聖体拝領・・・パンとワインとを分離した事情
1.パンとワインとを分離した事情
1.パンとワインとを分離した事情
霊界日記6059
法皇派の者らが聖餐の礼典においてパンとワインとを分離した事情について
聖餐の秘蹟[礼典]について、法皇派の者らの間では、なぜかれらはパンとワインとを分離して、一般人にはパンのみを与えて、自分ら自身はワインを飲むか、について話し合われたが、それでも、それは主によってはそれとは異なったことが制定されたのであって、そうしたことはワインが欠乏しているという理由のため、必然から起こったのではないのである。
なぜならイタリ―、フランス、スペイン、ポルトガル、ドイツの内部、ハンガリーではワインが在り、また、イギリス、オランダ、スエーデン、デンマーク、改革派のいるドイツの部分におけるように、ワインが生産されていない所では、ぶどうは生育しないのに、それは聖餐の秘蹟には用いられているからである。
法皇派の者らは以下の私的な理由でないかぎり、いかような理由をもあげることはできなかった、すなわち、修道僧らが死者の霊魂のためにミサを執行し、他の行事に携わっているさい、その仕事がつづいて、そのため、心身ともに疲労することがないように、そのさいワインを飲んで、気力を回復するためである。
他のいかような理由も発見されることはできなかったが、しかしそうしたことは主の神的な摂理の下に起こったのである、と言われたのである。
なぜなら、かれらは、教会から凡ゆる善と真理とを剥奪したさい、パンとワインとを分離したからである、それは、善は、もしそれが真理から分離するなら、善ではなく、すなわち、善は真理の中に在るときは善であり、真理も善から真理とならなくてはいかような方法によっても真理とはならないからである。
黙示録講解1054
例として主により制定された聖餐式に対し行なわれたことを考えられよ、彼らはパンとぶどう酒とを分離してしまって、パンを人々に与え、ぶどう酒を彼ら自身が飲むのである。なぜなら「パン」は主に対する愛の善を意味し、「ぶどう酒」は主における信仰の真理を意味し、真理から分離した善は善ではなく、善から分離した真理も真理ではないからである。なぜなら真理は善から真理であり、善は真理の中で善であるからである。
神の摂理257(ニ)
しかし何が起こったか。自己への愛がその支配を主の王座にまでも高め、主を退け、自らをその上に坐らせた時、魔王と呼ばれた愛(自己愛)は必然的に聖言のすべてと教会とを冒涜したのである。
これを防ぐため、主はその神的摂理により、彼らが主礼拝から離れ、死人に祈願し、その像に祈り、その骨に接吻し、その墓に跪き、聖書を読むのを禁じ、聖い礼拝は一般人に理解されない「みさ」を唱えるにあると考え、救いを金で売るように配慮された。もし彼らがこれらの事を為さなかったなら、彼らは聖言と教会との聖い物を冒涜したであろう。なぜなら前の項に示したように、聖い物を熟知している者のみがそれを冒涜するからである。
それゆえ彼らに最も聖い晩餐を冒涜させないため、主の神的摂理は彼らを導いて、それを分割させ、パンを人々に与え、葡萄酒を彼ら自身に飲ませられた、なぜなら聖餐の葡萄酒は聖い真理を、パンは聖い善を意味するが、しかしそれらが分割されると、葡萄酒は冒涜された真理を、パンは不善化された善を意味するからである。そして彼らはさらに導かれて聖餐を形式的な物質的なものとして認め、これを宗教の根本的な教義として採用した。
これらの事実を考察し、或る程度主から明るくされた心で比較考慮する者は教会の聖い物を守り、救われ得る者を凡て救い、いわば、救われようと欲する者を火からつかみ出そうとする神的摂理の驚嘆すべき働きを見ることが出来るであろう。
啓示による黙示録解説753
主の身体と血とを、または聖餐におけるパンとぶどう酒とを、明らかにその制度を無視して、分割し、しかもこれを作り話によって行い、それもただ日毎の、また夜毎のみさのいけにえのためであって、このみさにより彼らは世の利得を得ているということ以上に汚らわしいことがあろうか。死人に神に祈願するように祈願し、これを礼拝し、その像に跪いて平伏し、これに否、その死体の骨と亡骸とに、恭しく接吻し、かくして人々を神礼拝から連れ出して、汚れた礼拝へ招き入れているが、これもまた利得のためである、ということ以上に汚らわしいことがあろうか。(中略)神の真理そのものである聖言を平信徒と一般人から取り上げて、それに代えて、聖言の純粋な真理はほとんど一つとして含んではいない詔勅と教理とを発布する以上に汚らわしいことがあろうか。これらが黙示録の本章に取り扱われている事柄である。
啓示による黙示録解説 上巻P4−5
序言
ロマ カトリック教会とその宗教との教義の大要
啓示による黙示録解説795
バビロンにいる者らは、以下の途方も無い誤謬を、すなわち、聖餐のパンとぶどう酒とは分けなくてはならない、パンは平信徒に与えなくてはならないが、ぶどう酒は教職者たちに与えなくてはならないというこの誤謬をいかようにして確認することができるかと、探求し、調査したことを認めることのできない者がいようか。このことはトレント会議で制定され、教書により確立された確認記事を読むだけで認めることができよう―
