清い

聖い

1.マリア・ワルトルタ

2.スウェーデンボルグ

3.聖母から司祭へ

4.トマス・ア・ケンピス

5.ルイザ・ピッカレータ

6.ヴァッスーラ

 

1.マリア・ワルトルタ

 

マリア・ワルトルタ8・8/天使館1巻P73

 

清さを有する者は愛を有し、愛を有する者は知恵を有し、知恵を有する者は雅量とヒロイズムを有します。自らをそのために生贄とするのはなぜか知っているからです。

 

 

マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩下P201

 

イエズスがアンドレアに:

 

 「私は、おまえが何も言わずに他人よりもよく働いているのも知っています。十二人の中には、仕事をするのに騒々しく音を立てる者もいれば、仕事はしないが音を立てる者、仕事だけする者がいます。大事だが地味でだれも気づかない仕事・・・他人には何もしていないように見えるが、すべてを見ている人は知っています。おまえたちはまだ完全ではないので、こういうふうな違いがあるし、また、天使が“時が終わった”と声を響かせるその瞬間まで、将来ずっとおまえたちに続く弟子たちの中にも常にそういう人たちはいます。いつも勤勉だが、世間の注目を引くことのないキリストの奉仕者“先生たち”がいます。

 

そして残念ですが、音だけ立て、大向うの受けをねらって、大げさな態度をとる偽りの牧者も常にいます・・・彼らは司祭だろうか。いいえ、“芸人”以上の何者でもありません。司祭を作るのは、大げさな身ぶりでもなければ服でもない。人間を司祭にするのは、世間的な学問や知識、力関係ではない。大切なのは、その人の心と霊魂だけです。肉体を消すほどの大きな霊魂、私の夢見る司祭は霊だけです。未来の私の“聖なる司祭”は、このようなものです。霊には声もなく、悲劇役者の気どりもない。霊であるがために荘厳な衣装も仮面もつけない。司祭とは霊、炎、光、愛であるもの、それが司祭です。霊魂たちに話すまなざし、業、ことばの清さを持っています。

(中略)

信じてもらいたいが、聖なる司祭たちの中には、神と隣人への愛に死さえ選び、一生涯完徳を実行しつつ、世間がその存在すら気づかないほど、すべてを何げなく行う人々がいます。世間が将来遊女家と偶像崇拝の世界に変わらないとすれば、それはこのような“沈黙と忠実な英雄たちの活躍”によるものです。この人たち、そう、アンドレア、おまえのように清らかで控えめな笑顔を持つ人たちは常にいます。神の恵みによって、この世の幸運のために!」

 

 

 

2.スウェーデンボルグ

 

天界の秘義9818(5)

 

清い心[心情]は不潔な悪を嫌悪する意志を意味。

 

3.聖母から司祭へ

 

聖母から司祭へ1976.3.25

 

 神の母は、人々に神をもたらすように選ばれたからです。あなたがたの母は、イエズスによって贖われ、また彼によって私に委託された人々を神に導くからです。

 そのためにこそ、私はイエズスの本当の母であり、またあなたがたの本当の母です。

 天国に於いて、ご託身の奥義を瞑想して歓喜するこの日、あなたがたも母の愛の奥義を見つめて喜んでください。この愛の奥義はすべての者が理解するわけではなく、ただ心の清い人、素朴な人、貧しい人、小さい人にだけ与えられる恵みです。・・・

 

 

聖母から司祭へ1982.11.20

 

私はあなたがたが、知恵においても、体においても清いことを望んでいます。

 

 知恵の清さであなたがたは、もっと明らかに真理を見て、これにより忠実であろうとするでしょう。こうして、イエズスの福音の完全な神的かがやきを見るに至るでしょう。

 また、心の清さであなたたちは、イエズスとの完全な愛の交わりにまで辿り着き、イエズスは、あなたがたをご自分の燃える愛の神秘にまで導かれるでしょう。そうなれば、あなたがたは、すべての人を本当に愛するようになって、その愛の炎があなたがたを燃やし尽くし、新しい人々に変えるのです。

