自我

 

 

 

 

マタイ16・24−26

 

わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。

 

 

マルコ8・34−38

 

それから、群集を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命をうしなったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。神に背いたこの罪深い時代に、わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子もまた、父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来るときにその者を恥じる。」

 

 

ルカ9・23

 

それから、イエスは皆に言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の身を滅ぼしたり、失ったりしては、何の得があろうか。わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子も、自分と父と聖なる天使たちとの栄光に輝いて来るときに、その者を恥じる。確かに言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、神の国を見るまでは決して死なない者がいる。」

 

 

デボラ/生ける神より明かされた英知/5巻下P17

 

 全てを棄てなさい、と私があなたに言うとき、それは先ず、あなた自身を棄てなさいという意味である。

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P145

 

私のところに来るのは困難だが、その一番大きな妨げは、このような群集ではない。ここまで勝利者のように私を迎えた皆も聞きなさい。幾度も破ったり、越えたりしなければならない障害は、自分の自我です。

 

 

光明社/トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて2・12・14(168)

 

あなたは絶えず自我に死する生涯を送らなければならぬことをしっかりと明らかに知れ。人は自我に死ねば死ぬほど、ますます神に生きるようになるものである。

キリストのおんために苦難を忍ぼうとする者でなければ、決して天上のことを悟ることはできないのである。

 

 

光明社/トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて3・8・1(P205)

 

 「私は塵と灰とに過ぎない者ですが、あえて主に申し上げましょう。」(創世記18・27)

もし私が自分をそれ(塵灰)以上のものと考えるなら、見よ、主は私に反対され、私の罪はそれを実際に証拠立て、私はそれに対し、弁解することができないだろう。

 しかし自分を軽んじて虚無にひとしい者と思い、すべての自尊心を去って、自分がほんらい塵に過ぎぬことを考えるならば、主の恩恵は私にくだり、主の光明(ひかり)は私の心に近づき、すべての自尊の念は、たとえそれがいかに小さなものであろうとも、ことごとく私の無の深淵(ふち)に沈んで、永遠に消え失せてしまうだろう。

 そしてそこにおいて主は、私がどういう者であるか、どういう者であったか、またどこまで迷い下落(くだ)ったかをお示しになるだろう。なんとなれば、私は無にひとしい者であるのに、それを知らないからである。

 

 

光明社/トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて3・8・2(P207)

 

 私は誤って自分を愛し、自分を失ったが、ひたすら主ばかりを求め、主ばかりを愛することによって、自分をも得、主をも得ることができた。のみならずこの主に対する愛によって、私はさらに自分を虚無のうちに深く沈めることができたのである。

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P20

‘89・10・22

 

♡ 我がヴァッスーラ、あなたはつまらない者です、全くの無でありながら 私はあなたを用いることができる、「あなた」なるものが消えてゆくなら、我が霊はあなたのうちで語り 行動できる、あなたのうちで我が霊は敵に会ってはならない、怖れなくてよい、たとえ我が霊が出会おうと、この競争相手を必ずいつでも撲滅する ♡ 毎日自らを明け渡しなさい、我が意思を喜んで行うように ♡ あとはあなたの神、私に任せておきなさい ♡

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P21

‘89・10・23

 

私です、決して疑わないように。 どれほどあなたを愛するか! 与えてくれるこの小さな信仰は あなたが毎日捧げる花束のようです ♡ 私はこうしたやり方で(*)それを受け取る、小さな者よ 私に何も拒んではならない。 あなたの神 私のように怒るに遅く、善を行う時だけ素早いように、私に忠実でありなさい。 我が霊魂に愛された者よ、自分の意志、霊魂と心を喜んで献げた者よ、怖れることはない 御父のみ手の中にいるからです そして互いに結ばれている以上に素晴らしいことがあろうか? 何も拒んではならない、私が 人からくまなく見えるように 自分を全く打ち消しなさい、あなたの隅々まで我が力が占めるように 小さいままでいなさい。 私がすべてとなるよう 日々「自我」に死んで無となりなさい。 こうしたやり方が私の誉れとなり、あなたを望む時に用いられるよう 幼児の−ような−信仰をもって私を信じなさい ♡ あなたに求めるのは愛、愛、愛だけです。 愛を込めて私の名のもとに行うすべては 我が栄光となり あなたを清める、愛ゆえに愛をもって宣教しなさい。 日々我が聖心の中に入って来なさい そしてあなたの心のうちに憩うのを許してもらいたい。 平和でいなさい 私は平和、糧を日々与えると約束しよう、私 イエスはあなたをいとおしみ その霊魂を私のもとに(**)連れてくるまでは 一分ごとに教えている、

    イエスは毎日主のもとを訪れ、手を使っていただくことを仰しゃっています。

    *ここでは天国のことをイエスは言っておられます。

 

 

 

 

 

 

メモ「捨てる・父母子供を捨てる」を参照。