いつでも どの教会であっても私のもとに来ることができる
1.ヴァッスーラ
2.パラマハンサ・ヨガナンダ
1.ヴァッスーラ
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1巻P237
‘87.6.10 ダッカで
♡ ヴァッスーラ、私たちは一致していると言わなかったか、私たちは一つです、愛する者よ、それを「神のうちに真のいのち」と呼ぶのです ♡ 私のために生きなさい。 ここに書いてもらいたいことがある
(今度は何を神は、お書きになるのかしらという、ある期待の気持ちを持っていました・・・)
私の望みは、小さな者よ、
(神は聖書の一部分を私に読ませました。)
そうです、心を高め、私の声を聞きなさい、私の教会で会ってくれるか? ヴァッスーラ 私のもとに来なさい。
どの教会ですか。主よ、どれをおっしゃっているのでしょう?
すべては私の教会 それらは皆私のものです、皆私に属し 私だけのものです、私が教会、私は教会の頭です。
けれど、あなたのおっしゃり方ですと、イエス、まるでどこか特別の所に私が行くのを望んでおられるようでした。そのように私は理解し、おっしゃったことがそう聞こえたのですが!
いつでも どの教会であっても私のもとに来ることができる、ほかの人びとのように区別してしまわないように ♡ それらは皆 私に属している、私は唯一の神であって、一つのからだを持っている、そのからだを 彼らは不具にしてしまったが ♡ 手枷、足枷が私のからだを駄目にしている ♡♡
わが神よ、とても動転しておられるように見受けますが!!
動転していると言うのか? ああ ヴァッスーラ、どうして、どうして彼らは残酷にも私を引き裂いてしまったか? ♡♡
神さまは、とても気を荒だてておられます。主がエルサレムの寺院で、商売人たちの台をひっくり返しておしまいになった時のことを思い出しました。今までに、これほど、心を荒だたせておられるのを聞いたり見たりしたことがありません!
ヴァッスーラ、
イエス?
私です、
本当にそれほど、心を荒だてておられるのですか?
ああ そうです、それは私、ああ やっとあなたの心に思いを伝えることができた。 ヴァッスーラ、カリスマはあなた自身の利益のために与えられたのでない、みことばがあなたの上に刻まれるようにと 与えられた。
今までにこれほど、主が心を乱しておられるのを感じたことがありません! そうでしょう?
そうです、からだが痛む、ばらばらに引き裂かれている ♡
わが神よ! でも私に何ができるでしょう? 私は無力です。
すべてを承知している、ヴァッスーラ。 私は最後まであなたを用いる ♡ 決して恐れないように 娘よ。 我が教会を一致させることは私のからだに栄光となろう ♡ 私の平和を受けなさい、愛する者よ、
はい、主よ、右も左も見ません。私は真っ直ぐ前を見ます。
そう、私がどのように働くかを理解しなさい、今のようにじっとしているように、心から私を喜ばせなさい、一つとなって、
2.パラマハンサ・ヨガナンダ
パラマハンサ・ヨガナンダ/講話集P11
われわれを神に目覚めさせるものは、教義の解釈ではなく、魂の自覚です。おのおのの宗教の根底に横たわる共通の真理を会得すれば、教義の違いは問題ではなくなります。私にとってはユダヤ教徒も、キリスト教徒も、ヒンズー教徒もありません。みな同じ兄弟です。私はどの寺院ででも礼拝します。なぜなら、それはみな私の父のために建てられたものだからです。
パラマハンサ・ヨガナンダ/講話集P13
自分の内に神を見出した人は、どこの寺院や教会へ行っても、そこに神の存在を感じることができます。
パラマハンサ・ヨガナンダ/講話集P397
神を愛する者は、あらゆる宗教を通して人々を導いておられる唯一の神を礼拝すべきです。
神はギーターの中でこう言っておられます―
「わたしを信じ求める者がいかなる道を取ろうとも、わたしはその程度に応じてわたしを現す。人がたどる道は信仰形式のいかんにかわらず、すべてわたしに通じている」(バガヴァッド・ギーター4・11)
ですから他人の信仰を批判してはなりません。信仰を持つ人に対しては、だれに対しても心からの愛と尊敬を表わすべきです。
寺院や教会を見たら、そこに宿りたまう神に、心の中で礼拝しなさい。