 体の清さであなたがたは、私と出合う喜びを感じ、また天の使いやあなたがたの亡くなった兄弟たちの霊魂と交わる喜びさえ感じるでしょう。

 精神の力は、そのとき、あなたがたを新たな人とし、肉体のいろんな束縛から、あなたがたを解放するでしょう。

 こうして、あなたがたは、神の恵みと、聖徳の光を自分たちのまわりに広げるようになるでしょう。

 イエズスが望み、教会が切に願っている独身生活を、あなたがたは愛し、重んじ、これに生きるようにしなさい。そうすれば、あなたがたは、数えきれないほどたくさんの人々のために、また、司祭である兄弟たちの霊魂のためにも“いのち”の発電所となるでしょう。

 私の最も愛する子らよ、頑張りなさい。隠れた生活と、謙遜の道で、私に従いなさい。

 

 

聖母から司祭へ1984.6.30

 

 その不思議とは、あなたがたを日進月歩、わたしに似たものとし、あなたがたの霊魂を、わたしのそれにかたどって変化させることです。

 わたしはまた、わたしの精神もあなたがたに与えましょう。それは、あなたがたが、わたしとの生活のうちに成長し、こんにちにおいて、天の母の現存をあかししうるものとなるためです。

 わたしは、あなたがたを養成します。あなたがたの知恵も心も体も、つまりあなたがたがすべてにおいて清くなれるように。こうして、あなたがたは、わたしの汚れなき光の美しさを、まわりに輝かせ広めることができるようになるでしょう。

 あなたがたに、わたしのこの愛の能力を与えましょう。そうすれば、あなたがたの心は、謬切や罪の道にふみ迷ったすべての人々にとって、救いの避難所となれるように開かれるでしょう。

 わたしはまた、あなたがたの行いのなかに繊細な心のたまものを与えます。それは、あなたがたが、すべての人に対して、あわれみ深い親切な人となれるためです。

 

 

聖母から司祭へ1985.2.14

 

 清い人たちにのみ神のみ国の神秘が開かれます。

―思いの清い人に。神のご計画を知り、これを謙遜に受け入れるからです。

―心の清い人に。ものごとや被造物また、あなたたちの人間的な限られた理知によって選び、判断させようとして、わたしの光を受けることを妨げる自分の考え方を離れるからです。

―魂の清い人に。あなたたちの中にある神の光を陰らせ、神の神秘を受け入れることを不可能にしてしまう、あらゆる罪の小さな陰からも逃れるからです。

―体の潔い人に。独身生活または貞潔の誓願をもって神に身を捧げ、十字架上のイエズスのおん体に、より似たものとなり、わたしの栄光の体をつつむ、無原罪の光に照らされるからです。

 特に愛された子らよ、わたしは皆が思い、心、魂と体が、美しさを極めるあなたたちの母に似ることを望みます。あなたたちは、妬みと憎しみの溢れる現在の世界で、人々の魂を暖め、神の生命に開かれるために天下る太陽の光でありなさい。現代の人類に現れた恐るべき雲のなかに、あなたたちは、一条の天の青空を覗かせてください。世界が泥沼への行進となり、腐敗したなかで、あなたたちは潔白の鏡となりなさい。これによって世界がみずからを映し、次第に新しい花園に変わるための助けとなるでしょう。

 

 

聖母から司祭へ1995.12.31

 

 わたしの務めは、あなたがたのあらゆる汚れを洗い清め、あらゆる苦しみにおいてあなた方を慰め、あなた方が落胆しているとき自信をつけてあげ、あなた方が孤独の時に大きな希望を持たせてあげることです。

 あなた方が世に在っても世に属していないように、あなた方を助けるのです。(ヨハネ17・14−16参照)

 それはあなた方が、いつも皆、わたしの子、イエズスのものであることを望んでいるからです。

 

 

聖母から司祭へ1997.2.2

 

「心の清い人は幸いである。」

 

心の清さは愛の完成から生まれます。そのために、愛する者だけが心の清さに達することができ、心の清い者だけが神をみることができるのです。

 

 

聖母から司祭へ1997.2.11

 

