枯れた骨の復活

エゼキエル37章

 

 

1.聖書

2.スウェーデンボルグ

3.マリア・ワルトルタ

4.ヴァッスーラ

 

 

 

 

1.聖書

エゼキエル37・1−14

主の手がわたしの上に臨んだ。わたしは主の霊によって連れ出され、ある谷の真ん中に降ろされた。そこは骨でいっぱいであった。主はわたしに、その周囲を行き巡らせた。見ると、谷の上には非常に多くの骨があり、また見ると、それらは甚だしく枯れていた。そのとき、主はわたしに言われた。「人の子よ、これらの骨は生き返ることができるか。」わたしは答えた。「主なる神よ、あなたのみがご存じです。」  

そこで、主はわたしに言われた。「これらの骨に向かって預言し、彼らに言いなさい。枯れた骨よ、主の言葉を聞け。これらの骨に向かって、主なる神はこう言われる。見よ、わたしはお前たちの中に霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。わたしは、お前たちの上に筋をおき、肉を付け、皮膚で覆い、霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。そして、お前たちはわたしが主であることを知るようになる。」わたしは命じられたように預言した。わたしが預言していると、音がした。見よ、カタカタと音を立てて、骨と骨とが近づいた。わたしが見ていると、見よ、それらの骨の上に筋と肉が生じ、皮膚がその上をすっかり覆った。しかし、その中に霊はなかった。主はわたしに言われた。「霊に預言せよ。人の子よ、預言して霊に言いなさい。主なる神はこう言われる。霊よ、四方から吹き来れ。霊よ、これらの殺されたものの上に吹きつけよ。そうすれば彼らは生き返る。」

わたしは命じられたように預言した。すると、霊が彼らの中に入り、彼らは生き返って自分の足で立った。彼らは非常に大きな集団となった。

主はわたしに言われた。「人の子よ、これらの骨はイスラエルの全家である。彼らは言っている。『我々の骨は枯れた。我々の望みはうせ、我々は滅びる』と。それゆえ、預言して彼らに語りなさい。主なる神はこう言われる。わたしはお前たちの墓を開く。わが民よ、わたしはお前たちを墓から引き上げ、イスラエルの地へ連れて行く。わたしが墓を開いて、お前たちを墓から引き上げるとき、わが民よ、お前たちはわたしが主であることを知るようになる。 また、わたしがお前たちの中に霊を吹き込むと、お前たちは生きる。わたしはお前たちを自分の土地に住まわせる。そのとき、お前たちは主であるわたしがこれを語り、行ったことを知るようになる」と主は言われる。

 

2.スウェーデンボルグ

 

天界の秘義149[]

 

聖言にも亦、人間自身のものは『骨』により意味され、実に自分自身のものは主により生命を与えられるものである、例えばイザヤ書には―

 エホバは干ばつの中にもあなたの魂を満足させ、あなたの骨を敏くし、あなたは潤うた庭園のようになるであろう(イザヤ58・11)。

 

更に―

そのときあなたらは見て楽しむであろう、あなたらの骨は若芽のように芽生えるであろう(66・14)。

 

ダビデの書には―

 わたしの骨は凡て言うでしょう、エホバよ、たれがあなたに似ていましょうか、と(詩篇35・10)。

 

このことはエゼキエル書には更に明白であり、そこに彼は骨が肉を受けて、霊を注がれたことを物語っている―

 エホバの御手が私を谷の真中に置かれたが、そこには骨が満ちていた、かれはわたしに言われた、この骨に予言して、それに言いなさい、枯れた骨よ、エホバの言葉を聞け、主エホバはこの骨にかく言われる、見よ、わたしはあなたらの中に息[]を入れよう、あなたらは生きるであろう、わたしは筋をあなたらの上に作り、肉をあなたらの上につけさせ、皮膚であなたらを蔽い、息[]をあなたらの中に置こう、あなたらは生きるであろう、あなたらはわたしがエホバであることを知るであろう(73・1、4−6)。

 

 

天界の秘義149[]

 

