放蕩息子の譬え

 

わたしの父の家には住む所がたくさんある(ヨハネ4・2)

 

 

ルカ15・20

 

ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。

 

 

 

エレミヤ24・7

 

そしてわたしは、わたしが主であることを知る心を彼らに与える。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。彼らは真心をもってわたしのもとへ帰って来る。

 

 

 

エレミヤ29・12,13

 

そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしに出会うであろう、と主は言われる。

 

 

 

使徒言行録17・27

 

これは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです。実際、神はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません。

 

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/3・10・

 

[]わけても主がおん愛の甘美さを私に示したもうたのは、私がまだ存在していなかった時私を創造り、私が主をはなれて遠くさまよっていた時、私を連れもどってふたたび主に仕えさせ、私に主を愛するよう、お命じになったことであります。

 

 

[]ああ永遠の愛の泉よ、私は主のことをどう言ったらよろしいでしょうか? 私が腐敗し堕落したのちにも、まだ私を覚えていてくださった主を、どうして私は忘れることができましょうか?

 主はまったく思いもよらぬおん哀れみを、主のしもべに施し、その功勲(いさおし)をはるかに越える恩恵と友情とをお示しになりました。

 

 

 

ヨハネ6・44

 

 わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない。わたしはその人を終わりの日に復活させる。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P177

 

いや、らい病の人も嫌悪されるが、私は彼らをあわれみ、呼ばれるなら、走って行って彼らを清める。おまえは清めて欲しくはないのですか?

 

 

 

マリア・ヴァルトルタ/私に啓示された福音/第3巻下/P6

 

「わたしにはわかっている。泣いてはいけない。謙遜のうちに留まりながら、でも落胆してはなりません。意気阻喪はまだ傲慢のしるしです。ただ謙遜だけを身につけなさい。さあ、もう泣き止むのです・・・」。

 エンドルのヨハネは少しずつ落ち着きを取り戻す・・

 

 彼が落ち着いたのを見て、イエズスは言う、「来なさい、あの繁った林檎の木々の下に行き、仲間たちや女たちを呼び集めましょう。皆に話をしますが、あなたには、がどれほどあなたを愛しておられるかを話しましょう」。

 二人はテラスから下り、次々と他の者たちを集めながら進み、それから全員が林檎の樹陰に車座になって座す。ゼロテと何か話していたラザロも仲間に加わる。全部で二十人いる。

 

「聞きなさい。いろいろの状況であなたたちを、いっそう光に導くにちがいない美しい譬え話です。

 ある人に二人の息子がいました。長男は真面目で、働き者、忠実で従順でした。次男は、実のところ少し鈍感で自分から決断する努力をするより人任せにする方を好む長男よりも頭がよかったが、その代わりに反抗的で、迂闊で、贅沢で遊び好き、浪費家で怠惰でした。知性はの大いなる賜物です。しかし賢明に用いるべき賜物です。もし間違った使い方をすると、病気を治すどころか命取りになる薬のようなものです。父親は―その権利と義務を守り―彼をより賢明な生き方に呼び戻そうとしました。しかしそのかいもなく、息子は父に口答えし、ますます間違った考えに凝り固まるばかりでした。

 

とうとうある日、いつもより激しい口論の末、次男は言いました。『遺産のぼくの分け前をください。そうすればあなたの咎めも兄さんの泣き言も聞かずに済みます。各々が自分のものを手に入れ、万事うまく行きます』。『よく考えなさい、お前が破滅し、駄目になるのは時間の問題だよ。その時はどうするつもりだ? わたしはお前をえこひいきするほど不正な人間にはならないし、お前にやるためにお前の兄さんからびた一文取り返したりはしないだろう』と、父親は答えました。『ぼくはあなたに何一つ要求しないでしょう。安心してください。わたしの分け前をください』。

 

 父親は土地と宝石類を評価させたところ、宝石と貨幣の価値は土地とほぼ同額でした。そこで父親は長男には畑、葡萄園、家畜、オリーブ畑を与え、次男には貨幣と宝石類を与えました。次男はすぐ宝石類を売って金に替えました。それが終わると数日中に彼は遠い異国へと旅立ち、そこで王侯貴族のような生活をしました。自分が『田舎者』で、父親を見捨てて来たことを認めるのを恥じたので、自分を王様の子と信じ込ませて、彼の全財産をあらゆる種類のどんちゃん騒ぎに浪費しました。パーティ、男友達、女友達、衣服、ワイン、博打(ばくち)・・・放埓な暮らし・・・早くも財産は底をつき、じりじりと貧困は目前に迫っていました。その貧困を更に深刻なものにしたのは、この国を襲った大飢饉でした。それによって財産の残りを全部使い果たしてしまいます。

 