わたしは汚れなき宿りです。

 罪と悪に打ちのめされ、わたしとあなたがたの攻撃者から打撃を受け、傷つけられ、その隷属の暗闇のかせの下に服従を強いられているわたしの哀れな子どもたちよ、そのようなあなたがたのためにも、わたしは汚れなき宿りです。

 それゆえこんにち、わたしは無垢と愛、祈りと犠牲、清さと成聖の道においてわたしに従うようにと、あなたがたを招きます。

 もはや全世界は広大な荒野と化し、そこには罪と利己主義、傲慢と憎しみ、快楽と不潔の雑草が多数はびこってしまったのを、あなたがたも見るでしょう。

 不浄な事柄があらゆる宣伝の網を通して広まり、崇められ、こうしてまず子供たちの純粋さを犯すことから始まって、それから若者の純潔と家庭生活の貞潔を破壊してゆくまでに至ります。

 この世では好色の悪魔が主人として支配し、快楽の杯によって、地上の全ての国々を惑わすことに成功しています。

 

わたしは汚れなき宿りです。

 感覚の犠牲と祈り、清さと貞潔の道へとわたしの子どもたちを導くことは、わたしの母としての役割です。こうしてのみあなたがたは、わたしの子イエズスの愛の神秘の内にひたることができるのです。イエズスは清さを特別に愛されます。

 ただ心の清い人々にのみ、イエズスはご自分の神のみ心の秘密を証されます。イエズスは、子供の心を持つ清い人に、全てを浄め変容するご自身の憐れみ深い愛の計画を示されます。

 

 イエズスのいのちと、その救いの福音の神秘のうちに入るために、あなたがたは純潔の徳を生きなければなりません。

 

 

4.トマス・ア・ケンピス

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/1・23・1

 

 もし良心にやましいことがないならば、死もそれほど恐ろしくはあるまい。

死をのがれようとするよりは、罪をさけるほうがよい。

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/2・5・2

 

 もしこの世に喜びというものがあるとすれば、心の純潔(きよ)い人こそそれを味わう。

 もしまたどこかに難儀や心配があるとすれば、良心の疾しい者こそそれをもっともよく知っている。

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/2・6・2

 

善人の栄誉はその良心にある。人の口にあるのではない。

義しい人の喜びは神から来、また神にある。かれらの楽しみは真理から来る。

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/2・6・3

 

 良心の清い人は、すぐに満足して不平を起こさない。

 

5.ルイザ・ピッカレータ

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/2巻P98

 

人びとの不純さについてのイエズスの嘆き。

1899年8月1日

 

 イエズスは今朝、私を私自身の外に連れ出し、人類の腐敗の様を見せた。それは考えても恐ろしい。私が腐敗した人びとの真中にいると、イエズスは泣きながら言った。

 

「ああ、人よ、お前はなんと醜く変貌し、卑賤な者となったことでしょう。ああ、人間よ、お前を私の生きた神殿にしようと思ってお前を創造したのに、お前は悪魔の住み家となってしまった。見なさい、植物さえも葉っぱや花、果実などをつけて、お前が身につけるはずの正直、慎みなどについて教えている。お前は、すべての慎みと、自然への服従心を失ってしまい、動物以下に成り下がってしまったので、何に比較したらよいか分からないほどだ。お前は私の似姿であったのに、今ではその片鱗もない。お前は不純で、見るも恐ろしい姿で、見るだけでも吐き気をもよおす。お前を見ていると、逃げ出したくなる。」

 

こんなに嘆くイエズスを見て、私の心は張り裂けそう。そこで私は主に言った。

 

「主よ、その通りです。自然の掟すら守ることができないほど盲目となってしまったのです。人間の中には、もう何も善と言えるものがない。こんな人間には罰を送るほかないでしょう。どうかお願い。どうか憐れみを下さい。そうすれば元にもどるでしょう。」

 

このように話すと、イエズスは語った。

 

「娘よ、どうか私の苦悩を静めて。」

 

こう言うと、その頭に食い込んでいた茨の冠を取り外して、私の頭につけた。ひどい痛み。でもイエズスがほっとしたので、私も安心した。そのあとでイエズスは言った。

 

