第7誡
なんじ、盗むなかれ。
1.自然的意義:盗み、強奪、掠奪,何らかの口実の下に、何人からの所有物を欺き取る
2.霊的意義:他の者からその信仰の諸真理を剥ぎとること、虚偽と異端
3.天的意義:主の神的力を否定する者達、主の功績と義を自らのものとして要求する者達
4.マリア・ワルトルタ
5.生命
6.ヴァスーラ
1.自然的意義:盗み、強奪、掠奪,何らかの口実の下に、何人からの所有物を欺き取る
真の基督教317
「汝盗むなかれ」
「自然的な意義では」この誡命は盗み、強奪、掠奪を禁じ、一般的には、何らかの口実の下に、何人からの所有物を欺き取ることを禁ずる。それはまた詐欺、不当な利得、高利、無理取りに、更に料金、税金、個人的な借財の支払いに於ける詐欺に及んでいる。職人がその仕事をなおざりにし、商人が不正の分銅と物差しを用い、あるいはその中味を偽り、士官が兵士達の正当な給料を奪い、裁判官が親類関係、友情、あるいは賄賂のために、法律を曲げ、かくて他の者の正当な権利を剥奪するとき、彼らはこの戒命を犯すのである。
2.霊的意義:他の者からその信仰の諸真理を剥ぎとること、虚偽と異端
真の基督教318
「霊的な意義では」盗むことは他の者からその信仰の諸真理を剥ぎとることを―それは虚偽と異端によって為される―意味する。己が業を単に利得と世俗的な名誉のためになし、聖言から判断して真理ではないと知り、あるいは知るに違いないものを教える祭司は精神的な盗人である。なぜなら彼らは信仰の諸真理である救いの手段を人々から奪い去るからである。
彼らはまた、聖言の以下の記事では盗人と呼ばれている。
「羊の檻の門より入らずして、他より越ゆるものは盗人なり、強盗なり。盗人の来るのは盗み、殺し、亡ぼさんとするの他なし」(ヨハネ10・1,10)。
「汝ら己がために財宝を地に積むな、天に積め、かしこは盗人うがちて盗まぬなり」(マタイ6・19,20)。
「盗賊汝に来り、強盗夜来らば、なんじは滅ぼされて絶ゆ、彼らはその心に満つるときは止めざらんや」(オバデヤ5節)。
「彼等は邑を駈けめぐり、石垣の上にあり、家によじのぼりて、盗人の如くに窓より入らん」(ヨエル2・9)。
「かれらは詐欺を行い、内には盗人は入り来り、外には小賊むれをなせり」(ホセア7・1)。
啓示による黙示録解説892
「人殺し、淫行の者、魔法使い、偶像を拝む者、凡ての偽りの者」(黙示録21・8)は、十戒の戒めを何ら顧みず、その中に記されている悪を一つとして悪としては避けはしないで、それでその中に生きている者凡てを意味している。十戒の以下の四つの戒め、即ち『殺してはならない』、『姦淫を犯してはならない』、『盗んではならない』、『偽って証言してはならない』の三重の意義、即ち、その自然的な、霊的な、天的な意義は、「新しいエルサレムに対する生命の教義」(62−91番)に見ることができよう、それでそれらをここに説明する必要はないが、しかし『盗んではならない』という第七の戒めに代って、ここに『魔法使いと偶像を拝む者』が記されており、『魔法使い』により、真理を探求はするが、誤謬と悪とを確認するために、その真理を誤謬化してしまう者らが記されており、『魔法使い』により、真理を探求はするが、誤謬と悪とを確認するために、その真理を誤謬化してしまう者らが意味され、「人間は一人として人間自身からは善を行うことは出来ない」というこの真理を取り上げて、それにより信仰のみを確認する者らはこうしたことをやってのけるのである、なぜならこれは一種の精神的な窃盗であるからである。『魔術』により更に意味されていることは前に見ることが出来よう(462番)。『偶像を拝む者』により、聖言からではなく、かくて主からではなくて、自己自身の理知から礼拝を確立し、または礼拝を守る者らが意味され、主のいかような御言葉にもよらないで、パウロのただ一つの言葉により―それも誤解されたものであるが―教会に遍く受け入れられている信仰のみの教義を捏造した者らもまたこのことをやってのけたのであり、これも同じく一種の霊的な窃盗であり、『偽り者』により悪から誤謬の中にいる者らが意味されているのである。