人間自身のものは、天界から見られると、全く骨張った、生命の無い、極めて醜い物のように見え、従ってそれ自身では死んだものとして見えるが、しかし主によって生かされると肉のように見えるのである。なぜなら人間自身のものは人間には何か有意義なものとして、実に凡ての物としてさえ見えるが、全く死んだものであるからである。彼の中に生きているものはすべて主の生命から来ており、もしそれが取り去られるならば、彼は石のように死んで倒れ伏してしまうのである。なぜなら人間は単に生命の器に過ぎず、その器の如何に、生命の情愛が応じているからである。主のみが御自身のものを持たれており、この自分自身のものによって人間を贖われ、この自分自身のものは生命であり、その主御自身のものから、それ自身では死んでいる人間自身のものが生かされるのである。主御自身のものはまたルカ伝の主の御言葉により意味されている―

 

霊には肉と骨とはない、わたしにはあり、あなたらの見るようである(24・39)。

 

それはまた過越節の子羊の骨が一つも折られないことにより意味されたのである(出エジプト記12・46)。

 

 

天界の秘義150

 

 人間の状態はその自分自身のものの中にある時は、または自分自身から生きていると考える時は『深い眠り』に譬えられ、実に古代人からは深い眠りと呼ばれ、聖言にはそのような者に就いては彼らは『その上に深い眠りの霊を注いだ』と言われ(イザヤ29・10)また彼らは眠るとも言われているのである(エレミヤ記51・57)。人間自身のものはそれ自身では死んでおり、たれ一人その者自身からは如何ような生命も持っていないことは霊達の世界に極めて明らかに示されているため、自分自身のもの以外には何物も愛しないで、自分は自分自身から生きていると頑強に主張する悪霊らは感覚的な経験により説得されて自分は自分自身から生きてはいないと告白することを余儀なくされたのである。人間自身のものは事実如何ようなものであるかをわたしは数年間特別な方法で知ることを許され、わたしはわたし自身からでは何事も考えることは出来ないのである、思考の観念はすべて流れ入っていることを明らかに認めることが出来たが、時にはそれが如何ようにしてまた何処から流れ入ってくるかも認めることが出来たのである。自分は自分自身から生きていると考えている人間はそれ故誤ったものの中におり、自分は自分自身から生きていると信じることにより悪いまた誤ったものをことごとく自分自身のものとしてしまうが、もしその者の信仰が実情の真の真理に順応しているならば、彼は決してそのようなことはしないであろう。

 

 

天界の秘義671

 

再生していない人間は真理の理解を、または善の意志を持っておらず、単にそのようなものであるように思われて、普通の言葉でそのようなものであると言われているものを持っているに過ぎないのである。しかし再生していない人間は理性と知識の幾多の真理を受けることは出来るが、しかしその真理は生きてはいないのである。彼はまた異邦人の中に、また獣の中にすら存在しているような、一種の意志の幾多の善を持つことが出来るが、それらもまた生きてはいないのであって、それらは単に類似物に過ぎないのである。人間の中のこのような幾多の善はその者が再生し、かくてその幾多の善が主により生かされない中は生きてはいないのである。他生では生きているものと生きていないものとは極めて明白に認めらている。生きていない真理は物質的な、繊維のような、閉じこめられた物として、生きていない善は木のような、骨のような、石のような物として直ぐに認められている。しかし主により生かされている真理と善とは開いており、生命に満ち、霊的な天的なものに満ち、実に主からさえも開かれて明らかになっており、しかもこれは凡ゆる観念の中にも、凡ゆる行為の中にも、実にその何れもの最小のものの中にさえも行われている。

 

 

天界の秘義3812[6]

 

 ここに全般的にとり扱われている主題は異邦人の間に教会を再び起すことであり、個別的には、人間の再生である、すなわち、『枯れた骨』は、主からの善の生命を受けない中は生きていないが、それを受けることにより生命を得、または生かされるところの理解の自分自身のものを意味しており、『主が骨の上に生じさせる肉』は、天界的なまたは天的な自分自身のものと呼ばれているところの意志の自分自身のものであり、かくてそれは善を意味しており、『息』は主の生命であって、その生命が人間が自分自身のものから意志し、欲し、行っているように自分自身に思われているところのその人間のかの善の中へ流れ入ると、そのときは、その善は生かされ、その善からその真理も生かされ、その枯れた骨から人間が作られるのである。

