牢屋
天界の秘義5037
『牢屋に入れられて、そこにしばっておかれること』は、善に向って誤ったことを語ることにかかわる試練に入れられることを意味しているのは、足の裏の真下とその周囲の領域は凡て『牢屋』と呼ばれているためであり、そこには剥奪の状態にいる者、すなわち、誤った原理にいて、誤謬から悪の生活にいるが、しかも意図は善良である者が留め置かれているのである。このような者は誤った原理を、またそこから派生してくる生命の歓喜をすて去らない中は天界に迎え入れられることはできないのである。そこにいる者は試練に入れられるのである、なぜなら誤った原理とそこから派生してくる生命の歓喜は試練によらなくては放逐されることはできないからである。かれらのいる場所、またはむしろ、かれらがその中にいる状態は全般的に『牢屋』により意味され、その場所そのものは『坑』により意味されている。他生における剥奪については前に言ったことを参照されたい(698、699、1106−1113、2699、2701、2704番)、剥奪の状態の中におかれている者は『しばられた者』と呼ばれているが、それはかれらはなわまたはくさりにつながれているというのではなく、その前の思いとそこから派生してくる情愛の方面では自由ではないということである。