わたしと一緒に集めない者は散らしている

マタイ12・30

やめさせてはならない。あなたがたに逆らわない者は、あなたがたの味方なのである(ルカ9・50)

 

 

 

エレミヤ23・1−4

 

「災いだ、わたしの牧場の羊の群れを滅ぼし散らす牧者たちは」と主は言われる。
それゆえ、イスラエルの神、主はわたしの民を牧する牧者たちについて、こう言われる。

「あなたたちは、わたしの羊の群れを散らし、追い払うばかりで、顧みることをしなかった。わたしはあなたたちの悪い行いを罰する」と主は言われる。

「このわたしが、群れの残った羊を、追いやったあらゆる国々から集め、もとの牧場に帰らせる。群れは子を産み、数を増やす。
彼らを牧する牧者をわたしは立てる。群れはもはや恐れることも、おびえることもなく、また迷い出ることもない」と主は言われる。

 

 

 

マタイ12・30−32

 

わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めない者は散らしている。だから言っておく。人が犯す罪や冒涜は、どんなものでも赦されるが、“霊”に対する冒涜は赦されない。人の子に言い逆らう者は赦される。しかし、聖霊に言い逆らう者は、この世でも後の世でも赦されることがない。

 

 

 

マルコ9・40

 

わたしたちに逆らわない者は、私たちの味方なのである。

 

 

 

ルカ9・50

 

あなたがたに逆らわない者は、あなたがたの味方なのである。

 

 

 

ルカ11・23

 

わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めない者は散らしている。

 

 

 

天界の秘義8882

 

 

 

天界の秘義9818

 

 

 

神の摂理231

 

「第6の種類の冒涜は聖言を承認しつつも、主の神性を否定する者により犯される」。これらはこの世でソツニウス派、アリウス派と呼ばれている。両者の運命は父を呼んで、主を呼ばず、絶えず父に天界に入れられるように祈り、或る者は御子の故に天界に入れられるようにさえ祈ることである。しかし彼らは徒に呼び求めるにすぎず、ついには救いの望みを凡て失い、地獄の神を否定する者の許へ送られる。これらのものは聖霊を冒涜し、この世でも来るべき世でも罪を赦されない者により意味されている(マタイ12・32)。その理由は、神は人格と本質において一つであって、その中に三一性が在り、主はこの神であられ、主はまた天界であり、従って天界にいる者たちは主の中におり、主の神性を否定する者は天界に入れられて主の中にいることはできないということである。主は天界であられ、従って天界にいる者は主の中にいることは前述した。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1・P141

 

そうです、私の体は教会です。ヴァッスーラ、私は 教会を一つにしたい、すべての司祭たちを一つにまとめたい、軍隊のように、救いの軍隊です。私の羊は散らされている。すべての司祭たちは一致すべきです。

 

わが神よ、私は個人的にはギリシャ正教の洗礼を受けています。主はどのことを言っておられるのでしょう? カトリックですか、プロテスタントですか、それとも諸派でしょうか? それともほかの宗教のことでしょうか? 敢えてこうお尋ねするのは、それらが存在するからです。

 

ああ ヴァッスーラ、ヴァッスーラ、私は一つです! 私 神は唯一です、我が子たちは 皆私の手によって造られた、どうして私のすべての子どもたちは散らされているのか? 私は一致を望む。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻Pxvi

 

― 私の聖なる名のもとに自分たちを分け隔て、からだと霊において分かれたままでいる者たちには、サルディスの教会(黙示録3)に言ったと同じことを言う:世間の目に生きていると評価されても、創り主の目にはそうでない。残されたほんのわずかないのちを生き返らせなさい:それは急速に死にかけている 死骸のあるところにはどこでも、はげ鷹が群がるものだ。一致しなさい! 集まりなさい! ともに私の名を呼び求めるように! ともに私のからだと血を献げなさい! 道を迫害しないように!  一致し 私を讃えることができるように自らへりくだり かがみなさい。あなた方は聖霊について語るが 聖霊のうちに行ってはいない。 道について話すが それを第一に遮る者となっている! ― ほとんど私を知らない者よ・・・。 私の名を呼びながら、聖櫃と祭壇の間で我が子たちを殺害しているではないか。 私は厳粛に言う、このすべては裁きの日にあなたの前に持ち出される 私に顔を向けて まことに言えようか:「私は兄弟と和解した」と? あなたはまことに言えようか:「あなたの聖なる御名のもとに私は兄弟たちの間で自分を分け隔てしなかった」と。 私の前で弁明する時、あなたの面前で言おう:「離れなさい、あなたは兄弟を同等に扱ってはいなかった。私のからだを日々殺害した。 あなたの勝利はどこか? 私が造り上げている時、あなたは打ち壊していた。 私が再び集めようとしていた時、あなたは散らしていた。 私が一致させようとしていた時 あなたは分裂させていた! しかし、今日でさえも、ありのままの姿で 私のもとに来るなら、癒すことができる。変容させることができる そして あなたが我が誉れとなろう。 私の日に、身重の女と、乳飲み子を持った女たち(ルカ21・23)のように罪を孕み 仲間うちで罪に練達した者同士がいるのを見られたなら災いである。 しかしこの人たちの間から 弟子を誘い つき従わせようと 紛(まが)い物の真理を口にする者たちが出ると言われている(使徒行録20・30)。あなたを救うために 私は叫び声を上げ 耳が不自由でもあなたに聞こえるようにしている そしてこうあなたを非難するのは、あなたにたいする大きな愛からである。しかしまことに言う: いつの日か私のばらばらになったからだのすべての部分を 一体となるように集めることであろう。(ノート55、『私の天使ダニエル』166−167ページ)(神のうちの真のいのち5巻P227 ‘91・10・14)