持っている人は更に与えられて豊かになるが (マタイ13・12)

 

 

 

ルカ6・38

 

与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。

 

 

天界と地獄349

 

 世で理知と知恵を得た者は凡て、各々その理知と知恵の質と度とに従って、天界に迎えられて、天使となる。なぜなら人間が世で受ける理知は何であれ、死後も存続して、彼と共に、携えられて行き、更に増大して完全なものとなるからであるが、しかしそれは真理とその善に対する彼の情愛と願望の度の内で行われ、その度を越えては行われない。情愛と願望を僅かしか持たない者は僅かしか受けないが、しかもその度の中で受け得るだけのものは受けるのである。それで情愛と願望を多く持つ者は多く受ける、即ち、情愛と願望の度そのものは一杯になるまで中を満たされる升のようなものであり、それで大きな升を持っている者は多くのものを受け、升の小さな者は少ししか受けない。それがそうであるのは、情愛と願望とを持っている人間の愛は、その愛にそのものに和合したものを凡て受け、従って人間はその愛に応じただけのものを受けるためである。これが主の以下の御言葉により意味されている、「持っている者は与えられ、更に豊かに得るであろう」(マタイ13・12、25・29)。「彼の胸の中へ升目を充分にし、押さえつけ、揺すぶり、こぼれるほどにして与えられるであろう」(ルカ6・38)。

 

 

 

 

神の愛と知恵5

 

 しかし、これが理解されるためには、主は愛の本質そのものにおける愛、即ち、神的愛であるゆえ、天界の天使たちの前には太陽として現れ、その太陽からは熱と光が発し、そこから発する熱はその本質においては愛であり、そこから発する光はその本質においては知恵であり、そして天使はその霊的な熱とその霊的な光とを受ける器となるに応じて、愛と知恵となり、その愛と知恵とは彼ら自身から発するものでなく、主から発するものであることを我々は進んで知らなくてはならない。その霊的な熱と霊的な光とは天使に流れ入って、これに感動を与えるのみでなく、人間にもまた、ちょうど人間がそれを受ける器となるに応じて、流れ入って、これに感動を与え、彼らは主に対するその愛と隣人に対する愛の度に比例して受容する器となるのである。