「娘よ、私は清い人をとても愛している。不純な人は遠ざけるけれど、清い人には、ちょうど磁石で吸い寄せられるように引きつけられる。清い霊魂には、彼らが私自身の舌で話せるように、喜んで私の口を貸そう。そうすれば、改心するのに苦労はないでしょう。このような霊魂のうちで、私は受難ばかりか、贖罪のわざも続けられるので嬉しい。でも一番大切なのは、彼らのうちで私自身の徳が誉められる喜びです。」

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/3巻P31

 

 私には、清さというものは霊魂が持つことのできるもっとも高貴な宝石であると思われます。清さを有している霊魂は純白な光をまとっているので、神がその霊魂を眺められるとき、ご自分自身の姿をそこに見いだされるということさえ起こります。それで神は愛に促されて、その霊魂と恋におちるまでにいたります。非常な愛にかられてご自分のもっとも清いみ心を、霊魂の避難所として与えられます。神のうちに入ることができるのはただ清く純粋なものだけだからです。あのもっとも清い懐には、ちょっとでも汚れたものは入ることができません。清さを有している霊魂は、神が彼女を創造したときにお与えになった本来の輝きを自身のうちに持っています。彼女の中では何も損じたり堕落したりしているものはありません。霊魂は女王のように天の王との婚姻を憧れて自分の高貴さを保ち、遂にこの貴い花は天の庭に移し代えられます。

 

 この処女的な花は独特な芳香に満ち、他の花のすべての上にいつも秀でており、天使たちすらをも越えるものとなります。そこにはさまざまな美しさが認められます。皆は尊敬と愛にとらわれて、彼女を神である花婿のところに行かせるために道をゆずります。それゆえに、私たちの主の回りに一番近く席を占めるのはこれらの高貴な花ばなです。主は、天と地を香りでみたすこれらの貴い百合の花の真中を散策することを非常に愛されます。さらに、主ご自身がもっとも貴い百合であり、他のすべての模範であられますので、これらの百合の花に囲まれることをとても喜ばれるのです。 清い処女の霊魂を見ることはなんと美しいことでしょう! その心は純白で清い吐息以外のものを放つことはありません。神以外には、どのような他の愛のほんの小さな影もそこにはありません。その身体からさえも清さの香りを放ちます。歩くにも、働くにも、話すときも、眺めるときも、動くときも、彼女のうちではすべてが清いのです。彼女を見るだけで、その香りを感じさせ、まことの処女的霊魂であることを気づかせます。

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/4巻P49

 

 従順は、人間の情熱を根こそぎにし、霊魂の中に存在する地上的、物質的なものの全てを破壊し、霊魂が最初から有していた状態を、偉大な栄光をもって彼女に返還するということをしてくれる。だからこれほどの誉れを受けるのである。霊魂の最初の状態とは、つまりエデンの園から追い出される前に、初期の正義のうちで神から創造された状態のことである。この崇高な状態の中では、霊魂は善であるもの全てに強く魅かれるのを感じ、善いもの、聖なるもの、完全なものの全てが身に付いていることを感じる。反対に悪についてはその影に対してえすら、非常な恐れを感じるほどとなる。従順の巧妙な手から受けたこの幸いな性質によって、霊魂はもはや受けた命令を果たすことに困難を感じることもなくなる。従順は常に善を命令するからである。また従順は、神の似姿を霊魂のうちによく刻むだけでなく、その人間的性質を神的なものへと変化しさえする。事実、善にして聖なる方、完全な方であられる神のように、霊魂もすべての善いものを志向し、悪を極度に嫌うようになる。従順とはこのように、人間的本性を神性化する徳を有し、霊魂に神の特性と獲得させる。したがって霊魂が、

従順の非常に巧妙な手に形成されるままに自分を委ねれば委ねるほど、神の特性を獲得してゆき、自分自身のものを破壊してゆく。

 さあこれが、なぜ従順がこれほど讃美され、崇められているかという理由である。私自身も従順の下に身を置いたので、そのために讃美され崇められたのであった。私の子供たちが不従順によって失った誉れと栄光を、私は従順を通して彼らの皆に返してあげた。