 

 

真の基督教534

 

 自らを一度も点検しない人々は、その血液が毛細管の障碍によって腐敗した病人に譬えることが出来よう。この障碍は体液と血液の濃化、粘靭性、変化、酸性によって惹起される急性の痼疾、萎縮、四肢の麻痺を生ぜしめる。然し、己が諸々の意図を点検する者達は、金、銀、貴重な商品を積みオフィルから出帆する船に似ているが、それ以前は凡ゆる種類の塵埃と汚物を積み込んだ船に似ている。内的に自らを点検する者達は、その通路が貴重な金属の鉱石で輝いている鉱山のようであるが、それを為さない以前は光鱗を持った毒蛇と、羽のきらきら光った忌まわしい昆虫の巣食っている不愉快な泥沼のようなものである。自らを一度も点検しない者達は、谷間の乾いた骨に似ているが、自らを点検した後は、主エホバによって腱、肉、皮膚を以って蔽われ、息を吹き込まれて生きた骨に似ている(エゼキエル37・1−14)。

 

3.マリア・ワルトルタ

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P201

 

 

マリア・ヴァルトルタ/「手記」抜粋/天使館/P53

 

これらの骨は生き返るのか?

 

45年4月15日

 イエズスは言われる。『わたしがエゼキエルにたずねたように、貴女にたずねる、<貴女は、これらの骨が再び生き返ると思うか?>と』。

わたしは、エゼキエルのように、『なるヤーウェよ、それはあなたがご存じです』と答える。なぜならわたしは『人間たち』というために用いられていた『骨』という言葉の意味がわかるからです。わたしはイエズスが、最後のに死者たちが復活するかどうかをわたしにたずねておられるのではないことを理解しています。これは信仰であり、その点について疑う余地はありません。ただは、かくも物質に埋没していて、霊の無い悲惨な現在の人類に『骨』という名前を与えているのです。それをわたしが理解するのは、すでに神父様、あなたに何度も説明したことですが、がわたしをその代弁者になさるとき、わたしの知性は拡大し、普通の人間に与えられる力をはるかに上回る力が授けられるからです。そしてわたしは霊によって『見』、『聞き』、『理解』しているのです。

 

 イエズスは、わたしが彼の質問を理解していることを見てとり微笑まれました。そして、つぎのように説明なさいます。

 

「そのとおりである。現在、人類は骨、石灰化した、重苦しい、死んだ悪徳と異端の悪臭を放つ畝溝(うねみぞ)の深みに沈んだ廃墟にすぎない。そこにはもはや霊は無い。肉のなかの生命であり、永遠のなかの生命である霊魂は無い。人間を動物から区別する霊魂は、もはやそこに無い。人間は最良の部分において自分自身を殺してしまった。人間は一台の機械か? 獣か? 死骸なのか? そうだ、人間はこれらすべてだ。

 

人間はエンジンを始動させてその部品を無理やり働かせなければならないので、働く装置の自動性でその一日を終了するから機械だ。しかし自分がしていることの美しさを理解せずにそれをしている。人間も起き、食べ、働き、散歩し、おしゃべりをしたあとで寝る。その美において、あるいは醜さにおいて為すことを、ついぞ理解することがない。なぜなら、端的に霊魂が欠けていて、もはや美を醜から善を悪から区別しないからだ。

 

 人間は一種の獣である。というのも彼は眠り、食べ、身体には脂肪を、ねぐらには食糧を蓄えることで満足し、これらを生きる目標とし、存在するよろこびとしている獣以上でも以下でもない。しかも彼は、こうした自己中心的で暴力的なことのすべてを、満腹するためには掠奪することが必要であるという、卑しく野蛮な法則によって正当化している。

 

