄せられたマザー・テレサの言葉)

あなたの新刊書Gifts of Graceを送って下さってありがとう。

聖母の愛といつくしみを世に知らせ、

すべての人にその愛といつくしみを

大切に思ってほしいという

あなたの意図を、

神はお喜びになっておられるでしょう。

イエスはご自分の母マリアを、

十字架の足もとにいる私たちにお与えになりました。

ですから、

心からのやさしい幼な子のような愛で、

御母を大切にしてほしいとお望みなのです。

イエスに、

マリアへの愛を深めてくださるように祈りましょう。

そうすれば、

私たちもまたイエスが愛されたように御母を愛し、

主と同じようにいつもそのお側にいて、

イエスと同じようになんでも、

十字架でさえも、

御母と分かち合うことができるでしょう。

祈りましょう。

神があなたを祝福されますように。

 

マザー・テレサ

 

(訳者あとがきより)

「本書には個人的にマリアに出会い、奇跡的な体験をした四十一の感動的な物語が収められています。聖母マリアはキリスト教会のあるところ、二千年の歴史をこえ民族をこえて、崇敬され、讃美され、愛されてきました。詩人のこころをとらえ、作曲家の魂に霊感を吹きこみ、画家たちを引きつけてやまなかったものは、マリアを聖母たらしめた無限なるものへの限りないあこがれだったでしょうか。これらあまたの傑作に加え、聖人たちもまた、古くより聖母に捧げる讃歌や聖歌をうたい、それらは幾世代にもわたって祭壇の前の沈黙の射祷となって人びとの心にうたいつがれてきたのでした。

しかし時代はうつり、現代人の心から『聖なるもの』への志向が失われてきたことは確実です。その風潮は教会内にまで及び、信仰の遺産はもはや祭壇の前で遺物へと貶められつつあると言っては言い過ぎでしょうか。聖なるものへの畏れを忘れ、祈りに恥じらいをおぼえている現代人に聖母は何を訴えかけておられるのでしょう。専門家によりますと、現在でも公けに報告されている聖母の出現は、300件以上にのぼるといわれます。聖母マリアは、個人の夢の中や瞑想にも現れて、私たちを力づけて下さるといいます。行き先を見つけられずに陥っている今日の日本人の閉塞状況から、聖母は救いの出口を照らしてくれるでしょうか。

 

訳者の役業が終わりに近づいた頃、ヴァッスーラ・ライデンさんの講演会が開かれました。この方はすでに十年をこえてキリストからのメッセージを頂いているギリシャ人とのことで、その本は今、31ヶ国語で出版され、つい先頃日本語版も二冊目が訳出されました。講演後、ヴァッスーラさんは十字架による祝福と按手を希望者にして下さることになりました。額に按手して頂くと、聖霊の力によって倒れる人もいるが、ガマンして立っていると頭痛がするので抵抗せず倒れてください、後ろで支える人がいるから心配はいらないということでした。私はそれを見て、これは一種の集団ヒステリーではないかと疑いつつ列に並びました。そしてなんと、私も、額を圧される力に抗しかねて倒れてしまったのでした。こんな所で倒れているのは恥ずかしいと思い、私は急いで立ち上がり、自分の席に戻ろうとしました。立ち上がろうとすると頭がガンガン痛み、自席で私はしばらく頭を抱えていました。隣に座っていた人も頭や胸が痛いと言っていますので、声をかけてみますと、その方はマザー・テレサのもとで奉仕活動をされていた方でした。その方はマザー・テレサとの関わりや、マザーハウスで体験したキリストやマリアのご出現の話をしてくれました。

 

私はびっくりしました。今までそうした体験をしたこともなく、また体験した人の話を直に聞いたことがありませんでしたから。それは私がこのマリア出現の本を訳しながら、本当かな?本当かな?と思っていたことに対し、聖母マリアが『本当なのよ』とその方の口を通して答えて下さったかのように思えました。聖母マリアは今、宗派を問わず、さまざまな場所に出現されては平和と一致をくり返し訴えられています。この本の読者の心の中に聖母のメッセージが届きますようにと、願わずにはいられません。」

 

 

6.その他の本のご紹介

あと、読んだものは次の通りです。

「韓国における聖母マリアのメッセージ 1993年から1995年までのものからの抜粋」/世のひかり社

「グァダルペの聖母」/ご聖体の宣教クララ修道会編

「貧しい者の聖母 バンヌーでの出現」/デルコル神父著/世のひかり社

「マリアはお呼びになる 聖母出現 スキオ クロジア」/デルコル神父・江藤きみえ共著/世のひかり社

「聖母像から血と涙」/志村辰弥著/世のひかり社

「日本の奇跡 聖母マリア像の涙 秋田のメッセージ」/安田貞治著/エンデルレ書店

 

未読、あるいは読みかけたままのものが次の通りです。

「韓国における聖母マリアから血と涙」/レイモンド・スピース著/世のひかり社

「ナジュの聖母 愛のメッセージ」上・下/ユン・ジュリア著/天使館

「聖ベルナデット」/アンドレ・ラヴィエ著/エンデルレ書店(写真が豊富です。)

「共産主義国家における聖母の出現」/デルコル神父著/世のひかり社

「ファチマの聖母」/アントニオ・アウグスト・ボレッリ・マシャド著/『フマネ・ヴィテ』研究会

「ラ・サレットの聖母」/メラニー・カルバ著/愛心館

 

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