鯨
天界の秘義6015[7]
パロが『海の鯨』にたとえられているのは、『鯨』または『海の怪物』は記憶知の全般的なものを意味し(42番)、『海』は記憶知の集められたものを意味しているためである(28番)。
天界の秘義6693〔4〕
(『パロ』は記憶知が存在している自然的なものであることは、前の5160、5799、6015番に見ることが出来、『鯨』は自然的なものにおける記憶知の全般的なものであり、42番、『魚』は全般的なものの下にある記憶知であることは、40、991番に見ることが出来よう)。『うろこ』は、明らかに外なるものであり、かくて感覚的なものであって、それに誤謬である記憶知が密着しているものを意味しているのである。
天界の秘義6745〔6〕
エレミア記には―
鯨でさえ乳首を差し出して、その子供に吸わせる。わたしの民の娘は残酷である、〔乳を〕吸う子供の舌は渇く余りにその口の上にくっついてしまった(哀歌4・3、4)
『わたしの民の娘』は霊的な教会を、ここでは剥奪されてしまったこの教会を意味し、『乳を飲む子供の舌は渇く余りにその口の上にくっついてしまった』は無垢の凡てが死滅するほどにも真理が欠如してしまったことを意味している。『乳を吸う子供』は無垢を意味し、『渇き』は真理の欠如を意味している。
天界の秘義7293
「それは水蛇になるであろう」。これは、そのことにより迷妄〔妄想〕とそこから派生する誤謬のみが彼らを支配するであろう、を意味していることは、『蛇』の意義から明白であり、それは感覚的な身体的なものであり(6949番を参照)、そこから妄想である、なぜなら感覚的な、身体的なものは、合理的なものから分離すると、即ち、それに服従しないと、妄想に満ち、そのためそれは殆ど妄想以外の何ものでもなくなるからである(6948、6949番)。ここに意味されているものは水蛇である、なぜなら原語では、『蛇』はここでは海の最大の魚である『鯨』と同じ言葉により表現され、『鯨』は全般的な記憶知を意味しているからである。それで『エジプト人』により妄想から発した誤謬が意味されているため、この言葉は蛇を、即ち、水蛇を意味するのである、なぜならそれは水の中にいる鯨を意味しているからであり、またエジプトの水は誤謬であるからである。
天界の秘義7293〔2〕
パロまたはエジプトは『鯨』と呼ばれていることはエゼキエル書に明白である―
主エホビはこのように言われた、話して、言いなさい、見よ、わたしはエジプトの王パロ、その川の真中に臥している大きな鯨であるあなたの敵となる、と(エゼキエル29・3)。
海の中の鯨のようなものである、あなたはあなたの流れをもって出て来た、あなたはあなたの流れを乱した、と(エゼキエル32・2)。
これらの記事では、『鯨』により全般的な記憶知が意味されており、その記憶知により、それが感覚的な人間から発しているため、信仰に属した事柄は歪められるのである。『鯨』が全般的に記憶知を意味していることは、『魚』が個別的な記憶知を意味しているためである(40、991番を参照)。『鯨』は信仰の諸真理を歪める記憶知を意味しているため、それによってまた、誤謬を生み出すところの、妄想から発した理論が意味されている。
天界の秘義7293〔3〕
こうしたものがダビデの書の『鯨』により意味されているのである―
あなたはあなたの力により海を切り裂かれた、あなたは水の上で鯨の頭を砕かれた(詩篇74・13)。
それに似た事がイザヤ書の『レビアタン』によっても意味されている―
その日エホバはその固い、大きな、強い剣をもって長い蛇レビアタンに報われ、海にいる鯨を殺されるであろう(イザヤ27・1)。
ダビデの書には―
あなたはレビアタンの頭を粉砕され、彼を与えてズイイムの民の食物とされた(詩篇74・14)。
『レビアタン』は善い意味では、ヨブ記41章に真理から発した理論を意味し、真理から発した理論は誤謬から発した理論に対立するのである。
天界の秘義7293〔4〕
『鯨』により真理を歪める妄想から発した理論が意味されるため、原語ではそれと同じ言葉により表現されている『水蛇』により、理論を生み出し、歪曲の手段ともなるところの、妄想から発した誤謬そのものが意味されているのである。後は以下の記事でそうした蛇により意味されているのである―
イイムはその宮殿に、蛇は歓喜の宮殿に答えるであろう(イザヤ13・22)。
とげはその宮殿に、あざみと茨はその砦の中に生え、蛇の住居、ふくろうの娘の館となるであろう(イザヤ34・13)。
蛇の住居、その寝椅子に、葦とい(井草)に代って草が生えるであろう(イザヤ35・7)。
わたしはエルサレムを荒塚とし、蛇の住居となそう(エレミヤ9・11)。
わたしはエソウの山々を荒涼〔荒れすさんだ所〕となり、その嗣業を荒野の蛇のものとした(マラキ1・3)。
天界の秘義7293〔5〕
これらの記憶では『蛇』は理論を生み出す誤謬を意味している。そのことはまた『竜』によっても意味されているが、しかし『竜』は自己と世への愛から、かくて悪の欲念から発した理論を意味し、これは真理のみでなく、善をも歪めるものである。こうした理論は、信仰の諸真理と諸善とを心では否定しているが、口では支配欲と利得欲からそれらを告白している者らから発生しており、かくてまた諸真理と諸善とを冒涜している者らから発生しているのである。両方のものが『全世界をたぶらかすところの、悪魔と悪鬼と呼ばれている竜、古い蛇』により意味され(黙示録12・9)、また男の子を生んだ女を迫害し―その子は神とその王座のもとへ取り上げられたのであるが(黙示録12・5)―口から水を川のように吐き出して、その女を飲み込もうとしたその同じ竜によっても意味されているのである(15節)。
天界の秘義7293〔6〕
その女が生んだ『男の子〔息子〕』は現今明らかにされた神的真理〔神の真理〕であり、その『女』は教会であり、『竜、蛇』は迫害する者らであり、『その竜が吐き出そうとした川のような水』は、悪から発した誤謬とそこから生まれてくる理論を意味し、これにより彼らはその女を、即ち、教会を破壊しようと企てるのであるが、しかし彼らは何事も遂行しないことは、『地はその女を助けた、地はその口を開き、その竜が吐き出した洪水を飲み込んでしまった』により記されているのである(16節)。