3.天的意義:主の神的力を否定する者達、主の功績と義を自らのものとして要求する者達
真の基督教319
「天的な意義では」盗人は主の神的力を否定する者達を意味し、また主の功績と義を自らのものとして要求する者達を意味する。これらの人間は、たとえ神を礼拝するにしても、それは神ではなく、ただ自らを信頼し、信仰するに過ぎない。
真の基督教320
(聖言によって真なるものと誤っているものとを知り得るにも拘らず)異端的なものを真であり、正統的なものであるとして教え、かくて他の者を欺き、虚偽を信ずるに至らしめる者は、凡ゆる種類の詐欺師に譬える事が出来よう。
彼らは霊的な意義における盗人であり、贋金に鍍金して、正貨として通用させる贋金作りに、あるいは、水晶を巧みに切り、磨き、固くし、これを金剛石として売りつける者に、あるいは、猿類に人間の着物を着せ、その顔にヴェールをかけ、これを馬に乗せ、町をねり歩いて、これは家系も古い貴族であるとふれまわる者達に、あるいは、着色した仮面の下に人間の顔をひそませて、その凡ての美しさを隠す者に、あるいは、金銀で輝くように輝いている透石膏と石英を示し、これをその貴重な金属を含んでいるものとして売りつける者達に、あるいは、興行によって人々を教会から劇場へ誘い出す者等のような者である。
真理を顧みず、凡ゆる種類の虚偽を確認し、己が義務を単に利得あるいは名声のためにのみ行う祭司達は精神的な盗人であり、如何なる家の戸も開くことのできる鍵を持つ強盗に譬えることが出来よう。彼らはまた、鋭い目を光らせて好物の餌食を探し求めている豹と鷲の如きものである。
聖書67[2]
あなたは盗んではならない。『盗む』により人間は盗み、欺くことを、または何らかの口実の下にその隣人からその財産を取ることを理解している。霊的天使は誤謬と悪とによって他の者らからその信仰の諸真理を、その仁慈の諸善を剥奪することを理解している。そして天的天使は主のものであるものを自分自身に帰し、主の義と功績とを自分自身のために要求することを理解している。
4.マリア・ワルトルタ
マリア・ヴァルトルタ/私に啓示された福音2巻P555
131アックヮ・スペツィオーザでの説教。「他人のものは何であれ盗んではならず、欲しがってはならない」。ヘロデの罪。
1945年3月15日。
「神は人それぞれに必要なものを与えられます。これは真実です。人には何が必要でしょうか? 栄耀栄華ですか? 大勢の使用人ですか? 数え切れない田畑や牧場のある広大な土地ですか? 落日と共に始り、日が上るまで続く宴ですか? いいえ。人に必要なのは一つの屋根、一切れのパン、一着の服です。生きるためには不可欠のものです。
周りに目をやってみなさい。誰が一番朗らかで、健康ですか? 誰が恙(つつ)が無い健やかな老年を送っていますか? 道楽三昧の人たちですか? いいえ。誠実に働き、欲求し、生きる人たちです。彼らは色欲に毒されず、強さを失いません。快楽や暴飲暴食に毒されず、しなやかです。羨望に毒されず溌剌としています。それに反して、貪婪な者はますます自らの平安を殺し、鬱々として楽しまず、妬みやあるいはやり過ぎで干涸らび、年よりも老けて見えます。
『盗んではならない』という掟は、『他人のものを欲しがってはならない』という掟と併合できます。事実、極端な欲望は盗みに至らしめるからです。これからあれへと行く短い一歩でしかありません。あらゆる欲求は不法行為でしょうか? わたしはそうは言っていません。一家の父親は畑で、あるいは職場で働きながら、それによって子らのためにパンを得ようと欲求しますが、真実、罪は犯していません。それどころか父としての義務を果たしています。しかし、人生の悦楽しか追及せず、その欲望を満たそうとして人のものを我が物にすれば、その人は罪を犯します。
