匂い
悪臭/
1.彼らは天界の社会へ近づくと、不愉快な臭いを発する
2.地獄の匂い
3.ルイザ・ピッカレータ
4.快適なものを知覚すること
5.悪臭
1.彼らは天界の社会へ近づくと、不愉快な臭いを発する
天界の秘義7225[3]
モーセは、舌がもつれたために、自分自身を『唇では割礼を受けない者』と呼んだことは内意のためであり、そのことにより、パロにより表象されているところの誤謬の中にいる者らは、律法の神的なものから彼らに言われる事柄に耳を傾けようとしないことが意味されるためである、なぜなら誤謬の中にいる者らは律法の神的なものに属している真理を誤謬と呼び、律法の神的なものに反している誤謬を真理と呼ぶからである、なぜなら彼らは全く対立したものの中にいるからである。そこから教義の諸真理は彼らからは不潔なものとしか認められず、天界の愛すら彼らには不潔なものに見えるからである。さらに彼らは天界の社会へ近づくと、不愉快な臭いを発するのであり、それを知覚すると、それは彼ら自身から発しているのに、その天界の社会から発散していると考えるのである、なぜなら不快な臭いはそれとは対立したものに近寄らない限り認められはしないからである。
2.地獄の匂い
追補 真の基督教 遺稿(『真の基督教の増補』に併録)9
匂いについて
1.地獄の匂いは、種々の野獣、はつかねずみ、猫、狐、狼、豹、熊、虎または豚の匂いに似ている。さらに、これらの獣の、また人間の排泄物の悪臭に似ており、淀んだ水、沼の悪臭に、種々の死体のそれに種々の腐敗した物のそれに、便所、尿器、蛇のそれに、くず、へどの悪臭に、種々の雄山羊の匂いに似ている。これらを彼らはその鼻でかぎ、その目で、その匂いの出て来る所へ連れて行かれる。彼らは夫婦愛のスフィア[霊気]を匂ぐと、吐き気を催すか、または色情に燃えるのである。
2.天界には青草、種々の木、りんご、なし、みかん、オリーブ、ぶどうから発する芳香が漂っている。それらのものの葉から発しているような、種々の穀物から発しているような、また色々な種類のワインとおりから発しているような匂いが在る。焼き立てのパンとケーキから、杜の中の色々な有益な木から、蜜から発しているような芳香が、漂っている。乳香や、他の色々な成分から発しているような香気が漂っている。幼児の、また天使のスフィアは天界ではこうした芳香に変わるのである。
3.地上の野獣はその匂いにより共に結びついており、彼らはその匂いにより彼ら自身の種類の者らを知っており、また同様に彼らの敵をも知っている。その匂いから彼らは自分の食物を知っているのである。蜂は匂いをかぎ、そのかぐ方向へ飛んで行くが、蝶も同じである。
4.奈落の者らは天界の芳香を避け、天界の住民は地獄の悪臭を避ける。そうした理由のため地獄の住所はことごとく閉じられている。そうした理由のためイスラエルの子孫はその排泄物をその宿営の外へもって行き、そこでそれを埋めるように命じられたのである。地獄の住居が開かれると、それは吐き気をもよおさせ、もどしたい気分になる。そのことはわたし自身幾度も経験したのである。地獄の悪臭は彼らの鼻孔には甘美な匂いであるが、それに反し、天界の芳香は悪臭となっている。ここから同情[同感]と敵意[反感]とが起っているのである。人間は身体の中ではこうしたものの影響は受けはしない、なぜなら主は、共に生きるために[共に交わるために]そうしたものを遠ざけておられるからである。外なるものもまたこれらのものを芳香に変えており、その芳香により内なるものは囲まれ、閉じ込められている。
5.以下の匂いは不快なものではない、すなわち、仔羊、羊、子牛、家畜、馬、らば、象、らくだ、雄鹿、ひな、白鳥、はと、また他の鳥から発散する匂いは不快なものではない。
