芥子種の譬

 

産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ(創世記1・28)

 

 

1.聖書より

2.スウェーデンボルグ

3.マリア・ワルトルタ

 

 

 

 

1.聖書

 

 

マタイ13・31−32

 

 イエスは別のたとえを持ち出して、彼らに言われた。「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣をつくるほどの木になる。

(マルコ4・31,32、ルカ13・19)

 

 

 

詩篇92・13−16

 

神に従う人はなつめやしのように茂り

レバノンの杉のようにそびえます。

主の家に植えられ

わたしたちの神の庭に茂ります。

白髪になっても実を結び

命に溢れ、いきいきとし

述べ伝えるでしょう

わたしの岩と頼む主は正しい方

御もとには不正がない、と。

 

 

 

 

2.スウェーデンボルグ

 

 

スウェーデンボルグ/天界の秘義55

 

 多くの真理と善とが存在する時、地は『満たされる』または充ちみつるのである。なぜなら主はマタイ伝に言われているように、人間を祝福し、これに語りかけられる時、すなわちこれに働きかけられる時、善と真理とは無限に増大するからである―

 

天国は一粒の芥種のようなものである。人はそれを取ってその畑に播くときは万の種よりも小さいが、育つと、他の野菜よりも大きく、木となり、空の鳥が来て、その枝に宿るほどになる(13・31,32)。

 

 『一粒の芥種』は人間が霊的なものになる以前の人間の善であり、それは『万の種より小さい』。なぜならかれは自分自身で善を為すと考えていて、人間自らに属したものは悪以外の何物でもないからである。しかしかれは再生の状態にいるため、かれの中に多少善が在るが、しかしそれは凡ての物よりも小さい。

 

[4]ついに信仰が愛に結合するにつれ、その善は更に大きくなり、『草』となり、最後に信仰と愛との連結が完成すると、『木』となり、かくて『天の鳥』は(それはこの記事においてもまた真理を、または知的な物を意味しているが)記憶である『その枝に宿る』のである。人間は霊的なものになる間のみでなく、霊的なものである時にも、争闘の状態に在り、それで『地を従えよ、治めよ』と言われている。

 

 

 

黙示録講解1100ハ

 

 『一つぶのからし種からできた木』は非常に小さな霊的善から真理により始まる教会の人を、また教会を意味している。なぜなら単に非常に小さな霊的善でも人間の許に根をおろすなら、それは善い土地の種子のように成長するからである。そして『木』がこのように教会の人間を意味するため、以下のことが必然的に生まれてくる、すなわち、その枝の中に巣を作った『空[天]の翼をもった物』は真理にかかわる知識を、そこから発する思考を意味する。たれでもこれは単なる比較[たとえ]ではないことを認めることができよう、なぜならもしそれがたんなる比較[たとえ]であるなら、聖言の中にそうしたものの必要が、また予言者の書の中にそれに似た物の必要が何であろうか。

 

 

 

天界の秘義1941

 

 その種子はそうしたものから自由にされて、成長して行くが、それは丁度木の種子が土地から生え出て若木となり、それから大きな木になり、それが後には増大して木々の庭園になるのに全く似ているからである。なぜなら知識と理知と知恵はことごとく、その歓喜と幸福とともになって、このように実を結び、増し加わり、かくして永遠に増大して行くが、しかもそれは主が一粒のからし種について教えられているように(マタイ13・31)、最小の種子からさえ発しているからである。

 

 

 

3.マリア・ワルトルタ

 

 

マリア・ワルトルタ/マグダラのマリア/P136

 

「愛は、おまえたちの中に生まれて成長して天まで至る種である。その影に他のすべての徳が生まれる。これを芥子の小さな一粒にたとえよう。何と小さいもの!人間がまく細かい種の中の最も小さいものの一つである。それでも木になって力強く枝を出して多くの実を結ぶ。百、二百ではなく一つに百倍の実を結ぶ。

 

愛はそのようなものである。もしお前たちが自分の心に、いとも聖なる神と隣人のための愛の小さな種をまくならば、そして愛の指導のもとに業を行えば、十戒のどんな掟にもそむくはずはない。さまざまな信心業だけで心の伴っていない偽りの宗教をもって神を欺くことはできない。感謝の心のない子供のように、夫婦間の忠誠を破ったり、あるいは相手にあまりに要求したり、商売で盗んだりして、生活においてまことを守らずして、敵と思っている人に対して暴力をふるったりしてこのような生き方によって隣人を偽ることはない。今の暑い時間にどれほどの小鳥がこの菜園の中に避難しているかを見なさい。芥子の種も大きくなったら多くの小鳥は、その繁った枝の中に止まり、そしてひなは、ちょうどその枝の中に飛んでつばさを強くするのを習い、枝から枝へ飛んで落ちることはない。神のみ国の基礎である愛は、このようなものである。

 

愛せよ、そうすれば愛されるだろう。愛せよ、そうすればお互いに助け合うだろう。愛せよ、そうすれば正しくない要求をして暴力をふるうことはない。

 

天の平和と光栄とを得るための愛と真実とを持ちなさい。そうでなければ、さっき、ベンヤミンが言ったように、愛と真理とに偽って行われた業でも、地獄の寝床のわらに変わるだろう。私は、これ以上のことを言わない。ただこう言う。愛の大きな掟をいつも目の前におき、そして真理である神に対して忠実で、すべての言葉、行い、あるいは感情に忠実でありなさい。なぜなら真理が神の娘であるからである。種は完成に至るまで沈黙、謙遜、忍耐の絶えざる業をもつ。義人として生きるならば、いつか手にするであろう天の国は、毎日の小さいことによって作られる。慈悲をもって、清い心をもって忍耐をもって、与えられているもので満足することをもって。お互いのゆるし合い、愛、愛、愛をもって。

 

お前たちは皆、良い人であれ。お互いの平和を守って、不平を言うな。人を裁くな。そうしたら神はおまえたちとともにおられるに違いない。私に対して皆が持っている信仰への祝福と感謝として私の平和を与える」

 

それから、イエズスは女に向かって言う。

「神は、特にあなたを祝福しますように。あなたは聖なる妻、また聖なる母だから。根気強く続けて徳を守りなさい。ベンヤミンさようなら。いつも真実を愛する者であれ。そして、お母さんの言うことをよく聞きなさい。おまえと小さい兄弟たち、また、お母さんあなたに私の祝福を」