 父親のもとへ帰りたいと思いましたが、しかし、誇りゆえにそうしないことに決めました。そこで良き時代に友となったその国のある金持のところへ駆け込みました。そして頭を下げて頼みました、『あなたがわたしの富を思う存分楽しんだ時があったことを思い出し、わたしをあなたのしもべの一人として傭ってくれ』と。あなたたちは人間がどんなに愚かであるかをよく見なさい! 彼は父親に『わたしを赦してください。わたしは間違っていました!』と言う代わりに、主人の鞭の下に屈するのを選んだのです。この若者は、彼の知性をもって無駄なたくさんのことを学習しましたが、シラ書に書かれている格言を学ぼうとはしなかったのです。すなわち、『父を見捨てる者は、神を汚す者に等しく、母を怒らす者は、主に呪われる』。知性はありましたが賢くはありませんでした。

 

 彼が助けを求めた男は、愚かな若者の金で大いにいい思いをしたそのお礼に、若者を豚の群の番人として傭ってくれました―というのも、この異教の地では養豚が盛んだったからですーそして彼の所有する豚の群の放牧を彼に命じました。不潔で、ぼろをまとい、悪臭を放ち、飢えている―というのも、しもべ全員のために食糧は乏しく、特に下っ端のしもべまでは行き渡らなかったのですが、異国から来た、豚の群の番人である彼も下っ端の一人でしたから―彼はどんぐりをたらふく食べて満足している豚の群を見て吐息をつきました。『ぼくもせめてこの木の実を腹一杯食えたらなあ! だがあいにく苦くて食えない! こんなに腹が空いているにもかかわらず、あれが旨いとはどうしても思えない』と。そして、ついこの間まで笑い、歌い、踊りながら催した太守並みの豪勢な宴を思いました。それから遠い彼の家の栄養たっぷりの公平な食卓を思い、自分の皿にはいつも少な目に盛り、食べ盛りの子供たちの健康な食欲に目を細めていた父親を思い出して泣きました・・・そして義人だった父親がしもべたちにしていた待遇を思い出し、嘆きました、『ぼくの父さんのしもべたちは一番下っ端の者たちまで、いつも腹一杯食べていた・・・ところがぼくはここで飢え死にしようとしている・・・』と。反省という長い仕事、傲慢を征服するための長い闘争・・・

 

 終いにやっと謙遜と賢明さが蘇る日がやって来ました。彼は立ち上がり、そして言いました。ぼくは父のもとに行く! ぼくを囚人にするこの傲慢は愚かだ。それに、なぜだ? ぼくは赦しも慰めを受けられるのに、なぜ身体的に、更には心においても苦しんでいるのか? 父のもとへ行こう。決めたぞ。彼に何と言おうか? もちろん、この零落のなかで、汚物にまみれ、飢えに喘いでいるなかで、この心の奥に育ったことを言おう! 父に言おう、<父さん、ぼくはに背き、あなたに背き、罪を犯しました。最早あなたの子と呼ばれる資格はありません。だからあなたの使用人の中の下っ端として使ってください。ただ、あなたと同じ屋根の下に我慢して置いてください。あなたが通り過ぎるのをわたしが見られるように・・・>。ぼくには<なぜならあなたを愛しているから>とは言えない。父はそれを信じないだろうから。だが、ぼくの振る舞いが父にそれを語るだろうし、父はそれを理解するだろう。そして死ぬ前にもう一度ぼくを祝福してくれるだろう・・・おお! ぼくはそう思う。なぜって父はぼくを愛しているのだから』。そして夕方町に帰り、主人から解雇されるや、道中乞食をしながら我が家へと向いました。

 

 父の田畑・・・そして家・・・仕事を監督していた父は年老い、悲しみにやつれてはいるが、いつもの善良さに溢れている・・・罪深い子は自分が原因となったこの父の衰えを見て怯え、呆然と佇む・・・しかし父親は彼に気づき、彼に目を注ぎ、迎えに走り寄る。まだ遠くにいたからです。そして息子の傍らに来ると彼の首に両腕を巻き、接吻しました。父親のみが、あの打ちのめされた乞食の我が子を覚えており、彼だけが愛の行動をとれたのです。息子は父に抱き締められ、その肩に頭を埋めて啜り泣きながら呟きました。『父さん、ぼくがあなたの足下に身を投げるのを許してください』。『いいや我が子よ! 足下にではなく、わたしの心に、お前の不在によってとても苦しみ、お前の温もりを感じて元気を取り戻す必要があるわたしの胸にお前の身を休めなさい』。すると息子は更に激しく泣きながら言いました、『おお、ぼくの父さん! ぼくはに背き、あなたに背いて罪を犯し、あなたの子と呼ばれるには値しません。しかし、あなたの家の屋根の下で、あなたのしもべたちと一緒に、あなたを見ながら、あなたのパンを頂きながら、あなたに仕えながら、あなたの微かな息遣いを聞きながら生きることを許してください。パンの一切れ一切れと、あなたの息遣い一つ一つに、極限まで堕落したわたしの心は新たにされ、正直になるでしょう・・・』と。しかし父親は変わらず腕に息子を抱き締めたまま、離れて父子を見守るしもべたちの方へと導き、彼らに言いました。『大急ぎでここに最上の服と馨(かぐわ)しい水を張った盥(たらい)を持って来て、彼を洗い、香水をふりかけ、着替えさえ、新調の履物を履かせ、指に指輪をはめてやりなさい。それからよく肥えた子牛を屠り、祝宴の準備をするように。なぜならこのわたしの子は死んでいたのに蘇り、失われていたのに見つけ出されたのだから。今、彼にもう一度幼児の無垢の愛とわたしの愛を見つけてほしいのだ。彼の帰宅を祝う宴が催されなくてはならない。彼は、わたしにとって常に愛しい末子であることを彼は知らねばならない、まだ幼かったあの遠い昔、わたしの横を歩きながらその微笑と、回らぬ舌で話す片言でわたしをとても幸せにしてくれた、その頃と同じように』。そしてしもべたちは言われた通りにします。

