貪欲

 

 

 

天界の秘義938

 

 貪欲な者は凡ゆる人間の中で最も卑賤であって、死後の生命、霊魂、内なる人については些かも考えはしない。彼らは凡ての人間の中でも最もその思いを高揚させはしないで、それを形体的な地的な物の中に沈め、またそれをことごとくその中に浸しているため、天界とは何であるかを知りさえもしない。それゆえ彼らは他生に入って来ると、自分が霊であることを長い間知らないし、自分は依然全く身体の中にいるものと考えている。その貪欲からいわば形体的なものに、地的なものになった彼らの思考の観念は凄惨な幻想に変化する。以下のようなことは信じられないことのように思われるが、それでも真である。即ち、他生では卑賤なまでに貪欲な者はその金が置かれている地下室の中で多忙を極め、そこで鼠に悩まされるように自分自身には思われており、しかも如何ほどその鼠に悩まされようとも、彼らが倦み果てるまではその鼠は去りはしないため、それで遂に彼らはこの墓場から漸くの思いで出て行くのである。

 

 

 

天界の秘義940

 

この地獄に卑賤なまでに貪欲であったユダヤ人らが大半いて、その者らが他の霊のもとへ来るとその出現もまたはつか鼠の臭気として認められている。ユダヤ人については、その都と荒野の強盗どもについて若干語って、彼らの死後の状態はいかに悲惨なものであるかを示そう、とくに卑賤なまでに貪欲であって自分自身を選ばれた唯一の民族であると考える生来の傲慢の結果、他の者たちを自分自身と比較して軽蔑した者らの死後の状態は如何に悲惨であるかを示そう。(中略)

 

彼らにゲヘンナの左側の、稍々前面に一つの都が現れ、これに彼らは群をなして集まるのである。しかしながらこの都は沼地で悪臭を発していて、汚れたエルサレムと呼ばれており、そこの街路を彼らはくるぶしの上あたりまでも塵埃と泥の中に沈めて駆け回り、不満と悲嘆とを注ぎ出している。(中略)

 

彼はまたその中には塵埃以外には食物は全くないと言った。

 

 

 

天界の秘義954

 

 貪欲からは、その貪欲の種類に応じ、ねずみに悩まされるといった幻想が突発してくる。快楽のみを歓び、それを究極の目的といて、最高の善として、いわば自分の天国として考えた者どもは厠に止まっていることに最高の歓びを覚え、そこに極めて楽しいものを認めている。尿の悪臭が発した溜まり水を歓ぶ者もあり、沼地を、その他そうしたものを愛する者もいる。

 

 

 

天界の秘義1514

 

スフィアはまた匂いによって感覚に認められ、これを霊たちは人間よりも遥かに精妙に嗅いでいる、なぜなら言うも驚くべきことではあるが、匂いはスフィアに相応しているからである。裏腹なことをほしいままに行って、そのためそれが性質となってしまった者らのスフィアが匂いに変化すると、嘔吐の悪臭が立ち込めてくる。いかようなことでも自分が誉め称えられることになるようにとの目的から雄弁を学んだ者らのスフィアが匂いに変化すると、それはパンの焼ける匂いに似たものとなる。単なる快楽に耽溺して仁慈と信仰とを何ら持たなかった者らのもとでは、そのスフィアの匂いは排泄物のそれに似たものとなる。姦淫にその生涯を費やした者らの匂いも同様であるが、しかしそれは更に不快なものである。深い憎悪と復讐と残酷の中に生きた者らのスフィアが匂いに変化すると、死臭が立ち込めてくる。浅ましいほどにも貪欲であった者らからははつかねずみの匂いがあたりに拡がり、無垢な者を迫害する者からは南京虫の匂いが発散している。これらの匂いは内的感覚が開かれて、霊と共になることが出来る者によらなくてはたれからも嗅がれることは出来ない。