 人間は一種の死骸である。というのも一人の人間が生きていると言えるのは、彼の体内に霊魂が現前しているからであり、霊魂が立ち去れば、人間は死骸になってしまう。事実、現今の人間は、機械もしくは悪魔の魔法にかかって立たされ動かされているほんとうに一つの死骸である。だがそれは一つの死骸である。

 

 そこでわたしは言う、『見よ、わたしは枯れた骨おまえたちの中に霊魂を吹きこむだろう。そして、おまえたちは生き返るだろう。おまえたちに腱と肉をつけ、皮膚で覆う。わたしはおまえたちに霊魂を与えるだろう。そしておまえたちは生き返り、わたしであることを知るだろう』。そうとも、わたしはそうするだろう。死骸ではなく『生きた』民をわたしが、ふたたび有する時が到来するだろう。

 

 さしあたりわたしは、最良の人々、死んではいないが、霊的な糧の欠乏によって骨と皮になっている人々にわたしの言葉の糧を与える。あなたたちが衰弱によって死ぬことを望まない。この糧は滋養に富むマンナであり、美味しいだけではなく、あなたたちに活力を与える。おお! わたしの愛、わたしの犠牲による子供たちよ! このマンナを食べて身を養いなさい。それにしてもなぜわたしは、多くの人々が飢え、救い主によって彼らのために準備された多くの食物が、飢えている人々の口に入っていない現状を見なければならないのか?食べなさい。立ち上がりなさい。墓から出てきなさい。無気力から、現世の悪徳から抜け出し、認識に至りなさい。あなたたちのであるを『見分ける』ために来なさい。

 

 わたしはこれをこの作品の始まりで、またこの悲劇的な戦争のさなかで言った。そして今繰り返して言う。『これは反キリストの時代を準備する戦争の一つだ』と。つぎに来るのは生きた霊魂の時代だろう。この時代を受け入れるために自分を準備する人々は幸いである。

 

『わたしたちはもうその時代には生きていないだろう』と言ってはならない。あなたたちではなく、あなたたち皆ではない。だが、自分のことしか考えないのは愚かで愛徳に欠けることである。無神論者の父からは無神論者の息子が生まれる。無気力な父親からは無気力な息子が生まれる。そして彼ら、あなたたちの子供たちや、そのまた子供たちは、あの時のためにどれほど多くの霊的力を必要とすることだろう!結局、子供たちや孫たちの幸せを用意してやるのは人間的な愛の掟なのだ。現世的なことがらについて示す努力よりも、霊的なことに関して為す努力をそこそこにしてはならないし、子供たちがあなたたちよりも幸せな日々を送れるように、彼らに財産を与え、あるいはそれを残すために努めるよりも、彼らに霊的な力を遺産として残すために骨を折りなさい。世とルシフェルとの最終的な戦いの雹が、地獄のほうがまだましだと思われるほどの残忍さで人類を鞭打つとき、彼らが霊的な力をふんだんに持つために働き、その力を増加させることが出来るように。

 地獄! 人類はそれを体験するだろう。そのあと、霊魂に忠実な人々には楽園が到来するだろう。現世ではない地球、すなわち天の王国が到来するだろう。」

 

 

マリア・ヴァルトルタ/「手記」抜粋/天使館/P99

 

43年8月22日

(前略)

 わたしは雑巾、哀れなぼろぞうきんです。甘美さの中に浸る霊魂しかもっていません。

 イエズスはわたしに書き取らせながら、あのかたが地球というとき、それは塵と水の球体としてではなく、人々の結びつきとしての世界であることをわたしに分からせてくださいました。わたしがうまく説明しているかどうかは、わかりません。あのかたが言う地球とは、道徳的な実在を意味しており、地球と言うとき、それは野原や山や水から成る単なる惑星を意味しているとでも言いましょうか。前者には罪があり、後者には罪がないのです。

 

