空しい
1.聖書
2.スウェーデンボルグ
3.トマス・ア・ケンピス
1.聖書
マタイ12・43−45
汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。戻ってみると、空き家になっており、掃除をして、整えられていた。そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を一緒に連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。この悪い時代の者たちもそのようになろう。」
ルカ11・24−26
2.スウェーデンボルグ
天界の秘義7
第一の状態は先行する状態であり、幼少期からの状態と再生直前の状態とを含んでいる。それは「空ろなもの」、「空しいもの」、「暗闇」と呼ばれている。そして主の慈悲の最初の動きは「水の面の上に動いている神の霊」である。
天界の秘義6915
『空しいこと』は真理が存在しないところを意味していることは前に見ることが出来よう(4744番)、かくてそれは霊的な困窮〔欠乏〕が在るところを意味している。
天界の秘義7045
もしこの愛が霊的な、また天的な愛と呼ばれている内なる愛を欠いているなら、内なるものを欠いた外なるものの中にいたかの民族の場合がそうであったように、それは汚れたものとなるのである。『内なるものを欠いた』と言われているが、そのことにより真理を何ら承認しないことが、善に対する情愛が何ら無いことが、かくて信仰が何ら無いことが、仁慈が何ら無いことが意味されているのである、なぜならこれらのものは内なる人のものであって、そこから外なる善と呼ばれている仁慈の幾多の活動が発出しているからである。信仰と仁慈とを欠いてはいるものの、幾多の悪と誤謬とに満ちているこの内なるものは、主からは『空しい』と呼ばれ(マタイ12・43−45)、そこから『内なるもののない外なるもの』と言われてるのである。
3.トマス・ア・ケンピス
トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/1・24・7
たといあなたが今日まで名誉や快楽のうちに生活(くら)して来たとしても、今この瞬間に死ななければならぬとしたら、それらはみなあなたにとってなんの焼くに立とう? だから神を愛し、それにお仕えするほかは、すべてむなしい。
なんとなれば、完全な愛は神に安心して近づかせるから、神を愛する者は、死も罰も審判も地獄も恐れないからである。
だからいままだ罪を愛している人が、死や審判を恐れるのも、別にふしぎではない。
トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/2・10・1
世間のあらゆる楽しみはむなしいか、そうでなければ汚らわしい。しかし霊魂の喜びばかりは楽しく正しい。というのは、それは善徳から生じ、神によって清い霊魂に注ぎこまれるからである。
トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/3・12・4
そればかりか、生きている間ですら、その楽しみのうちにありながら、悩みや倦怠や恐れを覚えずにはいられないのである。
なんとなれば、かれらの楽しみを求めようとしたそのことさえ、しばしばかれらに悲しみの苦罰を与えるからである。
かれらは、気ままに楽しみを追い求めたのであるから、不安と悩みとを味わわずにいられないのも当然なのである。
ああ、これらの楽しみは、すべていかにはかなく、むなしく、放縦(ふしだら)で、恥ずべきものだろう!
しかもかれらは酔って盲目になっているので、それがわからない。そしておろかな畜生のように、はかないこの世のつまらない楽しみを追うて、そのため霊魂を滅ぼしてしまうのである。
だからわたしの子よ、「あなたは自分の情欲に従わず、自分の我意を捨てよ。」(集会の書18・30)
「主に在って喜べ。そうすれば主はあなたが心に願うことを、あなたにお与えになるだろう。」(詩篇36・4)
トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/3・12・5
だからあなたは、もしほんとうの楽しみを味わい、いっそう豊かな慰めをわたしから受けたいと思うならば、いっさい世間の物事を軽んじ、あらゆる卑しい楽しみを捨てるがよい、そうすればあなたは祝福をこうむり、豊かな慰めを与えられるだろう。
そしてあらゆる物質的慰めから離れれば、離れるほど、あなたはわたしの慰めのますます甘美で力強いことを知るだろう。
けれども、その境地に達するには、まず多少悲しみをなめ、骨を折って戦わなければならない。
抜き難い習慣は、あなたに抵抗するだろう。しかしそれにはいっそうよい習慣をもって打ち勝とう。
からだも恨み歎くだろう。けれども精神の熱烈な力をもってこれを抑えよう。
あの老獪な蛇はあなたを誘い悩ますだろう。しかし祈りをもってこれを追払おう。その上わけても有益な仕事にいそしむことによって、その入ってくる口をふさぐようにしよう。