最大の奇蹟

 

1.サンダー・シング

2.ヴァッスーラ

3.アグレダのマリア

 

1.サンダー・シング

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P227

 

8.口先だけでわたしを讃え敬う者たちの祈りと、心からそうする人々の祈りとは、まったく異質なものである。例えば、真の信仰者は、目が開かれるように、真理を受け入れるようにと、絶えず人のために祈る。一方、名ばかりの信者は、わたしの真の信仰者への憎悪の中で、相手の目がくらむようにと祈ることが多い。最後に、真の信仰者の祈りは神の愛の御心によってきき届けられ、かつては偽善者に過ぎなかった人間が霊的な目を与えられるようになる。彼は歓びに満ちて真の信仰者となり、わが真の下僕、忠実な友となる。

 

9.祈りは、他の方法によってはなし得ない事柄を可能にする。そして、祈りの人はこの世の知恵と法則に逆らうばかりか、まったくもって不可能とされているような奇蹟を体験する。万物に秩序を保たせそこに法則を与えた者が、自らの法則に束縛されはしないということを、科学者は知らずにいる。大いなる法の制定者のとる方法は計り難きものである。その永遠の意志と目的は万物を祝福し栄えさせることにあり、並みの人間にこの事実が理解できない理由は、霊的な事柄は霊的にしか判断しえないところにある。

 最大の奇蹟は人の中の「新生」である。この奇蹟を体験した者には他のことすべてが可能になる。極寒の地においては水の橋は当たり前の現象である。下の水は自由に流れていても河の表面は凍っているので、人は難なく河の上を渡ることができるのだ。だが、灼熱の気候の中で絶えず熱気で汗をかいているような人々に水の橋のことを語ろうものなら、すぐに「自然界の法則に反するのであり得ない」という答が返ってこよう。新生を体験し、祈りによって霊的生命を保つ者と、この世的生活を生きて物質的なことにしか価値をみない者との差も同じほど大きい。

 

 

サンダー・シング/イエス・キリスト封印の聖書/P329

 

 チベットに、悪い生き方をしてきた大罪人がいました。この人が平和を得ることは不可能のように思えましたが、彼は驚くべき体験をしました。自分の心をキリストに捧げ、素晴らしい歓びを得たのであります。人々は彼を理解できず、体が血に染まるほど彼を石で打ちました。それでも、彼はあえて証を立てました。人々は理解できなかったため、彼を狂人扱いしました。その二、三日後にわたしは彼に出会い、体験をきかされました。それは、まさに奇蹟でした。彼は、新しく生れ変り、世界の理解できないものを見つけていたのです。キリストに出会った人々は、奇蹟を難なく理解できます。大いなる奇蹟とは、生命を受けること、真理を知ること、地上に天国を見出すことです。

 

 

2.ヴァッスーラ

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P112

‘88・1・24                 見失った羊の譬え(ルカ15・1)

 

♡ どれほど多くの霊魂に近づいたか あなた方が知ったなら、この人びとは必ずしも修道服を着ていなく、私に献身的でさえなかった ところが聖人に変えられた!

(それからジェームズ神父の目をまっすぐとのぞき込むようにして、イエスはしみ透る眼差しを 投げかけられました。)

 

愛する者よ、香りによってあなた自身が私の現存を識別したことを 本当に忘れてしまったか? 我が香りであなたを包み 祝福したのを! さあ、今に学ぶであろう ♡ 私は多くの霊魂を我が平和と愛のメッセージで回心させ、失われた仔羊たちは戻って来て 腕に飛び込んできてくれた、喜びなさい 霊魂よ! 迷子の仔羊が主人を見つけるほど 大きい奇跡があろうか! 羊飼いにとっても 迷子の羊を再び見出す以上の喜びがあろうか(*)! 私の誉れとなりなさい

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P128

‘88・1・30

 

♡ ああ 愛する者よ(*) 私のメッセージがいかに失われた霊魂を癒し 回心させるかをジェームズ神父に思い出させなさい、ヴァッスーラ 私のメッセージが本物である証しとして 何が一番大きな奇跡か?

 *イエスでした

 

回心?

 

♡♡ そうだ、我がヴァッスーラ、私の司祭よ、これで分かったであろう、私の最大の奇跡は 娘(こ)よ 回心なのだ ♡ 終わりには 娘よ、私どもの心が勝利するであろう

 

 

3.アグレダのマリア

 

アグレダのマリア/神の都市/P96

 

結婚してから御言葉の御受肉までの六ヶ月間と十七日の間、聖マリアの愛徳、謙遜と信心や施しの忙しい生活は、いと高き御方の御目に叶ったのです。人間の言葉で表現すると、神は大喜びで、聖マリアに駆け寄り、両手を差し出し、世界開びゃく以来の最大の奇蹟を行なうことになります。すなわち、御父の御独り子がこの婦人の汚れなき胎の中で受肉されるという奇蹟です。そのため、その前九日間、神は聖マリアに準備させました。神の川が激流となってこの神の国の中に流れ込みました。私はこの奇蹟を目の当たりにして、人間には到底書き表せないと考えます。