6.鉱物界で匂いを発散しない物体は一つとしてなく、実に、種子がはらまれる手段となるところの、感知できないほどにも微細な粉末の形をとったものの中にも(匂いを発散しないものは一つとしてないのである)。植物界の中でもまた匂いを発散しないものは一つとしてない。この匂いは脂質の、また含塩性の(いくたの)微粒子から成っており、その微粒子は同時に水質の発散物とともに与えられているのである。動物界でもまた匂いを発散しない物は一つもないのである。そのことについては前を参照。
7.匂いまたはかおりは一種の煙以外の何ものでもなく、種々の物質(マター)から分離した極微原質(サブスタンス)から成っている。この分離は絶えず行われて、その失われたものは新しい粒子を附加されることによって補われている。このようにして投げ棄てられた粒子はその原質の発散性のオーラ―(スフィア)となる。このことは磁気から明らかに認められ、また兎、雄鹿、また色々な種類の獲物をその匂いで追跡する狩猟用の犬からも認められる。エホバについては、エホバは生けにえから休息[憩い]の匂いをかがれたと記されているのである。
8.(霊界で)サチルスのように見える者らは売春婦を、すなわち、売春婦の匂いをかぎつけ、狐のように見える者らは狡知と謀略とをかぎつけ、豹のような者らはずるい者らをかぎつけ、パンサーのような者らは人殺しと暗殺人をかぎつけ、復讐は彼らには歓ばしいといった工合である。
9.馬はその匂いにより真理の中にいて合理的なものである者たちの方へその頭を向けるが、しかし誤謬から論じる者らの方へはその尾を向けるのである。犬のような者らは奢侈にふけっている者らをかぎつける、といった工合である。
10.地獄にいる者らはすべてその背を天界の方へ向けており、そこから発散している最も微かな匂いにも堪えることは出来ない。もし彼らが婚姻的なスフィアを感じるなら、猛り狂い、身を背けないなら、気絶してしまうのであり、主について何かを聞くときも同じようなことが起るのである。人間はその外なるものの中では異なっている、なぜならその外なるものと内なるものとの間には障壁が在るからである。
11.人各々の匂いは、その者がその中にいると、自由に息を吸い込む基本的なスフィア[霊気]のようなものであり、人各々はこれを喘ぎ求め、その中にいると、自分自身を回復するのである。
12、強盗と海賊の地獄は牛と羊の死骸のように匂い、人殺しと刺客[暗殺人]の地獄は人間の死骸のように匂い、鶏姦者[男色者]の地獄も同じように匂っている。この悪臭は彼らには芳香を放ち、香気に満ち、すがすがしく、その胸の中では甘美な御馳走のようなものとなり、またその頭の中ではワインの高貴なアルコールのようなものとなっている。彼らはこの悪臭を鼻孔を拡げ、口を開けて吸い込み、天界の何かの匂いから逃げ出した後では、その悪臭によりさわやかにされるのである。
13.かつてわたしは豹のような抜目のない悪魔が、或る高い山へ―そこには天的な天使たちがオリーブの木の生け垣で囲まれていたが、そこへ―登って行くのを見た、彼はその匂いを充分に吸い込むと、不意に痙攣をおこし、関節のことごとくが硬直し、蛇のようにのたうちまわり、真逆様に投げ落とされた。後で彼はその仲間の者から持ち上げられて、洞窟へ、その者自身の臭いの中へ連れて行かれ、そこへ来ると、生き返ったのである。
14.さらに、わたしは或る一人の悪魔が地獄のその仲間から鞭打たれているのを見た、それは彼が、何の理由もなく、その言ったところでは、鼻に物を詰め込んで、天界の匂いを放っているようなものに近づいて、その着物に彼らの芳香のいくらかを付けて帰って来たためであった。
15.聖言では匂い[かおり]は認識を意味している。
天界と地獄134
地獄にもまた熱があるが、しかしそれは不潔なものである(*10)。天界の熱は聖い天の火により意味されるものであり、地獄の熱は汚れた、奈落の火により意味されるものである。その二つによりともに愛が意味されるが、しかし天の火により主と隣人に対する愛と、その愛から生まれる凡ゆる情愛が意味され、奈落の火により自己と世への愛と、その愛から生まれる欲念が意味されている。愛は霊的な源泉から発する熱であることは愛により熱することから明白である、なぜなら人間はその愛の性質と度とに従って燃え、熱し、その熱は[愛が]抵抗を受ける時示されるからである。それで善の愛の諸々の情愛についても、また悪の愛の諸々の欲念についても、燃える、焼ける、煮えたぎる、火がつくと言うことが普通となっている。
