イエスは湖の上を歩いて

マタイ14・25

 

(機首を上げよ)

 

 

 

 

1.聖書

2.スウェーデンボルグ

3.マーリン・キャロザース

4.ヨゼファ・メネンデス

 

 

 

 

 

1.聖書

 

 

マタイ14・25−27

 

夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。 弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。 イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」

 

 

 

マタイ14・28−32

 

すると、ペトロが答えた。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」 イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。 しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。 イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。 そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。

 

 

 

ルカ21・27−28

 

そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。 このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。

 

 

 

 

2.スウェーデンボルグ

 

 

スウェーデンボルグ/霊界日記72

 

私の思考が世へ決定づけられると、その思考はおもりのように私を連れ去って、いわば私の内的な思考を抹消してしまい、その時は私が私自身を支配しているように見えたのである。しかしそれが実相ではないことが示されたのである。

 

 

 

黙示録講解514ニ

 

主が海の上を歩かれて、弟子たちが乗っている舟へ来られたことについては以下のように福音書に言われている―

 

(マタイ14・24−33、マルコ6・48−52)

 

さらに―

 

(ヨハネ6・16−21以下)

 

ここに、また、細々したことは神的な霊的な事柄を意味してはいるものの、その事柄は文字の中には現れてはいないのである、例えば海、主がその上を歩かれたこと、主が弟子たちのもとへ来られた第四の時刻、舟、主がその中へ入られたこと、そこから風と海の波とを抑えられたこと、その他には現れていないのである。しかしここに意味されている霊的な事柄を説明する必要はない、ただ単に以下のことのみを言ってみよう、すなわち、諸天界の最端の境界の中には海が在るからには、『海』は天界と教会との最も外なるものを意味し、主が海の上を歩まれたことは、主がそうしたものの中へすらも臨在され、流入され、その結果、天界の最端にいる者たちにすら神的なものから生命が与えられており、神的なものから発した彼らの生命は主が海の上を歩まれたことにより表象され、彼らの漠然とした、動揺しがちな信仰はペテロが海の上を歩いて、沈み始めたが、しかし主が彼をつかまえられたとき救われることにより表象され、『歩むこと』は聖言においては生きることを意味しているのである。このことが『第四の時刻に』行われたことは教会の最初の状態を意味するためである―第四の時刻の項は夜明けで朝が間近である時である、なぜならそのとき善は真理を通して活動し初め、またそのとき主が来られるからである、その間海は風により揺り動かされ、主がそれを抑制したことは、先行している生命の自然的な状態を意味し、それは平穏でない、いわば嵐が吹きすさんでいる状態であるが、しかし朝に最も近い状態とともに―それは人間における教会の部分の状態であるが―主はそのとき愛の善の中に現存されているため、心の平穏が訪れるのである。

 

 

 

黙示録講解514ニ(22)

 

同じようなことが、福音書に記されているように、主が風と海の波とを静められることにより意味されている―

 

イエスが舟の中に入られたとき、その弟子たちはイエスに従った。すると見よ、海は荒れに荒れ[海に非常な激動が起こり]、舟は波に洗われたが[波をかぶったが]、イエスは眠っておられた。それで弟子たちは御許に来て、イエスをおこし、言った、主よ、助けてください、私たちは死にます。するとイエスは起きられ、風を譴責された、すると非常ななぎが起った(マタイ8・23―26、マルコ4・36−40、ルカ8・23,24)。

 

これは教会の人間が自然的なものであるものの中にいて、未だ霊的なものであるものの中にいない時のその状態を表象したのであり、その状態の中では自然的な情愛が―それは自己と世とを求める愛から発生する種々の欲念であるが、その欲念が―起って、心の色々な騒擾をかもし出すのである。

 

 

 

 

3.マーリン・キャロザース

 

マーリン・キャロザース/(機首を上げよ)

 

 

 

 

4.ヨゼファ・メネンデス

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P197

 

“わたしを愛することに専念するのだ。愛こそおまえに力を与える。”

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P206

 

“ヨゼファよ、自分の小ささを見ないで、おまえを支えている聖心の強さを見るのだよ。わたしはおまえの力であり、おまえのみじめさの贖主なのだ。わたしがおまえに要求するすべての苦しみを、すべて忍ぶ勇気を与えよう。”

 

 

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P207

 

“おまえが敵に倒されそうになったら、『自分は神の力で支えられているのだ』といってよればいいのだ。”

 

 

 

 

 

5.サンダー・シング

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P183

 

断崖絶壁の上に立って下を見下ろせば、それがたった数十メートルの深さであっても、われわれは目まいを覚え恐怖に駆られる。ところが、天を見上げているときには、はるかに高い所をみているにもかかわらず、まったく恐怖心は起こらない。上に向かって落ちるということがないからだ。しかし、下へ落ちれば粉々になる危険がある。そのように、人は神を仰いでいるときには神の中に安心を覚え、何一つ危険のないことを知る。だが、神から目をそらすなら、実在から転げ落ち粉微塵になりはしないかとの恐怖心でいっぱいになる。