産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ

創世記1・28

芥子種の譬(マタイ13章)

 

 

創世記1・28

 

神は彼らを祝福して言われた。

「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」

 

 

 

天界の秘義55

 

「神は彼らを祝福され、神は彼らに言われた、生めよ、増えよ、地に満ちよ、それを従わせよ、海の魚を、天の鳥を、地を這う生き物を治めよ、と。」最古代の人々は理解と意志の、または信仰と愛の連結を結婚と呼んだため、その結婚から生まれた善の凡ゆる物を『生まれたもの』と呼び、真理の凡ゆる物を『増えたもの』と呼んだ。かくてそれらは予言者の書ではそのように呼ばれ、例えばエゼキエル書には―

 

私はあなたらの上に人と獣を増やそう、これらは増えて、多く子を生むであろう、私はあなたらをいにしえの時のように住まわせ、あなたらにその初めの時よりもさらに善いことをしよう。あなたらは私がエホバであることを知るようになるであろう。まことに、私はあなたらの上に、人を、実に我が民イスラエルを歩ませよう(エゼキエル36・11、12)。

 

『人』によりここではイスラエルと呼ばれる霊的な人が意味され、『いにしえ』により最古代教会が、『初め』により洪水後の古代教会が意味されている。真理に関わる『増えること』が最初に記され、善に関わる『生まれること』が後に記されている理由は、その記事は再生する者を取り扱っていて、既に再生した者を取り扱ってはいないということである。

 

 

 

天界の秘義55〔2〕

 

 理解が意志に、または信仰が愛に結合する時、人間は『結婚した地』と主から呼ばれている、例えばイザヤ書には―

 

あなたの地は重ねて荒れたものとは呼ばれはしない。かえってあなたはヘフジパ(私の歓びはその中に在る)と呼ばれ、あなたの地はベウラー(結婚した地)と呼ばれるであろう。エホバはあなたを歓ばれ、あなたの地はとつぐ(結婚する)からである(イザヤ62・4)。

 

 そこから生まれて、真理に属したものは『息子』と呼ばれ、善に属したものは『娘』と呼ばれており、しかもそれは聖言に極めて再三見られるのである。

 

 

 

天界の秘義55〔3〕

 

 多くの真理と善とが存在する時、地は『満たされる』または充ちみつるのである。なぜなら主はマタイ伝に言われているように、人間を祝福し、これに語りかけられる時、すなわちこれに働きかけられる時、善と真理とは無限に増大するからである―

 

天国は一粒の芥種のようなものである。人はそれを取ってその畑に播くときは万の種よりも小さいが、育つと、他の野菜よりも大きく、木となり、空の鳥が来て、その枝に宿るほどになる(マタイ13・31、32)。

 

『一粒の芥種』は人間が霊的なものになる以前の人間の善であり、それは『万の種より小さい』。なぜならかれは自分自身で善を為すと考えていて、人間自らに属したものは悪以外の何物でもないからである。しかしかれは再生の状態にいるため、かれの中に多少善が在るが、しかしそれは凡ての物よりも小さい。

 

 

 

天界の秘義55[4]

 

ついに信仰が愛に結合するにつれ、その善は更に大きくなり、『草』となり、最後に信仰と愛との連結が完成すると、『木』となり、かくて『天の鳥』は(それはこの記事においてもまた真理を、または知的な物を意味しているが)記憶である『その枝に宿る』のである。人間は霊的なものになる間のみでなく、霊的なものである時にも、争闘の状態に在り、それで『地を従えよ、治めよ』と言われている。

 

 

 

天界の秘義6647

 

「イスラエルの息子たちは多くの子を生み、多産であった」。これは教会の諸真理が善の方面で増大したことを意味していることは以下から明白である、即ち、イスラエルの息子たちの表象は霊的な諸真理であり(5414、5879番を参照)、教会であり(6637番)、『子を多く生むこと』の意義は善の方面で増大することであり(43、55、913、983、2846、2847、3146番)、『多産であること』の意義は更に派生することである、なぜなら教会が人間のもとに新たに設立されると、その時は善は内なるものの中にも、また、外なるものに向って、また外なるものの中にも絶えず増大して、派生するからである。