悪臭

 

 

匂い

 

 

 

 

箴言13・5

 

神に従う人は偽りの言葉を憎む。

神に逆らう者は悪臭を放ち、辱められる。

 

 

 

天界の秘義1742[2]

 

悪霊が持っており、また悪霊が極度に愛している生命は自己への愛と世への愛と幾多の欲念の生命であり、引いては復讐と残酷との生命であり、悪霊はそれ以外の生命にはいかような歓びも在り得ないと考えている。彼らはこうした欲念の歓喜に生命の凡てを置いて、こうした生命が唯一の生命であって、それを失うときは自分は全く死滅してしまうとのみしか考えない人間のようなものである―なぜなら彼らは人間であったのであり、人間であった時、その生命からこうした信念を得ているからである。しかし彼らの愛している生命はいかような性質を持っているかは他生におけるこのような性質の者らから明白であり、そこではそれは悪臭を発する排泄物のような生命に変化するのであって、しかも驚嘆すべきことには、彼らはその悪臭を極めて楽しいものとして認めているのである、このことは820、954番に経験から述べられたことから認めることが出来よう。

 

 

 

天界の秘義4628

 

 さらに認識のスフィアが変化した香りについては、その香りは地上の香りのように明らかにかがれはするが、しかしその内部の閉じられている人間には知覚されはしないのである、なぜならそれらは内なる道から流れ入って、外なる道からは流れ入らないからである。これらの香りは二重の起原から、すなわち、善の認識と悪の認識から発している、善の認識から発している香りは庭園の芳香を湛えた花や他の芳香を湛えた物から発散しているかのように強烈なほどに甘美であり、表現出来ない程にも楽しく、また多様であり、天界の天使たちはこうした香りのスフィアの中にいるに反し、悪の認識から発している香りは鼻持ちならぬ水、排泄物、死体から発する悪臭、不快な臭い、または二十日ねずみと南京虫から発する汚らわしい臭いのように強烈な嫌忌感を与えている。このような悪臭のスフィアの中に地獄にいる者たちはいるのであるが、しかも驚くべきことには、その中にいる者はその不快さを認めはしないで、否、その悪臭が彼らには歓ばしく、彼らはその中にいると、その歓喜のスフィアの中にいるのである。しかし地獄が開いて、そこから発散したものが善良な霊たちに達すると、これらの霊たちはこの世でこうした悪臭のスフィアに襲われる者たちのように、恐怖と苦痛とに苛まれるのである。

 

 

 

天界の秘義4631

 

 また、二、三度死臭が私に匂ってきた、私はそれがたれから匂って来るのかと尋ねると、それは凶悪な強盗共や暗殺人や甚だしいたばかりを弄して犯罪をやってのける者らのいる地獄から匂って来ることを告げられたのである。ときにはまた私は糞尿の匂いを嗅いで、それがどこから匂って来たのかと尋ねると、それは姦通者のいる地獄から匂って来るのであると言われた。そして糞尿の匂いが死臭と混合している時は、それは残酷な輩でもある姦通者共から発していると言われた。その他これに類したことが起った。

 

 

 

天界の秘義7319

 

「そして川は悪臭を発するであろう」。これはそれに対する嫌悪を意味していることは以下から明白である、即ち、『悪臭を発すること』の意義は嫌悪であり(7161番を参照)、『川』の、ここでは血に変ったエジプトの川の意義は誤謬化された真理である。他生では誤謬化された真理以上に忌まわしいものはなく、従ってそれ以上に悪臭を発するものはないのであり、それは生肉が死ぬと立ち昇ってくる死体の悪臭に似ていることを知られたい。なぜなら誤謬は、それが真理に適用されない限り悪臭を立てはしないのであり、悪も、それが善に適用されない限り悪臭を立てはしないからであり、各々のものの性質は、そのもの自身からは知覚されはしないで、その対立したものから知覚されるのであり、そのことから冒涜された真理の悪臭のいかに甚だしいものであるかを認めることが出来るのである。冒涜された真理とは真理に連結した誤謬であるが、誤謬化された真理とは、真理に連結はしていないで、真理に接合し、真理を支配している誤謬である。

 

 

 

神の摂理304

 

 これらの歓喜は、個別的には各々の者の生命を構成し、全般的には凡ての者の生命を構成しているため、その歓喜を宿している当人によっては感覚的に認められる、何故なら個々の歓喜は凡てある匂いに相応し、霊界ではその形を取ることが出来るからである。それ故天界の全般的な歓喜は庭園の芳香として感覚的に認められ、その中に在る花と果実との匂いに従って変化し、地獄の全般的な歓喜も、汚物を投げ込まれている濁り水として感覚的に認められ、その中に腐った、悪臭の物から発する強烈な臭気に従って変化している。私はまた天界の良い情愛の歓喜と地獄の悪い欲念の歓喜とは如何ように知覚されるかを知ったが、しかしそれをここに記すには余りに時間を要するであろう。

 

 

 

神の摂理305

 

私は世から新たに来た者が多く、他生の自分たちの運命は自分たちの愛の情愛に応ずることを知らなかったことに不平を漏らしているのを聞いたことがある。私たちは世では自分の情愛について考えたことはなく、ましてその歓喜について考えたことはない、なぜなら私たちは自分に歓ばしいものを愛したからである、私たちは各人の運命はその理解の思考に、特に敬虔と信仰により喚起された思考に従うと信じていたのであると彼らは語った。しかし彼らは、悪い生活は天界とは相容れず、神の御心を痛める物であるが、地獄とは調和し、悪魔には歓ばしいものであり、他方善い生活は天界と調和して、神の御心を歓ばせるが、地獄とは相容れず、悪魔には苦痛を与え、従って悪は本質的に悪臭を発し、善は芳香を発することを、もし知ろうと欲したならば、知ることができたのであると告げられた。そしてもし彼らはそれを知ろうと欲したなら、知ることが出来たのであるから、なぜ彼らは悪を地獄的なもの、悪魔的なものとして避けなかったのであるか、なぜ彼らは悪を単にそれが歓ばしいものであるという理由から選んだのであるかと尋ねられた。そして彼らは悪い歓喜は極めて不愉快な臭いを発することを今知った以上は、このような悪臭を発する者は天界へ入ることのできないこともまた知ることが出来よう。この答えの後で彼らは彼らに類似した歓喜にいる者の許へ去ったのである、なぜなら彼らはそこにしか呼吸することができなかったからである。

 

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/4巻P130

 

 今朝イエスはおいでになると、私を外に出され、人々の真中までお連れになりました。私が見た悪とその戦慄すべき事柄についてなんと言ったらよいでしょう? イエスは非常に悲しそうに私におっしゃいました。

「娘よ、地上の面はなんという悪臭を放つことだろう! それは一つの天とならなければならなかった。天上では私を愛し、讃え、感謝すること以外はしないので、この天のこだまが地上のこだまと一つになるために、地はそれを吸収しなければならなかった。ところが地上は我慢できないほどになってしまった。だから、あなたは天に一致して、人間すべての名において私に満足を与えるために来なさい。」