嫉妬! もし貪婪と嫉妬でないなら、他人のものに対する欲望とは一体何でしょうか? わたしの子らよ、嫉妬は、神から人を引き離し、サタンと手を組ませます。あなたたちは、他者のものを欲しがった最初の被造物はルシフェルであったとは考えませんか? 彼は大天使の中でも一番美しく、神の寵愛を得ていました。これをもって満足すべきでした。彼は神に嫉妬し、彼が神になりたいと欲し、そして悪魔になったのです。最初の悪魔です。
第二の例。アダムとエワはすべてを所有し、地上の楽園をとことん楽しみ、神との友情で固く結ばれ、神から与えられる恩寵の賜物によって至福の日々を送っていました。彼らはこれで満足すべきでした。彼らは善悪の知識を持つ神に嫉妬し、神の顰蹙を買ってエデンから追放されました。最初の罪人たちです。
第三の例。カインはアベルと主との友情を妬みました。そして最初の殺人者となりました。
アロンとモーセの妹マリアは、兄に嫉妬し、イスラエル史上最初の癩者となりました。
わたしは、神の民の全浮沈に一歩一歩あなたたちを連れて行けるでしょうが、そこにあなたたちは、節度を越えた欲望が、その保持者を罪人となし、その保持国を懲罰に値するものとするのを見るでしょう。なぜなら個々人の犯す罪は積み重なり、国々の罰を引き起こし、こうして砂漠の砂の粒々のように、世々にわたって積み重なり、国とそこに住む者たちを埋没させる地滑りを引き起こすからです。
わたしはあなたたちに模範として幼子たちを引き合いに出しましたが、それは彼らが単純で信頼に満ちているからです。きょうはあなたたちに言います。欲望から解き放たれている小鳥たちに倣いなさい、と。
見なさい。今は冬です。果樹園に小鳥たちの食べ物は僅かです。しかし小鳥たちは、夏に冬の食べ物を貯える心配をしますか? いいえ。主に信頼しています。一匹の芋虫、一粒の穀物、一握りのパン屑、一匹の蛙、水上の一匹の蝿がいつも自分たちの餌袋に運ばれてくるのを知っています。小鳥たちは屋根下の暖かい棟とか、羊毛や綿の一房が自分たちの冬の塒(ねぐら)のためにはいつだってちゃんと用意されていることを知っているし、巣造りのための枯れ草や雛のための充分な食事が必要な季節ともなれば、野原には香り高い枯れ草があり、果樹園や畝溝(うねみぞ)には汁の豊富な食べ物があり、空中や大地には昆虫が潤沢であることを知っています。そして、『創造主よ、わたしたちに与えてくださり、これから与えてくださるであろうもののために、あなたに感謝』と、そっと歌い、愛の季節が来れば花嫁と睦み合い、雛が孵(かえ)れば自分たちの繁栄を見て、勢一杯声を張り上げて創造主を讃美しようと待ち構えています。
この小鳥ほど陽気で幸せな被造物がいるでしょうか? にもかかわらずその賢さは人の知性に比べれば何でしょうか? 一つの山に比べればシリカの鱗片のようなものです。しかしこの小鳥はあなたたちに教えています。まことにあなたたちに言いますが、不純な欲望を抱かずに生きる者は、小鳥の陽気さを所有します。彼は神に自らを委ね、神を父だと感じています。彼は昇る日に微笑み、下りる夜の帳に向かって微笑みます。太陽は彼の友であり、夜は彼の乳母だと知っているからです。彼は人に恨みを抱かず、人の復讐にもびくともしません。何一つ、人を傷つけていないからです。彼はその健康や睡眠について託(かこ)つことはありません。誠実な生き方は病気を遠ざけ、安らかな眠りを与えることを知っているからです。最後に、彼は死をも恐れません。良い行いをしてきたので、神の微笑を浴びることしかできないと心得ているからです。
王も死にます。金持ちも死にます。死を遠ざけるのは王笏ではなく、不死を買うお金でもありません。王の中の王、主人の中の主の前では王冠も金貨も笑止千万なものであり、ただ一つ価値をもつのは、律法のうちに生きられた一生だけです!