*10
地獄には熱があるが、しかしそれは不潔である(1773、2757、3340)。そこから発する臭気は世の糞、排泄物から発する臭気に似ており、最悪の地獄では死体の臭気に似ている(814、815、817、819、820、943、944、5394)。
天界の秘義4464[2]
人間はその幾多の情愛の生命に順応している一種の霊的なスフィア[霊気]に取り囲まれており、天使たちにはこのスフィアは、匂いのスフィアが地上の最も精妙な感覚に認められるにもまさって認められていることを人間は知ってはいないのである。もし人間の生活が単に外なる事柄の中にのみ送られるなら、すなわち、隣人に対する憎悪から、その憎悪から生まれてくる復讐と残酷から、姦淫から、自己高揚とそれに付随した他の者に対する軽蔑から、秘かな強奪から、貪欲から、詐欺から、贅沢から、その他それに類した幾多の悪から発してくる快楽の中に送られたら、そのときはその者を取り囲んでいる霊的なスフィアは、この世で死体、糞、悪臭を放つ食物の屑といったようなものから発してくる匂いのスフィアのような嫌忌すべきものとなるのである。このような生活を送った人間は死後この嫌忌すべきスフィアを携えて行くのであり、彼は全くその中にいるため、このような性質をもったスフィアの場所である地獄の中に必然的にいなくてはならないのである(他生のおけるスフィアとそれがどこから発してくるかについては、1048、1053、1316、1504−1519、1695、2401、2489番を参照されたい)。
真の基督教569
人間の凡ゆる愛は、歓喜を発し、それによって感ぜられる。それは最初に霊へ吹き込まれ、霊から身体へ吹き込まれ、人間の愛の歓喜はその思考の快楽と共に彼の生命を構成している。これらの歓喜と快楽とは、人間が自然的な身体を以て生きている限りは、単に微かに感ぜられるに過ぎない、それは身体はその歓喜と快楽を吸収し、鈍くしてしまうからであるが、死後物質的な身体が取り去られ、かくて霊の蔽いが除かれる時、彼の愛の歓喜と思考の快楽とは完全に認められ、そして奇妙なことであるが、それらは時としては香りとして感ぜられる。これが天界であれ、地獄であれ、霊界の凡ての者はその愛に従って連なる理由である。天界的な愛を現す香りは春の朝の庭園、畠、森から立ち昇る芳香に似ているが、地獄的な愛を現す香りは下水、死体、溜まり水から立ち昇る吐気を催す悪臭に似、而も奇妙な事ではあるが、地獄の悪魔と魔鬼共はこれらの悪臭を、恰も、それが薬味の芳香ででもあるかのように、喜びを以て吸い入れるのである。自然界では獣、鳥、昆虫はその匂いによって互に惹き付けられるが、これは人間には、人間がその身体を脱ぎ去るまでは起こらない。かくして、天界は善の愛の凡ゆる諸々の変化に応じて、極めて微細な区別をもって排列され、地獄も同様に悪の愛の凡ゆる諸々の変化に応じて排列されている。この理由から、天界と地獄との間には越ゆることの出来ない大いなる深淵が置かれている。何故なら、天使たちは吐気、病気、昏倒を引き起こす地獄の匂いに堪えることが出来ず、同じことが悪魔共に、若しその悪魔が両者の間に介在する深淵を越えるならば起こるからである。
或る悪魔がその狡知によって光の天使の外観を帯びることが出来、最低の天界の或る天使たちの間に現れた。その後ニ、三日して、私は彼を見た。遠方からは彼は豹のように見えた。彼は中間の深淵を越えて、日本のオリーブの木の間に立ったが、その木の芳香も彼には何の影響も与えなかった。これは、如何なる天使もその場に居合わせなかった為である。然し、天使たちが近づくや否や、彼は痙攣を起こして倒れ、その時の有様は大きな大蛇が身悶えしているようであった。遂に、彼は地面の割れ目から逃れ、その朋輩達によって洞窟の中へ運ばれ、そこに間もなく彼自身の歓喜の忌まわしい匂いによって生き返ったのである。