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/4巻P60

 

すべてにおける清さ。愛においても行為においても、ほんの少しでも清さに不足すると、それは心から魂にまで届いて汚点をつけ、身体の上にも反映する。ゆえに私は、清さとはちょうど太陽が昇るときに花の上にある露のようであってほしいと思う。それは太陽の光線を反射して、あの小さな水滴をたくさんの宝石へと変質させるので、それを見る人に感嘆の念を起させる。このように、もしあなたの全ての行ない、考え、言葉、鼓動、愛情、望み、心の傾向などが、清さの天的な露として飾られるようになったなら、きっとあなたは人間の目にとってのみでなく、すべての天上界にとっても甘美な魅惑を織りなすものとなるだろう。

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/4巻P87

 

娘よ、忍耐とは清さを超えたもの。なぜなら忍耐がないなら、霊魂は容易に自分を抑制できなくなり、ゆえに自分を清く保つことがむつかしくなるからである。一つの徳がいのちを保つために、もう一つの徳を必要とするときに人は言う。「最初のものは二番目のものよりも優れている」と。つまり、忍耐は清さの保護者であるばかりでなく、また強さの山を昇るための階段でもある。ある人が、もし忍耐の階段なしに昇ろうとすると、すぐにより高い所から、より低い所に墜落してしまう。さらに、忍耐は持久力の芽でもある。この芽は堅固と呼ばれる枝を産む。忍耐深い霊魂は、なんと着手した善のわざにおいて確固とし、永続的であることだろう! この霊魂は雨であれ、霜であれ、氷でも、炎でも心配しない。彼の関心事は、やり始めた善を最後までやり通すことである。ところが、それが楽しいので今日は善を行うが、翌日はもう興味を感じないのでそれをほっぽり出す、というようなことをする人以上に、ひどい愚か者はいない。

 

 もしも目が、一時間のあいだは視力をもっているが、その他の時は盲目であるとしたら、人は何と言うだろうか? 今は話すが、ほかの時は唖となる舌があったとしたら? そうだ、娘よ、忍耐のみが徳の宝箱を開くための秘密のかぎである。この秘密のかぎなしにはいのちを与えてこの秘密のかぎなしには、霊魂にいのちを与えて、それを貴いものとするために、他の徳を出すことができない。

 

 

6.ヴァッスーラ

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1巻P74

 

 ヴァッスーラ、苦しみを受け入れるように、私に選ばれた霊魂は皆苦しんだ、苦しみによって 霊魂は清められる 金が火の中で清めれるように。 霊魂も同じです。

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P104

‘89・1・17        

 

♡ 今日、我が唇は愛に渇き、あなた方の愛を求めている、私は愛に飢え渇く、愛に飢え渇く・・・我が聖心はどれほど私を愛するのを 学ぶようにと願っているか! いつの日か愛の頂きに達し あなたが「お父さま(アッバ)!」と叫ぶのを 聞きたいと願っている! その時・・・その時初めて、我が傷は癒えはじめるであろう・・・我が司祭たちが、無限の愛から汲み上げ、自らの心を満たすようにどれほど願うか! 彼らに対する我が愛は大きい、どれほど大きいかは 天国に入るまで、十分理解はできないであろう ♡ 熱心を旗印、忠実を松明、清さを礼装、そして愛を紋章としなさい。 子羊たちが彼らのうちに私を認め 我が象りを はっきりと見出だせるように ♡ 羊飼いたちは、清くあってほしい、その清さのうちに 彼らの実が 無傷であるように。 我が聖心を歓喜させ 掟を完全に守りなさい、愛することは、掟に従うこと。 互いに愛し合いなさい ♡ ああ 我が光の子たちよ、みことばを生きるように、みことばを生きるように・・・

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P66

‘89・12・16

 

あなたに平安。 聖性は一日では達成できない、障害物や小さな十字架に満ちたこの道を 忍耐強く歩んで行かなければならない、私から離れて行かないように、続けてくれるか? この道の果てまで 私とともに登りつめてくれるか?