古代教会

霊的教会

1.古代教会

2.古代教会から知識が伝わった

3.古代教会から儀式が伝わった

 

 

 

1.古代教会

 

天界の秘義915

 

前に言ったように、ノアは古代教会を構成したのでなく、かれの息子たちのセム、ハム、ヤペテがそれを構成したのである。なぜならいわば三つの教会がこの古代教会を形成したのであり、そのことについては今後主の神的慈悲の下に記すことにしよう。そしてこれらの教会は『ノア』と呼ばれる教会の子供達として生まれたのであり、それでここに『あなたとあなたの息子たち』と言われ、また『あなたの妻とあなたの息子たちの妻たち』と言われているのである。

 

 

天界の秘義1083

 

『セム』により内なる教会が、『ヤペテ』により内なる教会に相応した外なる教会が意味されていることは前に述べたところである。教会が存在しているところには必然的に内なるものと外なるものとが存在しなくてはならない、なぜなら教会である人間は内なるものであり、また外なるものであるからである。人間が教会となる以前、すなわち、かれが再生する以前は、人間は外なるものの中にいるが、再生しつつある時は(すでに述べられ、また示されたように)外なるものから、否、外なるものにより、内なるものへ導かれるのであり、その後、かれが再生すると、内なる人の凡てのものは外なるものの中に終結するのである。このように、古代教会がそうであったように、また現今基督教会がそうであるように、必然的に教会各々は内なるものであり、また外なるものでなくてはならないのである。

 

 

[2]古代教会の内なるものは仁慈の凡ゆるものであり、仁慈から生まれた信仰の凡ゆるものであり―卑下そのものであり、仁慈から主を崇拝することそのものであり、隣人に対する善い情愛そのものであり、また他のそういったものであった。古代教会の外なるものは生けにえ、灌祭、その他多くの物であって、その凡ては表象により主に関わりを持ち、主を目標としていたのである。ここから外なるものの中に内なるものがあり、それらは一つの教会を作ったのである。基督教会の内なるものは古代教会の内なるものに正確に類似しているが、しかし他の外なるものがそれに代わって続いておこったのである。すなわち、生けにえとそれに類したものに代わって、礼典が起ったのであるが、そこからも同じように主が目標とされているのであって、かくて、再び内なるものと外なるものとは一つのものとなっているのである。

 

 

[3]古代教会は内なるものについては基督教会からは些かも相違しなかったのであり、ただ外なるものについてのみ相違していたのである。仁慈から発した主礼拝は、外なるものはいかほど変化していようとも、決して相違することはできない。そしてすでに言ったように、内なるもののみでなく外なるものも存在しない限り、教会は在り得ないからには、内なるものが何か外なるものの中に終結しないかぎり、外なるもののない内なるものは不確定なものとなるであろう。なぜなら人間は大半内なる人の何であるかを、また何が内なる人に属しているかを知っていない底のものであり、それ故外なる礼拝がない限り、かれは聖いものについては何であれ如何ようなことも知らないからである。こうした人間が仁慈とそこから派生している良心とを持つ時、かれらは外なる礼拝の中にかれら自身の内にある内なる礼拝を持つのである。なぜなら主はかれらの中に、すなわち仁慈の中に、また良心の中に働かれ、かれらの礼拝の凡てに内なるものを得させられるからである。仁慈をもっていない者は、また仁慈から生まれてくる良心を持っていない者はそうではない。かれらは外なるものにおける礼拝を持ってはいようが、しかしかれらは仁慈から分離した信仰を持っているように、内なる礼拝から分離した外なるものにおける礼拝をもっているのである。こうした礼拝は『カナン』であり、こうした信仰は『ハム』と呼ばれている。そしてこの礼拝は分離した信仰から発しているため、ハムは『カナンの父』と呼ばれている。

 

 

 

天界の秘義2385

 

 主に対する愛と隣人に対する仁慈とはその上に律法のすべてがかかっているものであり、またあらゆる予言者から語られているものであり、それでそれらはあらゆる教義と礼拝との本質的なものであるという真理が受け入れられている場合は非常に異なるのである。なぜならその場合心はその真理が原理として受け入れられないときは不明確な誤った原理の中に隠されてしまうところの聖言の無数のものにより明るくされるからである。いな、そうした場合には異端は消滅してしまって、一つの教会が多くのものから起こってくるのである。

たとえその一つの教会から流れ出ている、またはそれへ導かれている教義的な祭儀的な事柄がいかに甚だしく相違しているにしても。

 