 殉教者たちの血はそれを涜聖的怒りをもって飲んだ(その住人たちにおいて)、またを畏れぬ地上的権力の濫用をもってそれを撒き散らした(国家権力において)地球に対して毒となったということを、前言に反することなく言えるのは、このためです。一方、エーテル空間の回転物体地球−球体は、殉教者たちの血を尊敬をもって飲み、彼らの断末魔のけいれんを愛をもって迎え入れ、殉教者たちの血が空しく撒き散らされたのではなく、彼らの苦悩がむなしくならず、彼らの正義が認められるようにと求めつつ、母性的な憐憫の情をこめてそれを代わる代わる永遠者に差し出すのです。

 

わたしは大好きな聖書を、直接説明してもらって満足していますが、でもあなたに請け合いますが、人間的に言ってわたしはもうぼろぼろです。中身は空っぽで、絞り取られたような気分です。これほどのことがあった後では、わたしの中にはもう何一つありません。

(後略)

 

4.ヴァッスーラ

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P180

‘88・4・5

 

ディビッド! ジェームズ! この我が古い土台を立て直すのだ、壁を新しくし、聖所を新にしなさい、私は主であり 私の力でこのいにしえの廃墟を建て直し 古い基礎を美しく飾る、壁を新にしたなら、すべての死者を再び生き返らせ、死骸を起し いのちを吹き返させる、これが大いなる立ち返り、いのちへの大いなる立ち返りである ♡ 私の輝かしい露があなた方被造物を美しくするからだ!

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P120

‘89・2・15

 

我が叫びを耳にして 死者でさえ・・・ 彼らでさえ(*)・・・ 揺さぶられた、私、主は、あなた方のさ中に死人を甦らせている、そう! これらの死骸の一つ一つを 生き返らせる、彼らには我が叫び声が届いたからだ。 これらの死体は 光の柱となり、幾人かは我が教会の堅固な柱となろう、そして彼らを導くため一人ひとりの手に 右手には我が巻き物を 左手には我が燭台を置く ♡ 弟子の舌を授け あなた方の前で仕えさせる ♡ 全てのくに民は彼らの完全さを 眼の当たりにし 彼らは地の果てまで 真理を宣言しよう。 そして約束する、大地にみずみずしいものが育ち、庭園では種子から芽が吹き出すように、私、主は、これらの死体を生き返らせ、自らの口から発せられた、新しい名を授ける ♡

 *神のみ声は大変悲しそうでした。

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/5巻P247

‘91・10・29

 

私自身の手で形造った教え子たちが、我が名によって 恐れなく宣教するのを見たなら、自分たちの誘惑に打ち勝って、彼らを引き裂かないように、むしろその足音を 識別しなさい、私はこれらの聖徒たちを遣わしつづけ その道すじで 我が分断されたからだの部分を集めさせよう、そして誰も、不潔の霊たちさえも 彼らを妨げられないであろう、むしろアーメンがその師であると知って その前に打ち伏そう ♡

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/6巻P212

‘93・3・1

 

♡ そこで怖れずに預言しなさい。あなたを乾いた骨に遣わし 肉をつけさせる、私を讃え 我が誉れとなるように 息吹を与える。 そう、私は死人に息を吹きかけよう 彼らが生き返ってこう叫ぶように: 「神のようなお方は どこにおられよう?」 彼らの創り主ほどの大いなる愛は 見いだせないと彼らに思い出させよう ♡

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/6巻P261

‘93・5・30

 

私とあなたは一致している、私と一致している誰であろうと 私がたどったと同じ道、カルワリオにいたる道をたどる。 至高なる生けにえに従って行く誰であろうと その生けにえの部分となる。 あなたは私の一部、私のからだに残された部分・・・いのちを贖いとして捧げ ともに死の谷(*)に入ってきなさい、その場所で我が霊を注ぎ出す、その場所で我が愛を注ぎ出し どの枯れた骨も生き返らせよう。

 

    イエスはあらゆる霊的に死んだ人たちがいるはずの場所をおっしゃっています。

 