3.ルイザ・ピッカレータ
ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/1巻P66
くり返してイエスと聖母からたくさんの招きのあとに、私が、生けにえの身分の受諾に従ったときから、ほんの数日がたったばかりでした。主が頭に茨の冠をつけ、血まみれの姿でおみえになると、私は意識を失う―二度目ですが―のを感じました。主は私に近づかれ、いつくしみ深い様子でおっしゃいました。「わたしの娘よ、人間はまったくわたしの愛から離れて、いったい何をわたしにするのかを少し見て下さい。この悲しい時代に彼らの傲慢さは驚くほどひどくなり、彼らが吸う空気まで毒されてしまいました。その悪臭はまったくひどく、それはあちこちに満ちているだけでなく、天上のわたしの父の玉座にまでとどいています。あなたにも考えられるでしょう。これほどまでに惨めな人びとの状態ゆえに、天の扉まで閉じられようとしています。彼らはもう真実を知るための目すら持っていません。なぜなら傲慢の罪によって彼らの頭は暗くなり、その心は堕落してしまったからです。そのためにあらゆる不摂制と醜態に身を任せているので、わたしは彼らが自分を失うのを見て、激しい苦しみと言いようのない心痛をおぼえます。ああ、あなたはどうか、人びとが絶え間なくわたしに行う多くの間違いにたいする慰めと償いのわざを捧げてくれませんか? 少なくともこの冠が、わたしに与えるひどい茨の痛みを和らげたいと思いませんか?」
4.快適なものを知覚すること
天界の秘義7161
『におい』は快適なものを知覚することを意味しているため、それは信仰と仁慈とを知覚することを意味している、なぜならそれらは快適なものであるからである(1519、4628、4748番を参照)、そしてこれらのものは快適なものであるため、従順は極めて快適なものである、なぜなら従順は信仰と仁慈との善そのものであるからである、ここから『におい』によりここでは従順が意味されているのである。
5.悪臭
天界の秘義7161〔2〕
『匂い』は主に対する快適なものを凡て意味しているため、『悪臭』は主に対し不快なものを意味し、従って『悪臭』は反感を意味し、また忌まわしいものを意味している。更に『悪臭』は誤謬と悪に対する反感と嫌悪とに実際相応している。
天界の秘義7161〔3〕
誤謬と悪の中にいる者はすべて善に対して反感を覚え、真理は彼らには悪臭を発するためである。
天界の秘義7161〔4〕
悪の中におり、そこから誤謬の中にいる者らは悪臭を発していることは、暗殺者と最も執拗な復讐を企てている者らのいるところの死体地獄と呼ばれている地獄から非常に明白であり、またそれは姦通者と汚れた快楽を目的としている者らのいるところの、糞尿地獄と呼ばれている地獄からも明白である。これらの地獄が開かれると、そこからは堪え難い悪臭が放出されるが(4631番)、しかしこうした悪臭も、霊に属している内部を開かれている者以外の者によっては悪臭としては認められはしないのである。にも拘らずこの地獄にいる者らはこの悪臭を快適なものとして認め、それでその中に生きることを愛しているのである(4628番)、なぜなら彼らは死体や糞尿によって生き、そこに生命の歓喜を得ている動物のようなものであるからである。彼らはこうした悪臭の領域から出てくると、甘美な、快適な香りは彼らには鼻もちのならないもの、極めて不快なものとなるのである。この凡てから、誤謬の中にいる者らは、モーセとアロンとにより表象されている律法の神的なものとそこから派生した教義とに属したものにこうした反感を抱いており、モーセとアロンについては『彼らはその香りをパロの目とその僕らの目とに鼻もちのならないものとした』と言われていることはいかように理解されなくてはならないかを認めることが出来よう。