経験
天界の秘義2715[6]
このことから同じように以下のことが明白である。すなわち、聖言全体の中には主に対する愛と隣人に対する愛の善以外には殆どいかようなものもとり扱われていないものの、それでも霊的な人間は善が信仰の本質であることを知ってはおらず、愛と仁慈とはその本質においてはいかようなものであるかさえも知ってはいないのであり、またかれが本質的なものとしている信仰について学んだことについても、人生の多くの経験により確認しない限り、それが果たしてそうであるか、否かと論じるのである。このようなことは天的な者たちは決して為しはしないのである。なぜならかれらはそれがそうであることを知り、また認めもしているからである。ここからマタイ伝には主により以下のように言われている―
あなたたちは、しかり、しかり、いな、いなとのみ言いなさい。それをすぎたものは悪からでている(マタイ5・37)。
なぜなら天的な者たちは、霊的な者たちからそれがそぷであるか、否かと論じられている真理そのものの中におり、そこから天的な者たちは真理それ自身の中にいるため、その真理に属している無限のものをその真理から見、かくて光からいわば全天界を見ることができるからである。しかし霊的な者たちはそれがそうであるか否かと論じているため、かれらがそうしたことを行っているかぎり、天的な者の光の最初の境界にさえも来ることができないのであり、ましてやかれらの光からはいかようなものをも眺めることはできないのである。