その谷が あなたの仕事場です ヴァッスーラ。 いのちの川を そこに溢れさせる。 復活 そしていのちなる私は、その谷に散らばる枯れた骨を 花咲かせるつもりです、私は我が思いやりと愛を現し 死者をその墓から引き上げ 私と一緒に我が家まで連れ帰ろう、その食卓は豊かに満ち溢れ、私はその杯を満たし溢れださせる そして我が聖心が 彼らの聖なる仲間となろう。 今は死の谷に散らばって横たわる あのすべての枯れた骨から ただ一つのからだを造り上げる ♡ そう、エゼキエルのヴィジョン(*)のように、私も同じ質問をする:「これらの骨は 生き返ることができるか?」

 

    エゼキエル書37・1−10

 

いいえ。あなたが介入なさらなければ。いのちをその中に入れて下さらないなら、わが主よ。すっかり枯れていて、いのちの気がありませんから。

 

私が生き返らせる。

         私は 復活。

私は腱をおき、散らばった骨の上に筋をはり、こうしてそれらは一つに繋がる(*) 次に肉がもりあがる、私はそれを皮膚でおおい、いのちを持つように 息を与える。

それらが(**)一つのからだとなるように造り上げよう・・・そして再びいのちを呼び戻す。

 

 *主は私どもの分裂を語っておられたのです、教会の分裂を。私どもを枯れて散らばった骨に譬えて。 **骨。

 

私は聖霊を送り その(*)鼻から非常に強い息を吹き込んで生き返らせる 再び立ち上がって私を讃えるように。私は玉座から水晶のように澄んだ水(*1)を あなた方(*2)の上に注ぎ すべての汚れから清める、そしてそのさ中で暮らすように 我が聖霊を注ぎ出す。

 

 *からだの。  *1黙示録22・5。

 *2神は、そのからだおよび、ご自分の教会、私ども皆にも、話しかけておられます。

 

私は聖霊を与え それはあなたの心となる。 次に、私自身でこのからだを聖別する ♡ そしてあなたの目(*1)に注ぐ私の光は、我が輝かしい栄光(*2)から発する、私自身の神的光、こうして私が松明(*3)となって あなたの前を歩き、道を照らすがゆえ あなたは勇士のように雄々しく歩もう。

 

 *1イエスはご自分の教会、その刷新、新しいエルサレムのことを話されています。

 *2黙示録21・23。  *3黙示録21・23。

 

私自身があなたの明り(*)となるので、もはやランプの明りを持たないでもよくなる。

他のすべての国たみ(*1)はあなたの美しさを見て 跡を慕って来る、そして宝と富をたずさえ 自分の身も合わせて捧げるようになる。

 

 *黙示録21・23。  *1「他のすべての国たみ」とは、誰もが最後にはキリストを神の子として認識し、こうしてイエスの祈りが成就するのを意味します。  *2黙示録21・26。

 

私はあなた(*)の手に鉄の笏を持たせ 荘厳と輝きを纏わせる・・・

 

 *神は新しくなった教会のことを言っておられます。

 

やがて(*1)こうして あなた方一人ひとりを我が霊は一致させて下さる そして誰もが 私(*2)を送ったのが御父だったと信じ、誰もが 私を生けにえの仔羊(*3)として認識しよう ♡

 

 *1黙示録6・15−17   *2ヨハネ福音書7・21。

 *3黙示録6・6(世界がキリスト教に改心すること)。

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P232

‘02・6・1

 

そしてあなたは、娘よ、私の種子を運ばせているゆえ、これからも力強く播いていくように。 あなたが何を言うかはすべて 私が承知しているではないか? これを打ち明けさせてほしい、干からびて散らされた骨の間で あなたがもがいているのを見て 私の目には涙が溢れるように湧いてくる。 どんな父親も その跡継ぎの憂鬱な表情を見るのは苦しいものだが、私も、あなたの父として、苦しんでいる。 我が王宮で育てた子どもが 死の谷で苛まれているのを見て 私はこの情景に打ちひしがれる。 あなたの嗣業は生者たちの地にある、しかし私は 我が権能によるわざと 至高者としての荘厳なる栄光を もう一度人類に教え直すためにあなたを創造し 聖なる知恵をもって教え導いてきた! 愛と慈悲によってのみ 私は行動することを思い出させようとして。 その点では この時代に下すどんな天罰も 憐れみによる叱責に過ぎない。