蜜蜂

 

自然から神的なものを確認する

 

 

 

神の摂理3

 

凡て創造された物は実にこの力を与えられている。しかし如何ような力もそれ自身から発しないで、それを与えられる神から発している。蚕、蜜蜂、その他の小動物のような自然的なものを観察されよ。最初それを自然的に、後に、合理的に、最後に霊的に眺められよ。そのときもし諸君が深く考えることが出来るならばその眺める凡てのものに驚嘆されるであろう。もし諸君が諸君の中に語られる知恵の言葉に聴かれるなら、驚きつつ「誰がこれらの物の中に神的なものを見ないであろうか、それは凡て神の知恵の業である」と語られるであろう。

 

 

 

神の愛と知恵355

 

何人でも蜂について知られていることに注意を払うことによって、自然に見られる物から神的なものを確認することが出来よう、即ち、彼らは蝋を集め、草花から蜜を吸い、小さな家屋のような小房を作り、これを町の形に配置し、出入りの出来る街路を備える方法を知っており、また遠くから草花をかぎつけ、そこから家のために蝋を、食物のために蜜を集め、これを背負って、真っ直ぐに自分の巣に飛び帰り、かくして来るべき冬を予想し、知っているかのように、その冬に備えて食物と住居とを自分に備えるのである。

 

 

 

真の基督教12

 

蜜蜂は人類に役立つ故、地上の人間の間に、而して天界の天使達の間にすら存在するような政治形態を、霊界を経て来る神的流入によってもっていることを充分に証明している。

 

 

 

結婚愛419

 

人はたれでももし蜂について知られている事柄を考察するなら、自然の目に見える物から神的なものを確認することが出来よう。

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P226

 

4.ちょうど蜜蜂が花の甘い蜜を集め、その色も香りも損なわずに蜂蜜を作るように、祈りの人もまた、神の被造物のすべてから幸せと益のみを集め、しかも何一つそれを損なうことがない。蜜蜂があらゆる場所に咲く花から蜜をかき集め巣に貯えるように、神の人もまた被造物のあらゆる場所から善き思想と感覚を集めとり、創造主との聖交の中で真理の蜜を心に貯え、どのようなときも、どのような場所でも主とともに平和に与ることによって、神の甘い蜜を歓び味わう。

 

5.今は、五人の賢い乙女たちがしたように、聖霊という油を心の中に貯えるときである。でなければ、五人の愚かな乙女たちのように、悲しみと失望しかみないであろう。また、真の安息日のためにマナをかき集めるときである。そうしなければ、あなた方がみるものは悲しみと災いのみである。「そのように、あなた方の逃げるのが冬にならぬよう祈れ」とわたしはいった。これは逃げるのが、悩みの時または終わりの時にならぬように、という意味である。「安息日でないように」ともいった。これは永遠の安息の千年期のことである。このような機会はふたたび訪れることはないからだ。