 

 長男は畑にいて、帰宅するまで何一つ知りませんでした。夕方になり家路についたとき、家に通常よりも明明と灯が点るのを見、家からは楽器や踊りの音楽が流れて来るのを聞きました。彼は忙しく走り回っている一人のしもべを呼び、聞きました、『一体何が起きているのか?』と。するとしもべは答えました、『あなたの弟さんが帰って来られたのですよ! 父上は肥えた子牛を屠られました、と申しますのも、その悪しき病を克服した健康なお子さんを再び家に迎えられたからです。そして大宴会を催すよう命じられました。祝宴が始まるためにはもうあなたのお帰りを待つばかりでした』と。しかし、自分より年下であるうえに悪い奴であった次男のためにこんな大宴会を開くのは不公平だ、と思って立腹した長男は、家に入ろうとはせず、むしろ家から遠ざかろうとしました。

 そこで父親はこの知らせを聞くや外に走り出て、彼に追い縋(すが)り、父親の喜びを苦く酸っぱいものにしないでくれと頼み、説得しようと試みました。長男は父親に答えました。

『あなたはわたしに立腹するな、とおっしゃりたいのですか? あなたは長男を不公平に扱い、侮辱なさった。わたしは働くことを覚えて以来ずっとあなたに仕え、すでに何年もたっていますが、あなたの命令、御希望にさえ背いたことは一度もありませんでした。わたしはいつもあなたのお側にいて、あなたが弟から受けた心の傷を癒そうと、二人分あなたを愛しました。なのに、あなたはわたしが友人たちと楽しむためには、子山羊一匹さえも屠りませんでした。あなたを悲しませ、あなたを捨てた怠け者で浪費家で、今、飢え死にしそうになって戻って来た奴にあなたは面目を施し、彼のために一番すばらしい子牛を屠られました。正直で勤勉であることはやるだけの価値があることです! あなたはわたしにこんなことをすべきではありませんでした! 』。

 

 そこで父親は長男を胸に抱き締めて言いました、『おお! 我が子よ! お前の行いに対しても祝祭のベールを広げないから、わたしがお前を愛していないと思っているのか? お前の行いが聖なるものであり、世はそのためにお前を誉め称えよう。ところがお前の弟はそれに反して、世間的にも自分の自信回復のためにも名誉回復が必要です。また、お前はわたしが目に見える報酬を与えないからといって、わたしがお前を愛していないと思っているのか? ところが朝な夕な、わたしの一息一息、思いという思いにお前は現前しており、一瞬毎にわたしはお前を祝福している。お前はわたしと共にいる、という絶え間ない報いを受け、わたしの持てる一切はお前のものではないか。しかし、死んでいたのにに生き返り、失われていたのにわたしたちの愛のもとに戻って来たお前の弟のために、宴を催し祝杯を上げるのは正しいことではないだろうか』。そして長男は父に屈しました。

 

 友人たちよ、ではこのようなことが起きるのです。そして譬え話の中の次男と自分は同じだと知る者は、彼に倣ってのもとへ行くなら、は彼におっしゃるでしょう、『わたしの足下に身を投げずに、お前の不在のために苦しみ、今はお前の帰宅によって至福を味わっているわたしの胸に休らいなさい』と。また、父に背かず、罪を犯さなかった長子と同じ状況にある者は、父の喜びに嫉妬せず、むしろその喜びを共有し、贖われた弟に愛を注ぎなさい。

 わたしの話は終りです。エンドルのヨハネ、それからラザロ、あなた方はここに残りなさい。他の人たちは食事の準備をしに行きなさい。わたしたちもすぐに行きます」。

 

 皆はその場から引き下がる。ラザロとヨハネだけになると、イエズスは二人に言う、「ラザロよ、あなたが期待しているあの愛しい霊魂はこうなるでしょう。ヨハネよ、あなたの霊魂はこうなるでしょう。恵み深さには限りがありません」・・・