機械
1.ウィルソン・ヴァン・デュセン
2.マリア・ワルトルタ
1.ウィルソン・ヴァン・デュセン
ウィルソン・ヴァン・デュセン/『霊感者スウェデンボルグ』/P190
彼らは性的なこととか汚いことに気持ちを向けさせようとするが、このこともスウェーデンボルグはいっている(霊界日記2852)。そして、彼らはそんなことに気持ちを傾けたといってまた人間を非難するのだ。彼らはまた人間は単なる自動人形や機械なのだという意味のことをいったりもする。
『このように人間が機械みたいに操られて行動するので霊の眼には人間など塵芥(ちりあくた)でしかない。ある者が人間やあるいはまた霊だと知っても彼らは相手を機械としか見ていない。しかし、人間のほうはいつも自分は生きていて、考えている存在で、霊なんてものはなきに等しいといったように考えているのである(霊界日記3633)。』
人間が自動人形だという考えは精神病的な妄想には共通の幻想で、幻想の中で起きるものである。普通の状態では霊には人間の世界のことは見たり聞いたりできないが、精神病などの中では彼らにはそれができるようになるということはスウェーデンボルグもいっている(天界の秘義1880、霊界日記3963)。たとえば、私は患者の声に対してロールシャッハ・テストを与えて、患者自身の答えとは別にそれに回答させることもできたのだった。このテストの結果をついでにいえば、低次元の声たちは患者以上に病んでいるように見えた。私は患者の聴覚を通じて彼らと話をすることができたが、彼らもまた患者の耳が聴くことを聴くことができるのだった。彼らは患者同様に見たり聞いたりができるように私には思えた。しかし、それが彼ら自身がいうように、患者が自分の感覚器官で見たり聞いたりするものよりももっとぼんやりした見え方や聞こえ方になっているのかどうかについてはどっちともいえなかった。
2.マリア・ワルトルタ
マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P54
そのとおりである。現在、人類は骨、石灰化した、重苦しい、死んだ悪徳と異端の悪臭を放つ畝溝(うねみぞ)の深みに沈んだ廃墟にすぎない。そこにはもはや霊は無い。肉のなかの生命であり、永遠のなかの生命である霊魂は無い。人間を動物から区別する霊魂は、もはやそこに無い。人間は最良の部分において自分自身を殺してしまった。人間は一台の機械か? 獣か? 死骸なのか? そうだ、人間はこれらすべてだ。
人間はエンジンを始動させてその部品を無理やり働かせなければならないので、働く装置の自動性でその一日を終了するから機械だ。しかし自分がしていることの美しさを理解せずにそれをしている。人間も起き、食べ、働き、散歩し、おしゃべりをしたあとで寝る。その美において、あるいは醜さにおいて為すことを、ついぞ理解することがない。なぜなら、端的に霊魂が欠けていて、もはや美を醜から善を悪から区別しないからだ。
人間は一種の獣である。というのも彼は眠り、食べ、身体には脂肪を、ねぐらには食糧を蓄えることで満足し、これらを生きる目標とし、存在するよろこびとしている獣以上でも以下でもない。しかも彼は、こうした自己中心的で暴力的なことのすべてを、満腹するためには掠奪することが必要であるという、卑しく野蛮な法則によって正当化している。
人間は一種の死骸である。というのも一人の人間が生きていると言えるのは、彼の体内に霊魂が現前しているからであり、霊魂が立ち去れば、人間は死骸になってしまう。事実、現今の人間は、機械もしくは悪魔の魔法にかかって立たされ動かされているほんとうに一つの死骸である。だがそれは一つの死骸である。