[5]そうしたものが古代教会であって、それは多くの王国に拡がっていたのである。すなわちアッシリア、メソポタミア、シリア、エチオピア、アラビア、リビア、エジプト、ツロとシドンにもたっしたぺリシテ、ヨルダンの両岸のカナンの地にも拡がっていたのである。これらの国の間では教義的なものと祭儀的なものとは相違してはいたが、しかしかれらには仁慈は本質的なものであったため、依然教会は一つのものであった。そのとき地上には主の王国が天界におけるように存在したのである。なぜならそうしたものが天界であるからである(684,690)。もしそれが現今もそのようなものであるなら、すべては主により一人の人間として支配されるであろう。

 

なぜならそれらは一つの身体のいくたの肢体と器官のようなものとなるからである。なぜなら身体の肢体と器官とは同じ形はしておらずまた同じ働きも持ってはいないものの、それでもすべてのものは一つの心臓に関連をもっていて、その心臓にすべてのものが、また各々のものが、あらゆる所で相違しているそのいくたの形をもちつつも依存しているからである。そのときは各々の者は、いかような教義の中に、いかよう外的な礼拝の中にいようとも、これはわたしの兄弟である、わたしはかれが主を拝していて、善良な人間であることを認めると言うであろう。

 

 

天界の秘義3268[8]

 

これらの国民により霊的な教会にぞくしている事柄が意味されている理由は、霊的なものであった古代教会がまたかれらの間にもあったということであり(1238、2385番)、かれらの教義と祭儀とは異なってはいたが、それでもかれらは信仰ではなく、仁慈を本質的なものとしたため、一つの教会を形成したのである。しかし時がたつにつれ、仁慈がなくなるにつれて、かれらのもとに教会にぞくしていたものですら失われたが、それでも依然かれらによる教会お表象的なものが、かれらのもとに教会にぞくしていたものに応じた多様性[変化]をもって残っていたのである。ここからかれらが聖言にその名を記されている所では何処でもかれら自身は意味されていないで、教会のものでそこに在ったもののみが全般的に意味されているのである。

 

 

スウェーデンボルグ/天界の秘義4448[2]

 

 霊的な教会であった古代教会の場合はそれとは異なっていたのである。なぜならこの教会は最古代教会とはことなって、主に対する愛の中にはいないで、隣人に対する仁慈の中にいて、信仰の真理によらなくては仁慈に達することはできなかったのであり、この真理を最古代の人のようには認識しないで、それでかれらはそのとき真理についてはそれがそうであるか否かと詮索しはじめたのである。(認識を持っていた天的な者とそれを持っていない霊的な者との間の相違については、2088、2669、2708、2715、3235、3240、3246、3887番を参照)。

 

 

天界の秘義4489

 

 しかし古代教会の人たちは内なる人たちではなくて、外なる人たちであり、それで主はかれらに善いことを教えるためには主は内なる道によりかれらのもとに流れ入られることはできないで、外なる道により流れ入られたのであるが、しかもそのことは先ず表象的な表意的なものであった物により行われたのであり、(そこから表象的な教会が起こったのである。)

 

 

 

2.古代教会から知識が伝わった

 

天界の秘義2591

 

 現今賢い者は殆どいないが、それに反し、古代には、とくに古代教会には極めて多くの賢人がいて、この古代教会から知恵が多くの国民へ流れ出たのである。

 

 

 

3.古代教会から儀式が伝わった

 

天界の秘義10177[10]

 

 『香をたくこと』が上へ挙げられて、神的なものにより受け入れられる事柄を意味したため、それでそれはまた異教徒によってもその宗教の儀式に用いられた。乳香、香炉、香箱がローマ人の間に、また他の諸国民の間にも用いられたことは歴史から知られている。こうした種類の宗教儀式は古代教会から伝わったものであり、古代教会はアジアの多くの地域に、例えばシリヤ、アラビヤ、バビロン、エジプト、カナンにひろがっていたのである。この教会は表象的な教会であり、かくて天的なものと霊的なものである内なるものを表象する外なるものから成っており、この教会から多くの宗教儀式が周囲の諸国民のもとへ伝えられたが、その中に香をたくことも含まれており、それらのものからギリシャを経て、イタリ―へ伝えられたが、不断の火も同じく伝えられ、それを守るために貞潔な処女が任命され、これをかれらはベスタルズ[ベスタ女神の処女たち]と呼んだのである。