「あそこのあの奥にいる人たちは何を言っているのですか? 話すことを怖がることはありません」。
「アンティパはどんな罪を犯したのですか? 盗みですか、それとも姦淫ですか? そうわたしたちは言っていたのです」。
「わたしはあなたたちが他人の振りを見ず、むしろ己れの心を見張ればいいと思います。しかしあなたたちの問いに答えましょう。彼は神よりも肉を礼拝する偶像崇拝の罪、姦淫の罪、盗みの罪、不法な欲望の罪、殺人幇助の罪を犯しました」。
「アンティパは、救い主であるあなたによって救われるでしょうか?」。
「罪を悔い改め、神に立ち返る者たちを、わたしは救うでしょう。罪を悔い改めない者たちに、救済はないでしょう」。
「あなたは彼を盗人だとおっしゃった。でも何を盗んだのですか?」。
「彼の兄弟からその妻を。盗みは金銭のみに限られません。ある人から名誉を奪うのも、ある娘の処女性を奪うのも、ある人からその妻を奪うのも、ある隣人から牛を、あるいは果樹を奪うのがそうであるように、盗みです。その上、淫蕩あるいは偽証によって加重された盗みには、邪淫の、あるいは姦通の、あるいは虚偽の罪が加重されます」。
「売春する女はどんな罪を犯しますか?」。
「もし彼女が結婚していれば、夫に対する不倫の罪と、盗みの罪を犯します。もし独身であれば不浄の罪と自分自身に対する盗みの罪を犯します」。
「自分自身に対するですって? 自分のものをくれてやっているのに!!」。
「いいえ。わたしたちの体は、神の神殿である霊魂の神殿となるために、神によって創造されました。だから誠実に維持されねばならないのです。そうでなければ霊魂は神の友情と永遠の生命を奪われる被害者になります」。
「それでは、一娼婦はもはやサタンのものであることしかできないのですか?」。
「あらゆる罪はサタンとの売春です。罪人は、金で買われた女のように、不法な情交を通じて汚らわしい儲けを得ようとサタンに我が身を売るのです。人を不浄な動物にも等しいものとする売春の罪は、重大な、極めて重大な罪です。しかし、あなたたちは他のあらゆる大罪がそれよりも軽いと思ってはなりません。偶像崇拝についてわたしは何を言おうか? 殺人については何を? それでもなお、神は、黄金の牛を造ってしまったイスラエル人たちを赦されました。二重の罪を犯したダビデを赦されました。悔い改める者を神は赦されるのです。痛悔が罪の数と重大さに見合うものであれば、わたしはあなたたちに言いますが、より痛悔する者はより多く赦されるだろう、と。痛悔は愛のあり方だからです。効果的な愛のかたちです。悔い改める者は、その痛悔の念をこめて神に言います。『わたしはあなたを愛し、あなたから愛されたいので、あなたの御立腹には耐えられません』と。そして神はご自分を愛する者を愛されます。だからわたしは、より愛する者はより愛される、と言うのです。完全に愛する者はすべてを赦されます。そしてこれは真実です。
行きなさい。しかしその前に、町の門に子だくさんの一未亡人がいて飢え死にしかかっていることを、あなたたちに知ってほしい。借金を払えずに家を追い出されました。そして、彼女を追い出すことしかしなかった家主に、未だに『ありがとう』と言える人です。わたしは彼女と子供たちにパンを買うためあなたたちの献金を使いました。でもあの人たちには避難する場所が要ります。憐みは主が最も喜ばれる生贄です。あなたたちはどうか善良であってください。わたしは主の名において、あなたたちに報いを約束します」。
人びとは何ごとか囁き合い、相談し、論じ合っている。
その間にも、イエズスは、ほとんど視力を失っていた男を完治し、病む嫁のもとに来てくださるようにと、イエズスに頼み込むためにドコからやって来た老女の話に耳を傾ける。それは話すも涙、聞くも涙の物語なのだが、きょうという日は、半死状態にひとしいわたしは、それを書き取れない。
幸いにすべては終わる。というのも、三時間前から続く心臓発作で目がくらくらし、金輪際、これ以上書き進められないからだ。
5.生命
[10]たれでも凡ゆる種類の窃盗を罪として避けるに比例して、誠実を愛する。
生命80
