ヤコブは豆汁を煮た(創世記25・29)

 

天界の秘義3316

 

「ヤコブは豆汁を煮た」。(創世記25・29)

 

これは混沌としたかたまりとなった教義的な事柄を意味していることは以下から明白である、すなわち、ヤコブの表象は自然的な真理の教義であり(3305番)、かくて自然的な人の中に存在している教義的な事柄であり、『豆汁』の意義はこのようなものの混沌としたかたまりである。『それを煮ること』は蓄積することを意味している。なぜなら原語ではその表現は、恰もかれは『豆汁を豆汁にした[あつものをあつものにした]、すなわち、それを蓄積したと言われているかのうように、豆汁[あつもの]に特有な表現であるからである。善と真理との連結の最初の状態がこの節と以下の節に、本章の終わりに至るまでも記されているものである。

 

 

天界の秘義3332[4]

 

かくて善の色々な種類が問題の穀物により意味されており、高貴な種類の善は『小麦と大麦』により意味されているが、それ程高貴でない膳は『豆とあじ豆』により意味されているのである、このこともまたエゼキエル書から明らかである―

 

 あなたはまた小麦と大麦と豆とあじ豆とあわと裸麦を取り、それらを器に入れ、それでパンを作りなさい(エゼキエル4・9)。