聖別されると忽ちイエス・キリストの真の身体と真の血とは、その霊魂と神性と共に合して、真に、現実に、原質的に、そのパンとぶどう酒との中に含まれる、即ち、言葉の威力から、その身体はパンの外観[形]の下に、その血はぶどう酒の外観[形]の下に含まれるが、しかし自然的な連関と共存の力により、身体そのものはぶどう酒の外観の下に、血はパンの外観の下に、霊魂は二つのものの下に含まれ、また自然的な連関と共存の力により主の各部分は互に結合し、その神性は身体と霊魂とに対するかの驚くべき本質的結合により結合し、各々の種類の中にも、両種類の中に含まれていると同じほどのものが含まれ、キリストの全部はことごとくとパンの外観[形]の下い、またその外観の各部分の下に存在し、その全部はまたぶどう酒の外観の下に、その部分の各々の中にもまた存在している。またぶどう酒には水を混ぜなくてはならない。
これは彼らの言葉そのものであって、この言葉は彼ら自身が告白している主の御言葉の真意に反しているのである。健全な判断を持つ者であってたれがここに真理そのものが、心の正しい者から嫌忌されないわけにはいかない理論により転倒され、誤謬に変えられているのを認めないか。しかしこの凡ては何を目的としているのか。それはただミサのためではないのか、このミサを彼らはいとも聖なる、汚れのない、その中には聖なるもの以外には何一つない宥めの生けにえと呼び、これを通して人間の身体の感覚に神性感を注ぎ込むと同時に、信仰と霊的生命の凡ゆる物の中へ夜の暗闇を注ぎ入れ、しかもこれは彼らがその暗闇の真中にあって、主権と利得を得るためではないのか、そしてそれはまた教職連については、彼らは主に満ち満ちていて、主は彼らの中におられるという考えを抱かせるためではないのか。そしてその教職連が疲れないようにぶどう酒がその連中に与えられ、また酔いつぶれないように水をそのぶどう酒の中に入れなくてはならないのではないのか。
マタイ5・17
「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。 はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。だから、これらの最も小さな掟を一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、天の国で最も小さい者と呼ばれる。しかし、それを守り、そうするようにと教える者は、天の国で大いなる者と呼ばれる。
マタイ28・19
だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P19
‘88・9・5
♡ 私です、怖れることはない、間もなく全てが明るみに出され あなたを拒みメッセージを信じるのを拒んだ人びとは 皆御父に赦しを祈る日が来る。 ヴァッスーラ、「盲目」であったなら私は癒したであろう、しかし彼らは「見える」と言い張っている、私が地上にいた時と同じ 盲目の道案内人の子孫だ、我が子よ、地上に私がいた時に 彼らが生きていたなら 私を磔にした人びとの間にいて、そのなすことを一緒に 行っていたであろう、預言者たちに石を投げ 黙らせた仲間となったであろう、どうして 今も当時も 何も変わっていないではないか? 私を信じると主張しながら、霊の働きを拒み、こうして再び私を拒んでいる、あなたはメッセージを携え 私に遣わされた、しかし律法学者やファリサイ人のように この人びとは証拠を求める、確固とした証拠を。 気構えていなさい 我が子よ、背に鞭を受ける準備をしなさい、私、主は背に鞭打つのを許した、そこであなたも背を差し出しなさい、聞くのを拒むので 自分たちの間違いを 繰り返させなさい、私、主は、拒まれ しまいには木に釘づけにされた ♡ そこであなたも従順に 十字架を分かち合うように、今日は昨日と同じだ、誰を送ろうと、彼らは追及し、迫害するか拒む。私の送る者の血は、アベルの血から今の世代にいたるまで、絶えず流されている! 律法学者やファリサイ派の人たちに警告したように、今日の我が使者を迫害し みことばを弾劾する人びとに警告する、聖霊を笑いとばす者どもに警告する、「あなた自身の証拠が あなたにとって不利となる、一人として変わっていない、やることは同じだ、その考え方があなた方を不利にしている。 ♡ 道案内人よ! 霊的メッセージをいろいろと教えながら 聖霊の働きを無視するか! 道案内人よ! 我が肉で仔羊たちを養うが、我が血は差し控えるとは! 私の指示を忘れてしまったか?」 我がヴァッスーラ、私の棘を感じさせよう、これら聖職者たちの心に 合理主義がどう支配しているかを感じさせよう、彼らの前にあなたを曝す。 我がパンであなたを養っている、私と一致し、我が棘を感じ それを共有するように、一本一本の釘が私を貫いたように あなたの霊魂も貫かせなさい。 予告しておいた、さあ 鞭打たれる覚悟をしなさい、しかし覚えておくように、私の背も曝させてあり あなたにすることは皆、私にもしている ♡♡ 「私たち」?