『盗む』ことは、その自然的な意義では、窃盗や強盗を働くことのみでなく、また欺くことを、何らかの口実をもうけて他の者からその財産を奪うことを意味している。しかし霊的意義では『盗む』ことは他の者からその信仰の諸真理とその仁慈の諸善とを剥奪することを意味している。そして最高の意義では『盗む』ことは主から主のものであるものを取り去って、それを己が自己に帰し、かくて義と功績とを己が自己のものとして要求することを意味している。これらが『凡ゆる種類の窃盗』である。そしてそれらもまた、私たちがすでに取扱った凡ゆる種類の姦淫と、凡ゆる種類のの殺人のように、一つのものとなっている。それらが一つのものとなっている理由は、それらのものが各々他のものの中に潜んでいるということである。
生命81
窃盗の悪は他のいかような悪よりも更に深く人間の中へ入っているが、それはその悪が狡猾と詐欺とに連結していて、狡猾と詐欺とは、人間の思考が理解と共に宿っているその人間の霊的な心の中へすらもそれ自身を入り込ませているためである。人間は霊的な心と自然的な心とを持っていることは以下に見られるであろう。
生命82
たれでも窃盗を罪として避けるに正比例して、誠実を愛することは、窃盗はまた詐欺であって、詐欺と窃盗とは二つの対立したものであるためであり、それでたれでも窃盗を犯さないに正比例して、誠実である。
生命83
誠実は正直、公正、忠誠、実直を含むものとして理解されなくてはならない。人間は自分自身からはそれらのものの中にいて、それらをそれら自身から、またそれら自身のために愛することは出来ないのである。しかし詐欺、狡猾、たばかりを罪として避ける者こそそれらの中にいるのであって、それで彼は(前に示したように、18−31)自分自身からではなく、主からそれらの中にいるのである。祭司、司政官、裁判官、商人の場合がそうであり、たれでもその者自身の務めとその者自身の仕事に携わっている場合がそうである。
6.ヴァスーラ
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P146
‘00・1・20 教会一致週間
主よ、どうしてこれほど多くの目を 御わざにたいして見えなくさせておられるのですか? 彼らが悔い改めと和解を 頑なに拒むからでしょうか? お教え下さい、そしてご意見を仰って下さい・・・
ああ、我が子よ・・・私の意思とは 我が霊の光の中で あなた方が愛をもって働くこと! 今日 私の霊はこれまでよりいっそう 我が羊飼いたちが和解するようにと叫ぶ。 救われるには、誰もが悔い改めて 和解しなければならない。 それぞれの羊飼いが 自らの道を吟味するように。「人生の各瞬間に、御父と私と聖霊が注いできた溢れる愛を 思い巡らしなさい、羊飼いよ・・・」
ああ、娘よ、あなたに任じた使命がいかに困難を伴うか 私が気づいていないとは思わないように。 我が家を一致させるのはたやすいことではない、まして生き返らせるのは! しかし元気を出しなさい あなたは一人ではないゆえ。 私が共にいる。 あなたのうちに私の計画を見いださない人びとに落胆しないように、「私たちは見えている」という人たちからは視力を取り上げ、見えない人たちに視力を与えた。 世の人びとにとって一致の模範となり、あなたの犠牲を通して、兄弟たちに和解をもたらしなさい。
サタンは率先して 我が教会に戦いを挑んだ。 暴力によって 私が自らの聖血で贖ったものを攻撃している。 真理と我が掟を宣言する すべての忠実な心を呪い、我が教会を分裂させておく。
教会に属するあなた方の多くは今日 略奪者だ。 聖体のうちに我が体を認めず、私が真に制定したやり方で我が聖なる秘義に与るのも拒んで こうして略奪している。 聖体のうちなる我が神性と現存の荘厳を評価するとなるや あなたは私の家から略奪している。 ほかにもさまざまな仕方で我が家から 奪い取っている。 聖書は決して偽りがなく否定し得ない、だがそれをあなた方は部分的に否定し、そうしたやり方でも奪い取った。 我が教会では、私は教会を豊かにしようと使徒を与え、預言者たちと教師を育てて与え、そのほかにも、奇跡や癒しをはじめさまざまな賜を与えてきた。 しかしあなた方は我が家を略奪し、今日そこから持ち去っている。