一つの霊魂を失うときに主の御心が感じられるひどい心の苦悩

主は泣かれた

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/1巻P180

 

 罪を犯すということのうちにいかに多くの悪意がひそみうるか、また、神をあえてつまらない楽しみ以下にみなす人は、なんという悪と大胆さを自分自身のうちに持つようになるかなどについて、愛するイエスがよく私に理解させて下さったとき以来、私はどのような小さな過ちも犯すまいと気をつけるだけでなく、また私の頭の中に望まなくてもちょっとでも思い浮かぶ罪の影をも恐れるようになりました。過去に犯した罪についてあまりの身震いと赤面を感じるため、自分は全ての人びとの中で最も極悪な人間であると信じるようになりましたので、イエスがお現れになる時には、自分の罪にたいするますます深い痛悔を持てることと、約束された私の十字架への釘づけの実現をお願いする以外のことはいたしませんでした。

 ある朝、私の心の中にますます強まる苦しみへの熱望を感じておりますと、愛するイエスがおみえになりました。主は私を私自身の外へお出しになると、私の魂をひとりの男の人の所へお連れになりました。彼は拳銃に撃たれて息を引きとろうとするところでしたが、まさしく地獄の餌食にされようとしていました。イエスは深い憂愁をもって私を主ご自身のうちに浸透させるようになさいましたので、一つの霊魂を失うときに主の御心が感じられるひどい心の苦悩がどのようなものであるかを私に理解させて下さいました。ああ、霊魂の永遠の損失をいかに主がお苦しみになるかということを、もし人類が知ることができたなら! 人びとは少なくとも、イエスにあのような激しいお苦しみを与えないためだけにも、永遠に自分を見失わないためにあらゆる方法を用いるであろうと確信いたします。